5月14日からAmazon Primeで全10話からなるドラマシリーズ『地下鉄道~自由への旅路~』が配信されています[*1]。原作は2016年に出版され、ピューリッツァー賞や全米図書賞などを受賞したコルソン・ホワイトヘッドの同名小説で、バリー・ジェンキンスが全話を監督しています。「地下鉄道(Underground Railroad)」とは本来、19世紀にアメリカ南部の黒人奴隷たちが、奴隷制が廃止されていた米北部やカナダに亡命するのを奴隷廃止論者らが中心となって幇助した組織のことですが、ホワイトヘッドの小説およびこのドラマではその逃走のために実際に地下を走る鉄道があったというフィクションの要素が付加されています。
物語の主人公はジョージア州の農園で生まれながら奴隷として扱われてきた少女コーラ(スソ・ムベドゥ)。同じ農園主の奴隷だった母親は、まだ彼女が幼かったころに一人で農園から姿を消し、行方が分からないままです。コーラは自分を置き去りにして脱走した母親に反感を抱きながらも、代替わりした農園主から拷問を受けたり、脱走に失敗した奴隷が火あぶりにされるのを目の当たりにし、母親と同じ道を選びます。しかし、地下鉄道に乗って脱走したコーラを、かつて彼女の母親を捜し当てられなかったことを根に持つ賞金稼ぎのリッジウェイ(ジョエル・エドガートン)が執拗に追跡し、コーラの旅はジョージア~サウスカロライナ~ノースカロライナ~テネシー~インディアナと5つの州をまたぐ長い旅になっていきます。
監督のほか、製作総指揮と脚本にも携わったジェンキンスがこの作品の映像化権を取得したのは、『ムーンライト』がアカデミー賞を受賞する前のこと、原作小説が出版された直後のことでした。6~7歳のころにひとりの教師から初めて「地下鉄道」の歴史を教わったという彼は原作を読んだときのことをこのように回想しています。
「無邪気ではいられなくなり、現実の世界を学んでいく、そんな子供のころの感情が文学的に表現されていると感じた」[*2]。「僕の祖父は港湾労働者だった。彼は毎日ヘルメットに大工用ベルト、分厚いブーツを身に着けて帰宅した。子供のころ“僕のおじいちゃんのような人たちが地下鉄道を建設したんだ!”と思ったものだ。僕は作家としてのコルソンに精通していた。そして彼の本を読んですぐに絶対にこれが欲しいと思った。普通は本を読んで素晴らしい映画になるかもしれないと思っても、そう思うだけで終わる。しかしこの本に関しては総力をあげて手に入れる必要があると思ったんだ」[*3]。
ホワイトヘッドにコンタクトを取って面会したジェンキンスは、「2時間あまりでこの物語を語るとしたら、とても表現しきれない」[*2]、「この本の広範さを映像にするうえで最も良い方法だ」[*4]として、最初から長編映画ではなく1シーズン完結のドラマとして製作したいと申し出たといいます。その申し出を受け入れた理由をホワイトヘッドはこのように語っています。
「2016年の8月に『地下鉄道』の小説が出版されたとき、興味を持ってくれた何人かが連絡をくれたが、そのひとりがバリーだった。ちょうど『ムーンライト』が複数の映画祭で話題になるひと月ほど前だったので、そのときはまだその映画を観ていなかった。その後映画を観たらとても素晴らしかったので、僕はすぐに彼と話したいと思った。(中略)憶えているのは“モデルとして使おうと思っている奴隷に関する映画やテレビ番組は何かあるか?”といった質問をしたことだ。するとバリーはこういうふうに答えた。“奴隷の映画? いや、僕が考えているのはポール・トーマス・アンダーソンの『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』や『マスター』のような作品だよ”。それで僕は“それは良さそうだ”と思ったんだ」[*4]。
Sight&Sound誌が掲載したジェンキンスのインタビュー記事によれば、この作品を制作するにあたって彼はポール・トーマス・アンダーソン以外にも、「ボディ・ホラー的な側面はデヴィッド・クローネンバーグ、不気味なサウスカロライナのエピソード(2)はジョーダン・ピールの『ゲット・アウト』、ノースカロライナ(エピソード3)における監視の描写はヒッチコック、最終章の五感に訴える並行モンタージュはクレール・ドゥニから」[*2]インスピレーションを受けたと語ったとのこと。さらに同誌のインタビュアーは「彼のDNAに最も深い影響を与えていると思われる映画作家はウォン・カーウァイ」で、「それはこれまでの作品でも十分に見て取ることができるが、『地下鉄道』においてはホワイトヘッドの残酷な犯罪小説を美しいサーガへと変奏するうえで大いにその影響が感じられる」[*2]と記しています。
