皆さんはイスラエル映画といえば、まずどんな作品を思い浮かべますか? やはり一番有名なアモス・ギタイの作品でしょうか。あるいは昨年開催されたメナヘム・ゴーラン映画祭で上映された『グローイング・アップ』『サンダーボルト救出作戦』『カザブラン』など、ゴーランがイスラエル時代に手がけた多彩な作品を挙げる人もいるでしょう。近年の作品では、レバノン内戦を題材にした『レバノン』や『戦場でワルツを』、イスラエル内における人種・宗教の対立の問題を描いた『アジャミ』などの作品が国際的に高い評価を受けています。では、いまイスラエルではどのような映画が生まれているのでしょうか?
今日はイスラエル映画と映画界に起きている変化について書かれた記事をご紹介したいと思います。

先週LAタイムズの電子版に「イスラエルでは新しい映画の意識が出現している、不安とともに」と題された記事が掲載されました。[*1] そこでは先月開催されたカンヌ国際映画祭に出品された3本のイスラエル映画が取り上げられ、近年の同国の映画から大きな変化が見受けられることが指摘されています。筆者のSteven Zeichik氏は以下のように述べます。
「この数年、イスラエルの映画文化の大部分はさまざまな外的現実に焦点を当てていた。『レバノン』『アジャミ』『戦場でワルツを』のような映画はイスラエルと周辺諸国やパレスチナ自治区との緊張関係を見つめたものだった。イスラエルの映画プロダクションの多くは今もそのような分野に焦点を当てているし、先日テルアビブで起こった銃撃による死傷事件が明確に示すとおり、テロリズムや政治闘争はタイムリーな問題であり続けている。しかし、この国の映画は自分たち自身にレンズを向けつつある。それが世代の変化によるものなのか、メディアでトップニュースとして語られる話題に対する倦怠によるものなのか定かではないが、移民や女性の権利、マイノリティの同化、世代間の対立といった多様な問題が語られるようになっている」

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その最たる例として取り上げられるのはエラン・コリリンの最新作『Beyond the Mountains and Hills(Me’ever Laharim Vehagvaot)』[*2]です。エジプトの警察音楽隊がイスラエルで迷子になるという物語によって異文化の交流を描いた『迷子の警察音楽隊』で知られるコリリン監督が最新作で見つめるのはテルアビブに暮らす一組の家族の姿です。30年近く勤めたイスラエル軍から退役した父親は新たな生活の基盤となるものを見つけられず、長年離れて暮らしていた家族生活の中でも孤独を募らせていきます。そしてそんな生活の突破口を開くためにダイエットサプリメントの流通ビジネスに手を染めたことによって彼とその家族が次第にイスラエル社会の闇に巻き込まれていくという物語で、Zeichik氏は「かなり自己批判的な作品であり、この家族はある意味で岐路に立つイスラエルという国を象徴している」と評しています。そしてコリリンはこの映画を撮った経緯をこう語ったといいます。「長年、僕の中で“イスラエルらしさ”というのが大きな問題となっていたんだ。僕はそれを愛していたが憎んでもいた。イスラエルは自分の生まれた場所であり、恐ろしい場所でもあり、矛盾を抱えた土地だ。そして一般的に鏡を見ることを拒否する国だとも言われているけれど、僕はそのすべてを見たかった」

また、カンヌに出品された他の2作品も家族の映画でした。批評家週間で上映されたアサフ・ポロンスキーの『One Week and a Day (Shavua ve Yom)』[*3]は20代の息子を亡くした中年夫婦が、夫と妻それぞれの方法でその悲しみを乗り越え、現実に立ち向かっていく姿を描いたコメディ映画。『Beyond the Mountains and the Hills』と同じく「ある視点部門」に選出された女性監督のマハ・ハジによる『Personal Affairs(Omor Shakhsiya)』[*4]は、それぞれ別の土地に暮らす家族の生活をそれぞれが抱える“個人的な問題”を通して映し出した作品です。イスラエルの公的機関であるイスラエル映画基金を長年統括してきたカトリエル・ショリー氏によれば、実際こうした政治や紛争ではなくより実生活に根付く多様な社会問題をテーマにした企画が増えてきているとのことで、イスラエル映画に新たな傾向が生まれつつあるのは間違いないようです。

『One Week and a Day』

『One Week and a Day』

その一方でイスラエルの映画作家やショリー氏は現在、大きな不安を抱えているといいます。
イスラエルでは15年以上前に映画法という法律が制定され、国が映画製作のために年間2000万ドル(約20億円)を投じているだけでなく、テレビ局からの税収の一部がイスラエル映画基金などの機関を通して映画作家に資金として提供される仕組みになっており[*5]、その結果、映画の製作本数が増加し、現在では年間200本を超える作品が作られています。
しかし、昨年スポーツ・文化大臣に就任したミリ・レジェブ大臣が「“国家を批判している”と思われる映画の製作を制限し、“シオニスト、イスラエル人、ユダヤ人の”社会的視点を中心にした映画に力を入れたい」と発言したと報道されたり、イツハク・ラビン元大統領を暗殺したイガール・アミルについてのドキュメンタリーを上映しようとしたエルサレム映画祭の予算が取り消されたことで、映画関係者たちは大臣に対する不信感を募らせています。さらに今年のカンヌ映画祭でレジェブ大臣が主導して初めてイスラエルのパビリオンが設置されたことも、長年カンヌのマーケットで展示場を開設してきたイスラエル映画基金と対立する姿勢だと見る向きもあるとのこと。
文化省の映画担当者は「レジェブ大臣がいくら国家に反対する映画を嫌ったとしても、彼女には映画を変える力はない。イスラエルには様々な映画があり、誰もが自分が共感できる作品を見ることができる」と明言しているものの、ショリー氏は現状を非常に不安視しているといいます。「私たちは政府がテレビ放送局に干渉するのを見ていますから。彼らは芸術に携わる私たち全員があまりに独立しすぎており、そのことを好ましくないと考えているのです。いまのところ具体的なアクションはありませんし、話として聞いているだけです。しかし、いつ発言が行動に転じるかは誰にもわかりません」。エラン・コリリンも「僕にとって個人的な視点で映画を撮ることがとても大切なことだ。文化省はそれを抑制しようとしている」と危惧しています。
日本ではただでさえ公開される本数が少ないイスラエル映画。その新たな潮流がせき止められることなく、それを目にする機会が訪れることを祈るばかりです。

『Personal Affairs』

『Personal Affairs』

*1
http://www.latimes.com/entertainment/movies/la-ca-mn-israeli-cinema-20160601-snap-story.html
*2
http://www.festival-cannes.com/en/films/me-ever-laharim-vehagvaot
*3
http://www.imdb.com/title/tt4777584/
*4
http://www.festival-cannes.com/en/films/omor-shakhsiya
*5
http://www.outsideintokyo.jp/j/news/avimograbi_2-2.html

黒岩幹子
「boidマガジン」(http://boid-mag.publishers.fm/)や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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