*以下、オゾン監督の2017年公開の新作『l’amant double』のストーリーのネタバレを含みます。

ジェレミー・レニエ(『ある子供』『ロルナの祈り』)とマリーヌ・ヴァクト(『17歳』)が危険な刺激臭漂わせるこの長編作品の評価が割れた。
作品の熟達と独創性には祝福が、呆れさせるほどの複雑怪奇さにはブーイングが送られたが、どのみちその官能恐怖でカンヌを揺さぶったことは間違いない。

今年のカンヌでフランス映画の中では4番目、つまり最後にお披露目となり、土曜日というトリを飾ることになった、『Frantz』(2016)、『8人の女たち』(2002)
に続く今作。
精神不安な女クロエはかかりつけの精神療法医ポールと恋に落ちる。彼女は違和感をたどるうちに彼の秘密を知る。ポールには同じ精神療法医の一卵性双生児の片割れがいたのだ。

天才的、精神分析的で夢想的な回りくどい難解さで自滅、意味もなく必要以上に卑猥、などと評価を二分。

リベラシオン紙では“出来損ないの双頭神”と題し “けばけばしい装飾からは精神学的要素をほとんど見出せない”し、“筋書きは牙を抜かれたデヴィット・リンチ的悪夢のグロテスクに終始している”傾向にあり、“お金のかかっているB級映画に過ぎない”と酷評。
フィガロ紙では凝りすぎた構成もさることながら、女性蔑視だと批判。“不安で追い詰められているはずが、ヒロインはその場の快楽にいとも簡単に屈する。官能ホラーよりも最悪なのはサイコスリラーである。その二つをオゾンは混同してしまっている。完全無欠なアスリートなのだ。社会保障制度でチケット代は返金されるべき。”
パリジャン紙では、この“ロマンのかけらもなく、血しぶき浴びたサイコスリラーで味付けされた滑稽劇”に物申すため評論家があの『17歳』を監督した巨匠(オゾン)に公開書簡を送った。“フランソワくん、認めたまえ。君は女が嫌いなんだ”この作品にフェミニン連中の監督として自らを仕立て上げるための“歪んだ表現”を見出した映画評論会は反乱を起こしている。

双生児出生と女性性
その一方、作品の実験性の面から評価する立場をとる刊行物もいくつかあった。例えば、監督の洗練された演出と引用である。作中にはブライアン・デ・パルマやヒッチコックを筆頭に数多くのオマージュが見受けられる。
ル・クロワ誌にとって、誹謗者によって指摘される映画の欠点は、むしろ長所だ。演出は“正確”で“豪華な銀幕”を作り上げている。確かに脚本は“複雑”で“ある種の溌剌さが双生児出生と女性性のテーマを交差させている”そのためこの作品は映画玄人たち向けという印象だ。そのため「受賞を逃すまい」とするガツガツ前衛部隊たちではすくいきれない客層の受け皿だ。
ラ・デペシュにおいても同じような主張。この作品は反体制的で非分類的で魂の探求者と肯定されたフランソワ・オゾンそのひとを認める人にこそ意味をなす。もし観客が、何がこの作品の評価を二分しているのか、と自問するならば作品の再発見と映画を見る喜びをレベルアップさせられるだろう。

AFP通信は、彼の監督としてのリスキーな賭けなど何を前にしても尻込みせず、ヒッチコック的スリラー主義を貫き、ある種の極地に至っているのは賞賛に値するとした。このような映画は最近のフランス映画ではほとんどないために万人ウケするわけがないと評論家は実感する。ル・モンド紙の記者の目には、オゾンお得意の「いつものモチーフのいつもの名人芸」を批判的に利用したと映った。「一つのジャンル内の覇権で満足している怠け者であったオゾンは、掴むことのできない流動性のある景色や女性の無意識の演出に果敢にも身を投じた」
テレラマ誌はオゾンのあからさまで、作りこんだ演出を好意的に論じた。そして目に見える達成を見出した。これまでの彼の作品の中でこれほどまでに冷徹な上品さや医学的正確さでもって登場人物に肉薄したことはなかったという。

(参照)
http://www.lefigaro.fr/festival-de-cannes/2017/05/27/03011-20170527ARTFIG00151-cannes-2017-l-amant-double-de-francois-ozon-divise.php

賀来琳
慶應義塾大学文学部4年。好きな映画:午後の網目、ファニーとアレクサンデルなど。半日外にいると帰って猫に会いたくなります


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