その一方で、「2018年にカニエ・ウエストがTMZのインタビューで文脈を排除したまま“奴隷制は黒人が選択したものだ”と語った事実によって、これらの物語がいまなお必要とされていることが再確認できた」[*3]というジェンキンスは、これまで映画やテレビドラマで奴隷制がどのように描かれてきたかという点も決して疎かにはしていません。
「(アフリカ系アメリカ人として初めてノーベル文学賞を受賞した)トニ・モリスンはアメリカの奴隷制の状態を“言葉で言い尽くせない(ineffable)”という言葉で表現した。本当にその通りだと思っている。私たちの祖先がどのようであったかを真に語り尽くすことができる映画やテレビ番組を作ることが可能なのかどうかもわからない。でもそれは挑戦しない理由にはならない」[*2]。
ジェンキンスにとって奴隷制を扱った映像作品の最も古い記憶は、1977年にテレビ放送されたアレックス・ヘイリー原作のドラマシリーズ『ルーツ』でした。またその四半世紀後に作られたスティーヴ・マックイーンの映画『それでも夜は明ける』も手本のひとつでしたが、ジェンキンスが同作と同じ原作を基にして1984年にゴードン・パークスが監督したドラマ「Solomon Northup’s Odyssey」の存在を知ったのは最近になってからでした。
「パークス氏の脚色を知り、彼が映画を制作しなければならなかった文脈を理解するのは興味深かった。その前に登場した『ルーツ』によって人々は一斉に音響と映像によって語られる奴隷制の物語に触れた。その映像はその時代に関する描写がどのように見られ感じられるかの基準になった。ソロモン・ノーサップの物語を語るには大きなプレッシャーや責任をともなうが、パークス氏の作品における尊厳的なパフォーマンスは物語自体と同じくらい重要だ。その作品では奴隷制がどのようなものであったのか、その現実的な状況は完全には描写されていないが、それは求められているものではない。スティーヴの映画では、パークス氏の映画が存在し、その流れを組むことでもっと自由にできたのではないかと思う。そしてスティーヴが自分の仕事を成し遂げてくれたおかげで、僕らはさらに一歩進むことができる」[*2]。
また、ジェンキンスはテオドール・アドルノの「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という文言に倣って「奴隷制の後に芸術作品を作ることは野蛮だろうか?」と質問したインタビュアーに対して、以下のように答えます。
「ホロコーストは本当に恐ろしい。しかしそれが起こっている間もホロコーストに関する映画は作られていた。もちろん、多くの作品が作られたのは後世になってからだが、それを文書化し、撮影し、表現するためのツールはすぐに利用できたし、そうしたイメージは威力を失うことがなかったので普及し続けた。もちろん今でもまだホロコーストを否定する人々は存在する。そして私が住むこの国にもいまだに南部連合旗をエンブレムとする州が存在する。南部軍の兵士の記念碑がいたるところにあり、今年の1月6日には連邦議会議事堂での暴動に南部連合旗を持って参加していた男もいた。州の権限のために南北戦争が戦われたという神話が存続することが許されてきた。僕の友人の映画作家、ネメシュ・ラースローが『サウルの息子』という映画を作った。ホロコーストを描いたイメージ、芸術は非常に膨大であるため、彼はひとつの場所でひとつの仕事を行うひとりの男を描くという非常にシンプルかつ特異な映画を作ることができた。ネメシュにはホロコーストや第二次世界大戦の全体的な状況については語らない自由があったんだ。もし僕が西アフリカからカリブ海へと向かう船に乗り込んだアフリカ人の男を主人公に『サウルの息子』同じような映画を作りたいと思っても、基礎が築かれていないから現時点ではその物語を語ることはできないだろう」[*2]。
