ミランダ・ジュライの最新監督作『Kajillionaire』[*1]が9月25日からアメリカ・カナダで劇場公開されています。映像作品だけでなく、パフォーマンスアートやインタラクティヴアートの作品を手掛け、作家、女優としても活躍するジュライの約9年ぶりの長編映画となる本作は、1月のサンダンス映画祭でプレミア上映された後、6月に劇場公開される予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で公開が延期されていました。延期が決まった当初は「計画が打ち砕かれて落ち込んでいた」というジュライ監督ですが、パンデミック下で先んじて本作を観ることができた人々と話すうちに、「現在の私たちのためにこの映画を作ったのだという考えを持ち始めた」と話しています[*2]。

「実数として数えきれないほどたくさん」といった意味の “Kajillion”というスラングと“Millionaire”(大富豪)を掛け合わせたタイトルを持つこの映画の主人公は、オールド・ドリオという風変わりな名前を持つ26歳の女性です。両親とともにロサンゼルスにある老朽した石鹸工場の事務室を間借りして住んでいる彼女は、毎日のように一家で街をうろついては小さな詐欺・窃盗行為を繰り返して暮らしています。彼女は子供のころから詐欺師となるべく両親から訓練を受け、学校を始め他者との交流を持たないまま成人した女性なのです。ミランダ・ジュライはこの女性と両親からなる家族の姿を夢で見たことからこの物語を着想したと語っています。
「正直にこの映画は無意識から生まれたと言わねばないでしょう。ある日、ひとつの家族のイメージを浮かべながら目覚めたの。それはこの映画で見られるような家族の姿だった。もちろん無意識とはいえ、その中から何かが主張してくるということは、自分が長い間そのアイデアの中を泳いでいたからよね。これは私が母親になってから初めて作る映画で、誕生、生まれ変わり、子育て、幼少期の謎に関するアイデアがすべて中心にあった。私にとって、幼少期についての物語をありのまま語るのは難しいことだったの。でもフィクションとして、その論理のなかで自分の感情的真実を保てるのであれば、うまくいくのではないかと思った。この映画の家族は私の家族ではないけれど、私たちの家族もさまざまな不安を抱えていたわ」[*3]。

社会やコミュニティから切り離された場所で独自の秩序やルールのもとに生きる家族の姿を、私たちは近年様々な映画で見てきました(たとえば『はじまりへの旅』や『足跡はかき消して』etc.)。さらにそこに詐欺師一家という設定が加わると、多くの人が『万引き家族』と『パラサイト』を思い浮かべるのではないでしょうか。ジュライ自身もちょうど本作の撮影を行う直前(2018年5月)にカンヌ国際映画祭で『万引き家族』がパルムドールを受賞したニュースを知ったときは驚いたと話しています。
「『万引き家族』は単に忙しかったのでいまだに観られていないんだけど、その時に“まあついてない。私たちが作ろうとしている映画に似ているみたい”と思ったのはよく憶えている。でもまさか『万引き家族』だけでなく『パラサイト』まで出てくるとはね。私たち映画製作者はお互いのことをまったく知らなくても、同じ空気を吸って同じ時代に生きている。そしてこの非常に不安な時代では真実が非常に掴みやすい一方で、世代的な隔たりが掴みにくくなっているんじゃないかしら。たぶんある時点でこうした現象を防ぐのは難しいと思う」[*2]。
また、IndieWireのエリック・コーン氏は本作のレビューにおいて、『万引き家族』と『パラサイト』を引き合いに出したうえで以下のように考察しています。
「絶望的な時代に詐欺師の家族についての物語が語られている。私たちがその物語を通して生きているように感じられるのは、過去3年このジャンルにおける新しい映画が登場し続けているからだ。まず是枝裕和の『万引き家族』が登場し、ポン・ジュノの『パラサイト』が続いた。そのどちらも自分の家族の価値観がおかしいのではないかと思い始める子供を中心に描かれていた。そして新たに登場したのがミランダ・ジュライの『Kajillionaire』だ。主人公が自身の自由意志を発見する物語がエヴァン・レイチェル・ウッドの並外れたパフォーマンスによって高められた『Kajillionaire』は、『万引き家族』と『パラサイト』の妥協点を示している。それは家族の絆がでたらめなものだという含意から誰もが小さな愛の鞭を受けるに値するという結果へと振れる、辛辣さをともなう地味なコメディドラマだ。デビュー長編『君とボクの虹色の世界』から15年、『ザ・フューチャー』から9年の年月が経ったが、この多作なマルチパフォーマンスアーティストはその間、著しく明確なビジョンを維持してきた。『Kajillionaire』は不器用で内向的な人々と周囲の世界とつながるための彼らの闘争に関する小さな物語であり、これまでのジュライの傾向をひっくり返すような大きな野心を見せてはいない。しかし今回、詐欺師一家のコンセプトによってそのテーマの探究に根差したフレームワークがもたらされ、この映画作家だからこそ導き出せる奥深い結末が築かれている」[*4]。

