アメリカの作家、ジョーン・ディディオンに関するドキュメンタリー映画『ジョーン・ディディオン:ザ・センター・ウィル・ノット・ホールド』が10月27日からNetflixで配信されています[*1]。
1934年、カリフォルニア州サクラメントで生まれたジョーン・ディディオンは現在82歳。カリフォルニア大学在学中に大学生を対象とした「ヴォーグ」誌のエッセイコンテストで優勝したのをきっかけにニューヨークに移住し、同誌のライターとしてそのキャリアをスタートさせました。1963年に処女小説『Run, River』を発表。その翌年に作家のジョン・グレゴリー・ダンと結婚し、ロサンゼルスに移住します。そこでヒッピーの生活やカウンターカルチャーに遭遇し、その光と影を記録したエッセイ集『ベツレヘムに向け、身を屈めて Slouching Towards Bethlehem』(同題は本映画の副題「The Center will not hold」と同じくイエーツの詩篇「再臨 The Second Coming」の一節から引かれています)と『60年代の過ぎた朝 The White Album』(原題はビートルズのアルバム名から取られ、ドアーズのレコーディング風景や1969年に起こったシャロン・テート殺人事件の公判などが活写されています)によって“ニュージャーナリズム”の騎手として脚光を浴びました。70年代以降は夫のジョンと共に『哀しみの街かど』(ジェリー・シャッツバーグ監督、アル・パチーノ主演)や『スター誕生』(フランク・ピアソン監督、バーブラ・ストライサンド主演)など映画の脚本も手掛けたほか、エルサルバドル内戦への米政府の関与を告発した『Salvador』や94年の大統領選を記録した『Political Fictions』といった政治評論も精力的に執筆しています。そして彼女の身に最大の不幸が襲ったのは2003年でした。一人娘のクィンターナが意識不明の重体で入院する最中、夫のジョンが心臓発作で急死。一時は病から回復したクィンターナも不慮の事故でその2年後に亡くなります。ディディオンは『悲しみにある者 The Year of Magical Thinking』『さよなら、私のクィンターナ Blue Nights』という2冊の本を書くことで2人の死に向きあいました。特に『悲しみにある者』はベストセラーとなり、05年の全米図書賞を受賞しています。

さて、要約しようと頑張ってもこれだけの長さになってしまう経歴を持つジョーン・ディディオンですが、これまで彼女に関するドキュメンタリー作品が撮られたことはありませんでした。それは他ならぬディディオン自身が拒否していたためだったといいます。その彼女が初めて自分を被写体に映画を作ることを許可した相手は、彼女の甥(夫ジョンの兄の息子)でもある俳優/監督のグリフィン・ダンでした。彼によると、本作を製作するきっかけは今から6年前に『さよなら、私のクィンターナ』のプロモーションビデオの制作を頼まれたことだったそうです。
「その時僕は彼女についてのドキュメンタリーがまだ1本も存在していないことに気づいた。それは彼女自身の選択だったわけだけどね。それで僕は調子に乗って僕にドキュメンタリーを作らせてくれないかって頼んでみたんだ。するといかにも彼女らしい“ええと、OK”という返答が返ってきて、僕はそれをイエスと捉えた。彼女の仕事がどれだけたくさんの人の人生に影響を与えているのか、自分が引き受けたことの重大さに打ちのめされてしまったのはその後だった。彼女の書いた本に自分の人生の指針を見つけた人もいれば、彼女の文章を読んでライターになった人だっているわけで、彼女の読者に対する責任のようなものを感じたんだ」[*2]

もしかするとジョーン・ディディオンの熱心な読者の中には、「ディディオンの仕事について期待したほど綿密な調査がなされていない」[*3]と不満を覚える人もいるかもしれません。あるいは逆に彼女についてよく知らない人にとっては、本作を構成するヴォイスオーヴァーによる彼女の作品(文章)の朗読が「誰がそれを読んでいるか、あるいはどの文章を読んでいるかをほとんど特定できず、カメラに映る声の主が誰かさえも特定できない場合がある」、「この映画の足元の不安定さ」 [*4]に戸惑うこともあるでしょう。しかし、グリフィン・ダンは彼にしかできないやり方で、ジョーン・ディディオンという類まれな女性の姿を照射しています。
彼はまず「僕に言うこと、あるいは見せることができるのはすでに彼女が書いたことなのではないか?」[*2]という問いから、「どうしたってラブレターになってしまうと思った。彼女は僕のジョーンおばさんだからね」[*5]と認めるところからこの映画を作り始めたといいます。
「彼女の仕事に対する批評を調べて読んでいく中で気づいたのは、彼女が常に神秘的で陰気な人物として描写されているということだった。アパートの中を死について考えながら歩き回ったり、ずっと神経衰弱に陥っているかのようにね。でも彼女は実に愉快な人だ。たくさん笑うし、笑うことが好きだ。そしてとても愛情深い人なんだ」[*2]

