チェコ発のドキュメンタリー映画『SNS 少女たちの10日間』(原題V síti)が、4月23日より日本で公開される。  

本作品は、成人している3人の女優が12歳という設定でソーシャルメディアを利用すると何が起こるかを検証した映画である。その結果、10日間で彼女たちにコンタクトをしてきたのは2458人もの成人男性だった。映画の中では、彼らが「少女」を誘惑し、性的な写真を送らせようとしたり実際に会おうとしたりする様子が克明に描かれる。実際に映画の公開後、その多くは警察の取調べを受け、中には有罪判決を下された者もいる。本国チェコでは、初め15歳以下向けに編集されたバージョンが学校での視聴用に制作され、その後無修正版がリリースされた。インターネットを通じた性犯罪の実情にフォーカスする衝撃的な内容で、ドキュメンタリーとしては異例のヒットとなった。

監督のVít KlusákとBarbora Chalupováはドキュメンタリーを専門としている。特にKlusákにとって、本作の撮影手法(視聴者の反応を引き出す実験室のようなセット・精巧なストーリー)は、過去作品に通ずるものとなる。

彼らが映画を通して提示するのは、ある意味で非常に典型的な構造だ。一方には〈犯罪行為を犯す男性〉がいて、反対には〈犠牲者の少女〉がいる。性犯罪者の実態を暴くことをテーマにした作品の前例には、例えば2000年代初頭から放映されていたアメリカのテレビシリーズ『To Catch a Predator』がある。こうした作品は、それまで見過ごされてきた社会問題に対する注目を集める一方で、現状とその問題点に対する人々の感情的な反応を極端に引き出してしまう可能性がある。

チェコの映画批評家Martin Šrajerは『SNS 少女たちの10日間』の意義を認めつつも、そこには問題の背景にある社会的文脈への配慮が欠けていると批判する。

「この作品での性犯罪者たちの描き方には、彼らがどのような人々であるか、またどういった環境に属しているか、という点に対する考慮がなされていません。映画がこのように作られた原因としては、男性が今日駆り立てられている意識、すなわち弱い立場の人々に対して彼らがどう行動すると一般的に思われているか、という潜在意識があると考えられます。これは性犯罪者に限った問題ではありません。性犯罪は社会全体に関係する大きな問題が表面化したにすぎません。また、これは子どもやインターネット上のコミュニケーションだけの問題でもありません。メディア、広告、学校など、私たちを取り巻く全てのものがこのマインドセットを強化するものです。この映画は単にこうした社会的な文脈をなぞるもので、その結果、例えば多くの視聴者は登場する性犯罪者たちを小児性愛者とみなして自分たちと区別するようになります。制作陣が彼らは小児性愛者ではないとはっきりと述べているにもかかわらずです。この映画は、特定のグループに属する人々の行動に対しての恐怖を誘発することには成功しています。けれども同時に、より広範囲の関連性について考えさせることをせず、私たち全員に責任の一端があることを無視しています」

 

○性犯罪者の心理の分析

心理学者のHedvika Boukalováは「この映画に登場する加害者は、他人に対して限られた共感力や思いやりしかもつことができず、自分の欲求に囚われてしまう人々である」と述べ、さらにこう続ける。

「私たちが『SNS 少女たちの10日間』の中にみる加害者たちは、特に他の人や子どもを傷つけることに対する抑制力に乏しいタイプに分類されます。彼らは、強制や脅迫を利用しては他人の意思を蔑ろにし、さらには自分たちの行動が相手に害を及ぼす可能性があるかどうかを無視する傾向があります。少なくとも私の解釈ですが、映画の中において、彼らの多くは自身の性的満足に向けて迅速かつ直接的な手段を取りました。実はこれは子どもと接触する全てのタイプの犯罪者に一般的なことではありません。この映画の加害者たちは、自身の欲求のために他の人々を犠牲にします。作品の中で描かれる加害者の1人とのやりとりからは、彼が子どもを適切に育てなかったとして少女の両親を非難することによって、自分の罪悪感に対処していることがわかります」

