2018年の第71回カンヌ国際映画祭が、この記事を執筆中の現在(5月12日)開催中である。今年は、1968年の五月革命に呼応したフランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダールらがカンヌに乗り込んで映画祭を中断させた、いわゆるカンヌ映画祭粉砕事件からちょうど50年にあたる。87歳になったそのゴダールの新作『イメージの本』が上映されるなど、数多くの話題を振りまいている。

 一方、カンヌに参加しなかった、あるいは参加できなかった映画や映画人が話題として取り上げられるのもまたこの映画祭の大きな特徴だ。それは、カンヌがヨーロッパを中心とした映画祭マーケットの中で現在も象徴的なポジションを占めていることを現しているだろう。今年の場合、映画祭によってコンペから追放されたNetflixが自社の全ての作品を引き下げたことでも大きな話題を呼んだ。イランの反体制派映画監督ジャファール・パナヒもまた、2010年から続くイラン政府による海外渡航禁止命令によって参加できずにいる。同国出身のもう一人の巨匠アスガル・ファルハーディは、この処置に抗議し、パナヒへの連帯を表明した。

 そしてもう一人、映画祭への参加意志を持つにも関わらず、自国政府によって参加を阻まれた映画監督がいる。その最新作『Summer(Leto)』がコンペティション部門で上映されたロシアの映画監督キリル・セレブレンニコフだ。『Summer(Leto)』は、1980年代ブレジネフ政権時代のロシアを背景に、実在した伝説的ロック歌手ヴィクトル・ツォイと、彼の仲間であり精神的指導者でもあったMike Naoumenkoの関わりを描いている。海賊版レコードとホームメイド・アルバムの時代へのノスタルジーを多分に含んだこの作品は、セレブレンニコフが思春期時代に音楽を通じて感じた自由への希求、そして若さとパンクスピリットへの賛歌を歌い上げた作品であるようだ。白黒で撮影され、主人公の幻想場面ではカラー画面がフラッシュバックで現れるが、それはファスビンダーの舞台を想起させるとも評されている。恒例となっている各メディアによるコンペ作の星取りでも、比較的高評価を集めているようだ。

 『Summer(Leto)』は、セレブレンニコフにとって8作目の長編作品にあたる。カンヌ映画祭コンペ部門にエントリーされたのは、これが初めてだ。セレブレンニコフが国際的に注目されたのは、前作『The Student』が2016年カンヌ国際映画祭ある視点部門で上映され、フランソワ・シャレ・アワードを受賞したのがきっかけである。現在のロシアを舞台に、宗教的原理主義に傾倒し、独善的で過剰に潔癖な倫理観と過激思想に染まっていく青年の姿をグロテスクなパロディとして描いたこの作品は、保守化するプーチン政権下のロシアを風刺的に描いたものとして高く評価された。ところが、その次作となる『Summer(Leto)』撮影中にセレブレンニコフはロシア当局によって逮捕され、現在もまだ自宅軟禁状態にある。逮捕理由は、彼が政府の助成金を私的に流用したというものだ。映画祭は、彼の参加を許可するようロシア政府に働きかけたが、それも無駄に終わった。

 だが、セレブレンニコフに何が起こったのだろう。彼は、映画監督であると同時に、現在のロシアを代表するきわめて高名な舞台演出家でもある。ロシア国内のリベラルなアート関係者たちの間では、これだけの大物が不当に弾劾され逮捕されるのは、メイエルホリド(スターリンの大粛正によって1940年銃殺された)以来の大事件であるとも囁かれている。一方、クレムリンに近い体制派として知られる映画監督ニキータ・ミハルコフは、これが単なる詐欺事件に過ぎないと表明している。真相はどこにあるのだろう。

 ロシアの地方都市ロストフ・ナ・ドヌで育ったセレブレンニコフは、大学では物理学を学んだが、早い内から舞台に興味を示し地方演劇で活躍した。そして、30代になった彼はモスクワに進出、モスクワ芸術劇場などで成功した舞台を上演し、たちまち有名な演出家となった。その舞台の特徴は、きわめて前衛的なスタイルとリベラルな価値観をあらわしたものだった。そして興味深いのは、セレブレンニコフがモスクワ演劇界で頭角を現していく時代は、まさにプーチン政権による中央集権化が進行していく時代とパラレルであったことだ。

 ロシアでは、文化や芸術の命運はほぼ政府によって握られている。とりわけ演劇や映画においてはこれが顕著だとのことだ。ロシア国内にある600以上にも及ぶ主要な劇場は、ほぼ全て政府の施設であり、その予算の70%までが政府からの助成金によって賄われている。同じことは映画にも言えるようだ。従って、この国で映画や演劇を制作するに際して、政府からの助成金に頼るか、あるいは頼らないかは選択肢にならない。助成金によって映画や演劇を作りたいか、あるいは全く作らないかのどちらかだということである。従って、セレブレンニコフもまた自らの芸術的野心のために政府との密接な関係を必要とした。そしてまた、2010年代前半までのロシアもまた、こうした野心に溢れ国際的に成功しうる芸術家を自国文化のアピールのために必要としたとのことだ。

 セレブレンニコフの場合、クレムリンとの間を取り持ったのは副首相や文化相、大統領補佐官を歴任したウラジスラフ・スルコフだった。「灰色の枢機卿」と呼ばれ、プーチン政権の主要なイデオローグとして知られたスルコフは、ロシアの国益のため芸術家を利用することに興味を持ち、スタイルが魅力的であればそのメッセージを問わない方針をとった。彼の庇護のもと、セレブレンニコフは急速にロシア演劇界、そして映画界で大きな成果を収めていった。二人の関係は、トロツキーとメイエルホリドを想起させるとも指摘されている。セレブレンニコフは、一方でスルコフを通じたロシア政府の手厚いサポートを受けつつ、同時にリベラルな価値観を作品を通じて発する自由を得たのだ。