本作の見どころのひとつであり、オールド・ドリオという女性像に説得力をもたらす要素のひとつとしてあるのが、彼女の一家が働く多様な詐欺・窃盗行為の描写です。予告編映像にも含まれる郵便局の私書箱からの窃盗、あるいは飛行機での手荷物の置き引き、遠近両用メガネの訪問販売を装っての老人からの小切手帳の窃盗といった場面が描かれていますが、ミランダ・ジュライはあるインタビューで自身が若いころに実際に行った体験もそれらのアイデアの元になっているという驚きの告白をしています。
「若造だったころに私や友人がやっていたことを混ぜ合わせて利用したの。手荷物詐欺は実際にあったことよ。お互いを知っている者同士が見知らぬ人のふりをする必要があるため、当時の私はそれを一種の詩的な詐欺のようにとらえていたのね。社会のなかで知っている誰かを見知らぬ人として扱うゾットするようなアイデアを常に探していた。だから手荷物受取での詐欺行為の場面は脚本のなかで最初に浮かんだ場面のひとつだった。それから自分のデスクに座り、郵便局での詐欺を書いたときのこともよく憶えているわ。もしそのときの私を誰かが撮影していたら、私が空中に手を伸ばし、透明な私書箱を探る様子を見ることができたでしょうね」[*2] 「若い頃は私たちが皆何かを借りているように感じていた。私たちは程度の差こそあれ、皆そのことをどのように乗り越えるかを理解しようとし、そのために様々な創造性が適用されていた。奇妙なことだけど、私の家族の倹約精神も影響を与えていたんじゃないかしら。私は子供のころ何かがおかしいと強く感じていたの。例えばチェリオのような安い食品を買うときに、チェリオという商品名が書かれたクーポン券をレジ係が受け取ることを願う――それは“Slipping”(不注意)と呼ばれるもので、違法にはならないけれど、人々が忙しすぎて気づかないことを当てにするわけよね。兄と私は毎晩のように『ミッション・インポッシブル』を見ては、子供の視点から“Slipping”を『ミッション・インポッシブル』レベルの活動のように感じていた。そして一旦自由を手にすると、私は自身でそれを極端なものとしてとらえるようになったの。結局それはエネルギーの無駄遣いで芸術形態ではないと気づいたわけだけど。でもそのアイデアはその後も自分の後ろポケットに残っていて、今回この架空の正義のアウトサイダーたちのために使うことにしたのよ」[*3]。

オールド・ドリオを演じるエヴァン・レイチェル・ウッドは、ジュライのように実際に詐欺的な行為に手を染めた体験はないでしょうが、「私が出演した映画の多くは、私が経験してきたことあるいは当時経験していたことを反映している。それは無意識のうちに自分と関連することに引き付けられるということだし、セラピー的かつ精神浄化作用のある体験になっていると思う」[*5]との見解を持っています。
『Kajillionaire』を前情報がないまま見た場合、オールド・ドリオを演じているのがエヴァン・レイチェル・ウッドであることにすぐには気づかない人も多いでしょう。なぜなら長い髪の毛を無造作に垂らし、ぶかぶかのジャンパーを着た彼女は、私たちが記憶しているウッドの声とは異なる声を響かせているからです。ジュライによれば、オールド・ドリオが発する低い声はウッド自身のアイデアで生まれたのだそうです。
「私は俳優に映画全体を通していつもと違う声を出すように要求したことはない。エヴァンとリハーサルをしていた初期の段階で、彼女が突然自分の声を低くしたの。彼女はこんな風に言ったわ。“これが私の元々の声なの。昔よく声帯を痛めていたので、ヴォーカルコーチのトレーニングを受けたのよ。その結果、皆が知っている声で話すようになったんだけど、もし低い声を使ったほうがよければ…”って。私が“待って、冗談でしょ? その違う声はあなたにとって自然なものなの? 声色だったり、無理に変えているわけではないの?”って感じの反応を見せたら、“まったくそんなことない”って答えだった。実際のところ、彼女にとってそうすることが役柄に入り込む手助けになったのは明らかだった。そういうわけで声に関しては私の選択ではなかったわけだけど、声は私たちが好きに使えるジェンダーIDのひとつだと思う」[*2]。
また、ウッドはオールド・ドリオの人物像を形成するためにジュライとともにある “エクササイズ”を行ったといいます。
「私がミランダのオフィスに行くと、彼女があのぶかぶかの服を用意して待っていたの。私はその服に着替えて、シナリオに身振りを入れていった。ミランダは私からある種のコミュニケーションを取り上げ、制限を加えた。ある時点まで言葉を使うことができず、動物のような鳴き声、唸り声、あるいは騒音をたてることしかできなかったの。最後にはぐるぐると歩き回りながら、棚から本をどんどん投げ捨て、唸っていたんじゃないかしら」[*6]。
ジュライはそうしたプロセスをとった理由について、「言ってみれば彼女をシャットダウンしたかったの。ひとりの完全な人間でありながら、それまで生きてきた人生のせいであらゆる出口にアクセスできない、自身を表現する方法を持てないような」[*6]と説明します。「オールド・ドリオは愛情や肉体的な接触に慣れていないので、これらのエクササイズはその人物像を見つけるのに役立ったはずよ。すべてを取り除き、ゼロから彼女を作り上げる必要があったの。感情を抑制されることがどれだけ人を傷つけるか。誰かが私にボールを投げたら、私はそのボールを受けたことを知らせたい。ボールが永遠に落下し続けるのは恐ろしく感じるもの」[*7]。