このプロジェクトを進めるにつれジェンキンスは物語に埋め込まれたトラウマを十分に表現できるかどうかを恐れるようになったといいます。
「恐怖は常にある。しかしこれは今まで僕が取り組んできたことのなかで最大のトリガーとなる題材だ。それにともなう責任も大きい。何十年もの間根強く残ってきた僕の祖先に関する固定観念を助長するのではなく、再文脈化できればいいと思った」[*3]「僕はぞっとするような行為に関与した人の人間性を受け入れることを恐れはしない。そして観客がそれをわかってくれると信頼しているので、登場人物を正当化したり、共感を寄せたりもしない。その人物が人間的であったときを見ることでより恐ろしく感じると思う」[*2]。
彼らがこの作品に着手したのは、奇しくもドナルド・トランプの2016年の大統領選挙が本格化したころで、その次の2020年の選挙キャンペーンの際にも主なロケ地であるジョージア州で撮影が行われていました。
「トランプが2016年の選挙戦で勝利したジョージア州にいたので、周りは赤い帽子を被った人だらけだった」「“アメリカ合衆国を再び偉大な国に”というフレーズが何度も繰り返されていた。そのフレーズから私の耳に聞こえたのは知識の空洞だった。おそらくアメリカが偉大な国であったことなどなかったから。アメリカの歴史には大きな進歩を遂げた時期もあったが、常に暗い側面があった。そして僕は、よし、この作品を作るのは間違いなく正しいことだと思った。もしこのスローガンがひとりの男を国の最高機関の長にするほど強力なのであれば、ここにはまだ巨大な空洞があるということだからね…」[*3]。
ジェンキンスたちにとってこの『地下鉄道』は、内容だけでなく製作規模の面でも大きな挑戦でした。このドラマには撮影監督のジェームス・ラクストン、編集のジョイ・マクミロン、プロデューサーのアデル・ロマンスキーら、フロリダ州立大学の同窓生であり、『ムーンライト』や『ビール・ストリートの恋人たち』を一緒に作ってきた主要スタッフたちが参加していますが、彼らにとってこれほど長時間かつ大きなバジェットの作品を作るのは初めてのことでした。The New York Timesの記事によれば、本作の1日の製作費が『ムーンライト』の全製作費(約150万ドル)を超えることもあったそうで、プロデューサーのロマンスキーは「家族経営の小さな店の経営者からフォーチュン500(「フォーチュン」誌が毎年発表するアメリカの上位500社のリスト)のCEOになるようなものでした」と話しています[*5]。
撮影は新型コロナウイルスによる約半年の中断期間を挟んで、約13ヶ月にわたって行われました。ほぼすべての撮影がジョージア州で行われ、15パターンにおよぶ農場のセットや3000着以上の衣装などが準備されたほか[*5]、地下トンネルの蒸気機関車はサバナの鉄道博物館内にセットを造って撮影されたといいます[*3]。また、撮影現場にはセラピストが常駐し、トラウマを処理することが難しいと感じるキャストやスタッフをケアしました。「多くの人がセラピストと話していた」と語るジェンキンスは、撮影中に起きたひとつのエピソードを紹介しています。それは奴隷に残忍な拷問を加える場面を撮影する際に農園主のテランス・ランダルを演じたベンジャミン・ウォーカーがとった行動についてでした。「彼は“この撮影を始める前に、ロンドンにいる子供たちに電話をかけて、彼らを寝かしつけてもいいかい?”と聞いてきた。彼の隣に座っていたプロダクションアシスタントは“ごめんなさい。でも撮影を始めなければなりません”と言ったが、僕は“彼に電話をかけさせてやって”と頼んだ。彼は自分が良い人間であり、この人間(ランダル)とは違うことを再確認するためにそうする必要があったんだろう」[*3]。
主人公のコーラは自分を奴隷として捕えようとする人々から逃げ、自由を求めて旅を続けるなかで、自分を捨てたこと恨んでいた母親に思いをはせるようになり、彼女が払った犠牲について理解していきます。『ムーンライト』において自分の少年時代の境遇と重なる物語を描いたジェンキンスは、「振り返ってみると、奴隷の女性が子供を産んだ場合、その子供は彼女と引き離されてしまうということは非常に体系的なプロレスの一部だった」[*3]といいます。