グリフィンの言うように、この映画の中で彼からインタヴューを受けているディディオンは決して口数は多くないものの、その細い手によるジェスチャーを加えながら笑顔で話しています。彼女にとってもこの作品の監督、インタヴュアーは気心がしれた甥っ子であることがとても重要だったそうです。曰く、「くつろいだ気持ちになれることが一番大切だった。何よりジョンとQ(クィンターナ)のことを知っている人に話せたのが良かった。他のインタヴュアーにその2人について言い表すことはできなかったはず」[*5]。
一方でグリフィンは自分の叔父であるジョンといとこであるクィンターナについて彼女と話すことは「ひどい苦痛でもあった」と言います。
「2人について話すことは僕よりも彼女のほうが容易だったと思う。僕にとって良かったのは僕が彼らの親類だったことで、だからこの映画を作ることを許されもした。でも彼らの親類だったことは悪いニュースでもあった。つまり僕は彼女が失った人たちのことを知っている。クィンターナは僕のいとこで、ジョンは僕の叔父さんだ。そして僕はジョーンに2人の死についてもう一度振りかえらせなければならなかった」[*5]

愛する家族の死について話すことに対するこの2人の反応の違いは、本作の冒頭に置かれた蛇に関する2人のやりとりを想起させます。「後期の作品に蛇がたびたび現れるけど子供の頃から潜在意識の中にあったイメージなの?」というグリフィンの質問に「ええ、そうだと思う」と答えたジョーンは、逆に「蛇を飼ってる?」と彼に聞き返します。「飼ってない。蛇は嫌いだ」とグリフィン。彼女はさらに「田舎で遭遇したらどうするの?」と訊ね、彼が「鍬で殺す」と答えると、彼女は「飼うのも殺すのも一緒よ」と笑ってみせるのです。
ジョーンは本作の後半でも再び蛇について言及しています。それは彼女がディック・チェイニー(ブッシュ政権時の副大統領)を糾弾した記事やセントラルパーク・ジョガー事件(公園で白人女性が襲われ、5人の黒人少年が犯人として逮捕された事件。少年たちは無実を訴えたものの有罪判決が下され、真犯人が見つかるまで10年近く服役させられた)について書いた記事について触れられた後で挿入されるナレーションの中に出てきます。彼女の声はこう語ります、「物事は調べるほどに恐怖心が薄らぐと知っていた。蛇と出くわしても視線を外さずにいれば噛まれることはない」と。
「フィルムコメント」誌に本作の映画評を寄稿したジョナサン・ロムニー氏は、このフレーズを引いて以下のように考察しています。
「それ(蛇と出くわしても視線を外さないこと)は彼女が夫と娘の死後に成したことでもある。ダン(夫)については2005年に『悲しみにある者』を書き、そして07年にその本を元に書いた戯曲でクィンターナの死にも思いを巡らせ、デヴィッド・ヘアとともにそれを上演し、11年の『さよなら、わたしのクィンターナ』でもう一度彼女の死について書いた。(グリフィン)ダンは甥としての愛情がこもった、ほとんど保護ともいえるような賛辞のもとこの映画を作っているが、一方で深く蓄積された痛みを明るみにしてもいる。ディディオンは彼女の視界の中にきらりと光る彼女にしか見えない蛇を捉え続けている。彼女は自分の娘(映画の中で彼女はクィンターナが酒に依存し、問題を抱えていたことをほのめかす)について“守るべき者として彼女を与えられながら、私は彼女を守ることができなかった”と言う。これは率直であると同時に厄介な映画だ。いくつかのドアは巧妙に閉じられているように感じるが、カメラの前にいるディディオン自身は彼女の文章と同じようにドアを開けたままにしておきたがっているのだ」[*6]

*1
https://www.netflix.com/title/80117454

*2
https://www.theguardian.com/books/2017/oct/25/joan-didion-center-will-not-hold-netflix-documentary

*3
https://www.nytimes.com/2017/10/24/movies/joan-didion-the-center-will-not-hold-review-griffin-dunne.html?action=click&contentCollection=Movies&module=RelatedCoverage&region=Marginalia&pgtype=article

*4
http://www.latimes.com/entertainment/movies/la-et-mn-joan-didion-documentary-review-20171026-story.html

*5
https://www.nytimes.com/2017/10/24/movies/joan-didion-documentary-the-center-will-not-hold.html

*6
https://www.filmcomment.com/blog/film-week-joan-didion-center-will-not-hold/

黒岩幹子
「boidマガジン」(http://boid-mag.publishers.fm/)や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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