 ロシア政府による文化・芸術への風向きが変わったのは、2011年後半のことだ。この年の12月4日に行われた下院選挙に不正があったとして、ソヴィエト連邦崩壊後では最大となる反政府デモが起こった。デモの主体となったのは、ミドルクラスの労働者たちであり、彼らこそがセレブレンニコフ作品の主要な観客であった。プーチンは、こうした反政府的気運の拡がりに対してすばやく反応し、保守的価値観や反西欧イデオロギー、そしてロシア正教への回帰を強く打ち出した。プーチンはスルコフを文化相から退任させ、代わりにウラジーミル・メジンスキーをその地位に就けた。メジンスキーは国粋主義的なイデオローグ(因みに彼のアカデミックな経歴は剽窃された論文によって捏造されたものだという批判もある)であり、それまでロシア文化を代表していた前衛アーティストたちへの支援を次々に打ち切っていった。さらに、2012年にはプッシー・ライオットの3人のメンバーが逮捕される事件も起きた。セレブレンニコフが『The Student』によってプーチン政権の保守化を批判したのは、まさにこうした背景の下だったのだ。

 2017年5月、セレブレンニコフが芸術監督を務めていたゴゴル・センターの従業員3名が助成金横領の罪で逮捕された。演劇公演のために助成金を得ながら、実際にはそれらを上演しなかったというのが逮捕理由の一つだ。しかし、当該演目が国内および海外で上演された際の新聞記事までが存在し、弁護側がそれを提出したにも関わらず、新聞記事の存在は実際の公演が存在した理由にはならないと検察側は不条理な主張を展開している。そして、同年8月22日、『Summer(Leto)』の撮影のためにサンクトペテルブルクにいたセレブレンニコフは、ロシア警察によって逮捕され、同日の内にモスクワへと送還された。彼は現在自宅で軟禁状態にあり、メディアでの発言を一切禁じられているが、公聴会では次のように述べたと伝えられている。「私に対する告発は不可解で馬鹿げている。私は、私たちの国家の明るく力強い未来を築くためのプロジェクトに参加していると考えていたのです」。

 セレブレンニコフに対する告発は、彼の劇場が政府からの助成金を帳簿に記載されない資金へと転用したというのが主な理由となっている。しかし、大劇場では様々な日々の支払に追われ、法的に決して公明正大な方法ではないものの、当座の資金をこうした形で準備しておくことはほぼ常識となっており、ボリショイ劇場のような国家を代表する施設でさえその例外ではないだろうとも言われている。セレブレンニコフに何か落ち度があったとするならば、それは自分たちが悪意を持って根掘り葉掘り調べられたり、足を引っ張られることがないと考える程度には、政府にまだ信頼を持っていたことにあるとも指摘されている。ロシア国内の文化関係者で、この逮捕が政治的なものでないと考える人間は、ミハルコフのような例外を除いてほぼ存在しない。

 セレブレンニコフは、逮捕後、他のスタッフやキャストに連絡が全く取れないまま自宅で編集を続け、『Summer(Leto)』を完成させた。また、ボリショイ劇場の大ホールでも、彼の演出によるバレエ『ヌレエフ』が舞台監督不在のまま上演された。1961年にソヴィエトから亡命した偉大なダンサーであるルドルフ・ヌレエフを描いた作品であり、彼の同性愛者としての側面にスポットを当てているとのことだ。『ヌレエフ』は、発売後数時間で全てのチケットが売りきれ、興行的にも批評的にも大成功を収めた。公演後、舞台上に集まった演者とスタッフたちは、「舞台監督に自由を!」と描かれたTシャツを着用したとのことである。カンヌにおける『Summer(Leto)』上映の際にも、俳優たちとカンヌ国際映画祭ディレクターであるティエリー・フレモーが並び、同様にセレブレンニコフの名前が書かれたプラカードを掲げてレッドカーペットを歩いたとのことだ。

参照:
https://www.theguardian.com/film/2018/may/09/asghar-farhadi-jafar-panahi-travel-ban-iran-cannes
https://news.vice.com/en_us/article/7xwe8y/the-kremlin-may-have-arrested-a-russian-director-to-silence-him

https://www.newyorker.com/news/news-desk/the-rise-and-fall-of-russias-most-acclaimed-theatre-director
https://en.wikipedia.org/wiki/Vladislav_Surkov
https://themoscowtimes.com/news/russias-mnister-of-culture-vladimir-medinsky-keeps-phd-59326
https://www.theguardian.com/music/2012/aug/17/pussy-riot-sentenced-prison-putin
http://www.france24.com/en/20180510-cannes-film-festival-review-leto-serebrennikov-viktor-tsoi-soviet-russia-rock
https://www.screendaily.com/reviews/summer-cannes-review/5129112.article

Summer (Leto) | 2018 Cannes Film Festival Review

‘Leto’ Review: Putin’s Least Favorite Filmmaker Delivers a Spirited Requiem for the Leningrad Rock Scene — Cannes 2018


https://www.imdb.com/name/nm1970598/

Cannes Film Review: ‘The Student’

大寺眞輔
映画批評家、早稲田大学講師、アンスティチュ・フランセ横浜シネクラブ講師、新文芸坐シネマテーク講師、IndieTokyo主催。主著は「現代映画講義」(青土社)「黒沢清の映画術」(新潮社)。

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