「僕は24歳ごろまで自分が母親に捨てられたと感じていた。その理由のひとつが、コーラのように自分の母親が体験したことを、彼女の歴史をよく知らなかったからだ。僕は母がひどい薬物中毒に苦しんでいたので僕を捨てたのだと思っていた。僕はそのことで彼女を責めたことはない。でも正直に言って、彼女に見捨てられたという感覚を捨てることはできなかった。だからこの本を読んだとき、コルソンがコーラに憤慨し、怒ることを許すことが嬉しかった」[*2]。
ジェンキンスは「この作品を作り終えるまで自分の母親に関する作品とは認識していなかった。“これは自分の個人的なセラピーだ”と意識して取り組んでしまうと大事になってしまうから、それでよかったと思う。でもこの仕事を見渡した時、それがそう(自分の母親に関するもの)であることを否定はできない」[*3]と認めていますが、ホワイトヘッドの原作を読んだ時から「いたるところで子供が登場し、子育てに関する思想が貫かれている」点に魅了され、「彼らが行きついた場所ではどこでも人々が子供を守ろうとしていた。僕の祖先が行ったあらゆることは子供のためだった」[*3]と考えたといいます。そして、母親だけではなく、父親が、そして血のつながらない他者が子育てを行う「集団的子育て」という「偉大な行為」が奴隷制を含む黒人の歴史のなかで育まれてきたことを本作において提示しようとしたのです。
「僕がこの作品の中で一番好きな場面のひとつは、子供を持つことができない奴隷の男がポーチに座って、自分の子ではない子供たちのために人形を縫っているシーンだ。それは台本にはなかった場面で、撮影時に即興で生まれたものだ。セットに置いてあった人形を使って、その奴隷を演じるサム・マローンが繊細な演技を見せてくれた。僕はその姿を見て“奴隷にされた男たちはこういう行いをしてきたんだ”と思った。血のつながらない僕の父は、僕が家族に加わるまでの10年の間、自分の子供ではない僕の兄や姉を育てていた。黒人の男は何世紀にも渡ってそれと同じことを行ってきたが、それをイメージとして見ることはなかった。それはほんの小さなエピソードの一部に過ぎないけれど、この10時間におよぶシリーズはこうした瞬間のためにあるんだ」[*2]。
*1
https://www.amazon.co.jp/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E9%81%93%EF%BD%9E%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%97%85%E8%B7%AF%EF%BD%9E-%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%B3%EF%BC%91/dp/B08XC423TK
*2
https://www.bfi.org.uk/sight-and-sound/interviews/barry-jenkins-underground-railroad-series-adaptation-slave-flight-american-history
*3
https://www.theguardian.com/film/2021/may/09/barry-jenkins-the-underground-railroad-interview-moonlight
*4
https://www.townandcountrymag.com/leisure/arts-and-culture/a36108498/underground-railroad-series-amazon-barry-jenkins-colson-whitehead-interview/
*5
https://www.nytimes.com/2021/05/06/arts/television/the-underground-railroad-barry-jenkins.html?action=click&module=RelatedLinks&pgtype=Article
黒岩幹子
「boidマガジン」(https://magazine.boid-s.com/ )や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。
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