Boukalováは、こうした共感力の欠如はSNSでのコミュニケーションがポルノグラフィーの一種として捉えられてしまうことに起因すると考えている。鍵となるのは権力の問題だ。残念なことに、私たちは他者に対する支配としての権力に執着しやすい。性犯罪者は実際のところ「自分は非常に無力だ」と感じているため、弱者に対しての支配に固執するのである。

「多くの人の予想とは異なり、この映画の中で加害者の多くは実名を使用しています。インターネットを使っている人々は実際に存在しており、そこで行われるコミュニケーションは本物です。だからこそそれが現実の性犯罪につながるのです。社会のデジタル化に伴う大きな変化の中には、こうした新しいタイプのコミュニケーションと関係性が要因となる、共感の喪失があります。特に大きな影響をもたらすのがポルノグラフィーです。ポルノを観ているヘテロ男性視聴者は、女優の性格にはなんの興味もありません。彼はその女優となんの個人的な関係も形成していませんし、それはただ欲求を満たすための手段にすぎません。もちろん、ほとんどの人はポルノや合意に基づく性的なコミュニケーションとそうでないものを区別することができます。しかし性犯罪者にとって、ソーシャルネットワークはポルノのジャンルの一種のようなもので、25歳の女性より12歳の少女の方が好みに合うのです。相手を自身の欲求を満たす手段とみなすことにより、本来コミュニケーションを取る上で必要な共感力は失われてしまいます。子どもに対する犯罪行為の原因は、性的嗜好としての小児性愛よりも犯罪者の性格や他人の感情への敬意の欠如にあると言われています」

 

○現実世界との関係性

映画は現実の問題を描いているが、視聴者に耐え切れないほどの打撃を与えることはない。それは映画が「作られた話」であるからだ。登場する子どもたちは実際には大人の女優で、映画自体が一種の社会実験である。彼女たちのボディガードは頻繁に視聴者の視界に入り、時折映される映画制作者たちの姿は、この話はフィクションであることをはっきりと示す。しかし同時に、制作者たちの姿やその反応が画面に映ることで、視聴者はこのフィクションを作り出しているのは現実の世界であるということに気付く。問題が起きているのは映画のセットを内包する“私たちの”世界である。この映画は、閉じられ、画面上に限定された100分の物語では決してない。それらは今も続いており、私たちはみなその登場人物だ。私たちはこの「物語」の舞台である、インターネットの世界で日々生活している。この映画は、私たち全員の外に、そして内にあるのだ。

今、私たちは大きな問題に直面している。個人とは、または他者の見解を考慮することができないほどに分解されつつある個人に基づく社会とは、一体なんなのだろうか。COVID-19の感染拡大により、多くの人にとってインターネットを使用する機会は格段に増えた。チェコをはじめとする多くの国で、子どもたちは今、教室ではなく自宅の小さな画面の前に座っている。1本の映画が表現できる内容は限られており、刺激的な映像とそのメッセージだけをそのまま鵜呑みにするのはもちろん適切ではない。しかし、こうした社会状況のなかで公開される『SNS 少女たちの10日間』は、私たちにインターネットを通じたコミュニケーションの脅威を秘めた可能性を改めて示し、さらには社会全体に問題を提起するものであるといえるだろう。

 

画像:aerofilms

《作品情報》原題 V síti (英Caught in the Net)/チェコ/2019/カラー/100分/チェコ語

https://mubi.com/notebook/posts/to-catch-a-czech-predator-barbora-chalupova-and-vit-klusak-s-caught-in-the-net

https://www.moderntimes.review/caught-in-the-net-should-really-be-on-the-net-if-its-going-to-change-anything/?fbclid=IwAR2o4vQf5DIT_nunOZX34rUs_enNM4-t9O6YXBRT519istyyo8W_dvguo3I

https://www.aerofilms.cz/v-siti-18plus/#

宮田佳那子

World News担当。大学では社会学を勉強しています。ドイツ映画が好きです。最近はハネケ作品にハマり中。


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