ウッドはオールド・ドリオという人物について、「彼女は無条件の愛を知らない。彼女にとって愛は常に行動にのみ基づくものだった。実はそういう人は決して少なくないんじゃないかしら? ただ、オールド・ドリオはいかなる種類の社会規範も、自分がどのように見たり行動しなければならないかも全くわかっていないの。この映画の中ではジェンダーについて語られることがなく、セクシャリティも取り扱われていない。そのこと自体に、それはただそれだけのことだという、ミランダの驚くべき声明が含まれていると思うわ」[*5]と分析しています。
そのオールド・ドリオが自分の意志で人生を選択できることに気づき、無条件の愛を知るきっかけは、メラニー(ジーナ・ロドリゲス)という同世代の女性との出会いによってもたらされます。置き引きをするために乗り込んだ飛行機のなかで出会い、両親の気まぐれによって自分たちの一味に加わったメラニーに対して、最初は拒絶的な態度を示していたオールド・ドリオですが、彼女と交流を持つことで次第に自分の殻を破り始めます。ウッドは「本当に天才的なシーン」として、オールド・ドリオがジーナ・ロドリゲスの指先から古いつけ爪を不器用かつ繊細な手つきで剥がす場面を挙げ、「セックスを見せることなく、ものすごく性的に親密な場面になっている」と称賛し[*5]、また、ジュライはこのふたりの関係について「これは間違いなくラブストーリーだ」[*8]と断言します。
「もしオールド・ドリオを男性が演じていたとしたら、メラニーという登場人物が出てきたときに観客はそこにロマンスが生まれると思うでしょう。“かわいい女性が出てきた。最初は互いに嫌い合うがそのうちこの二人はくっつくんだろう”といった具合にね。私はこの話をそのように取り扱ったつもり。残念ながら何百万回と見られてきたラブストーリーとは違うのでそうだとは思われない人もいるかもしれないけれど、もしあなたがラブストーリーとして扱うのであれば、最初から明らかにそうなのよ。愛はオールド・ドリオの反発のなかにある。彼女がすることや言うことはすべて彼女の気持ちを裏切るものなの。私は彼女に愛を与えたかった。そして一見して平凡な女性がオールド・ドリオにただ愛を与えるためだけに輝く鎧をまとった騎士になるというアイデアをとても気に入っているわ」[*8]。

先に引用した本作に関するエリック・コーン氏のレビューはこのように結ばれています。
「ジュライのスタイルは知性に訴えると同時に不遜であるが、『Kajillionaire』はそうした闘争的なトーンをうまく調整するための最適な方法を常に見つけられているわけではない。しかし、ジュライの最大のコンセプトが根付いているかのように魔法は消えておらず、映画は彼女の以前の作品と調和し、思いもよらない瞬間に悲劇的なものから希望のあるものに変わる。ジュライは手紙をもとにしたパフォーマンス作品『Joanie 4 Jackie』以来、コミュニケーションの感情的な通貨としての側面を探究してきたが、そのテーマはここにも強く残っている。オールド・ドリオが新しい交流の可能性を探るとき、ここではそれをゼロから作り上げることが祝福されている。そういう意味で『Kajillionaire』は反-家族映画ではないのだ」[*4]。

*1
https://www.imdb.com/title/tt8143990/
*2
https://www.huffpost.com/entry/miranda-july-kajillionaire-interview_n_5f5b7dd6c5b6b48507ff81b8
*3
https://www.vogue.com/article/miranda-july-kajillionaire
*4
https://www.indiewire.com/2020/01/kajillionaire-review-evan-rachel-wood-sundance-1202206179/
*5
https://www.nytimes.com/2020/09/19/style/self-care/evan-rachel-wood-kajillionaire.html
*6
https://deadline.com/video/kajillionaire-miranda-july-evan-rachel-wood-gina-rodriguez-sundance-interview-news/
*7
https://www.vulture.com/article/miranda-july-kajillionaire-profile.html
*8
https://www.rollingstone.com/movies/movie-features/miranda-july-interview-kajillionaire-1062467/

黒岩幹子
「boidマガジン」(https://magazine.boid-s.com/ )や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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