本来であれば、5月12日から23日までの開催が予定されていた2020年のカンヌ映画祭。新型コロナウイルスによるパンデミックの状況下、3月8日の時点でフランス政府は、1000人以上の集会を全土で禁止する発表をおこない、以後、カンヌ映画祭は延期もしくは中止になるのではという噂が流れ始めた(1)。その後、政府が100人以上の集会を禁止したことを受け、6月末あたりでの延期開催の可能性についての声明が出されたものの、流行状況は終息の気配を見せず、後に無期限での延期が発表された。そして、とうとう5月10日に、正式な中止決定が伝えられるところになったのである(2)。

 

6月初めには、今年の公式選出作品のリストが発表されるということだが(3)、ポン・ジュノ監督がパルム・ドールとオスカーの同時受賞という64年ぶりの快挙を成し遂げた翌年ということで、今年のカンヌへの期待度はとりわけ高く、またスパイク・リー監督が73年の映画祭史上初めてアフリカ系アメリカ人として審査員長を務めるという点でも注目されていたため(21年のカンヌ映画祭でも引き続き審査員長を務める)(4)、非常に残念なことである。

 

今年中、なんらかの形での年内開催の可能性について、カンヌ映画祭総代表のティエリー・フレモー氏はこう語る。

「このような状況下で映画祭の物理的な開催をイメージすることは難しいです。よって、違ったかたちでおこなわなくてはならないでしょう。『映画祭』とは皆で作り上げるパーティーのようなものであり、何千人もの人々が集まるなかで、特定の場所に、この場合はクロワゼットですが、観衆が一堂に会するスペクタクルです。誰もが今年は開催不可能であると感じています。本質的にグローバルな存在であるカンヌ映画祭は、他の活動と同様に、犠牲にならざるをえません」(5)。

 

以下、『ScreenDaily』(SD)のフレモー氏(TF)へのインタビューからの抜粋である(6)。

 

SD:フランスで3月17日から始まったロックダウンの中で、どのように選定を進めましたか?

TF:全員が自宅で作業を進めましたが、選定期間としてそれはさほど悪いことではありません。チームは非常に熱心で、仕事は順調でした。私たちのようなシネフィルにとっては、創造の最前線に立てることはとても光栄なことです。彼らのノートはすばらしく、示唆に満ちていながら同時に愉快で、ぜひ公開できればと思っています。私たちはリンクで映画を受け取り、メモや電話会議を通して映画について話し合いました。作品数はいつもと同じくらいで、1500本以上の長編映画を見ました。

 

SD:通常、「公式選出作品」は1年かけて完了させますよね。ロックダウンされた時点で、選定の何割が完了していたのですか?

TF:選定は、少なくともこの時期としては通常どおりにおこなわれたと言えます。ロックダウン中でさえ世界中から映画が送られてきており、選定もいつもどおりのペースでおこなわれました。でも、3月と4月は最も重要な月であり、ロックダウンされた時点ではまだ選定の2割もできていませんでした。

 

SD:年明けにはすでにCovid-19の影響を感じられましたか。例えば、ウイルス感染が最初に起きたアジアからの提出作品は少なかったりしましたか?

TF:いいえ、全くそれはありませんでした。アジアからの応募は引き続きたくさんありました。ヨーロッパやアメリカでは死者数が増加していますが、これらの地域からの作品が減ったということもありません。

 

SD:今年はスパイク・リーが審査員長を務める予定でした。来年も彼が務めるのでしょうか。

TF:スパイク・リーは、どんな状況になろうが誠実に対応すると言ってくれました。来年は彼が審査員長を務めてくれることを願っています。これまでにもリー監督とはたくさんのやりとりをおこなっています。彼は、とりわけ新型コロナ流行の影響が深刻なニューヨークという街を象徴しています。作ったばかりのショートフィルムは、シナトラの『ニューヨーク、ニューヨーク』を用いてロックダウンされた街を描いたもので、非常に感動的な作品になっています。また、Netflixで制作したすばらしい映画『Da 5 Bloods』を見せてくれました。どんな内容かというと、ベトナム戦争の退役軍人である70代アフロ系アメリカ人のグループが、最後にあることを解決するために、ベトナムに再び赴くことを決意するというものです。見たくなりせんか?それは彼から私たちへのサプライズであり、Netflixがレッドカーペットに戻ってくることを示すはずのものでした。もちろんコンペ外作品部門ですがね。私たちは今回のカンヌ映画祭をすばらしいものにするつもりだったのです。

 

SD:カンヌ映画祭と、ベネチア、トロント、サンセバスチャン、チューリッヒなどの映画祭とのコラボレーションの可能性について、多くの噂が流れています。詳細を教えていただけますか?

TF:はい、それについては友人や同僚と話し合っています。例外的な状況には例外的な対応が必要です。多くの映画祭が私たちを招待してくれましたが、団結と連帯が不可欠なこの状況下において、それはとても感動的なことでした。カンヌ2020というロゴとオンラインでのマルシェ・デュ・フィルムというかたちをとり、「壁の外のカンヌ」(‘Cannes hors les murs’)としてこの秋に再構築されると思います。トロント、ドーヴィル、アングレーム、サンセバスチャン、ニューヨーク、韓国の釜山、そして現代映画とクラシック映画の祭典であり、多くの映画を迎えることになるリヨンのリュミエール映画祭にも行きます。そしてベネチアでは共同で映画を上映したいと思っています。

こうしたプランは公衆衛生の状況に左右されますので、現在検討中ではあります。6月にはもっと詳しいことがわかるでしょう。重要なのは、自分たちの都合を優先させるのではなく、映画をサポートすることです。ウェス・アンダーソン監督の映画『The French Dispatch』は、12月の時点に観て気に入った作品ですが、カンヌからスタートするはずでした。私たちはそれを誇りに思っています。ナンニ・モレッティの新作『Three Stories』も同様です。もしそれらの映画が他の場所で上映されることになるなら、それはそれでよいことだと思います。肝心なのは、できるだけ多くの観客に観てもらうことですから。この2本はすばらしい作品です。また、ピート・ドクター監督の『Soul』も同様にすばらしい映画です。

 

SD:映画関係者の中には、映画祭の計画が明確になっていないことに不満を感じる人もいます。これらの批判に対して、あなたはどのように思われますか?

TF:明確さに欠ける第一の理由として、全世界がこれまでに体験したことのない未知の状態のためです。私たちはこれまで自分たちの意図については非常に明確にしてきました。カンヌは5月に開催される予定でしたが、4月15日までに確定しなければなりませんでした。3月19日には、7月初旬に延期すると発表しました。しかし4月13日、マクロン大統領は、夏の間のすべてのフェスティバル開催を禁止しました。よって私たちは7月の計画を断念せざるを得ませんでした。そこで私たちは、デジタル・マルシェ・デュ・フィルムを企画し、6月初めには選定作品のためのロゴを作ることを発表しました。そして、6月に秋の予定を発表するという話をしたところですよね。スケジュールは完全に明確なのです。

一部のメディアが映画祭の中止を望んでいたのは事実であり、また中止は確定しました。しかし、会長ピエール・レスキュールと私は、私たちを頼りにしてくれている人たちを置き去りにして、今回の映画祭を簡単に放棄して第74回へと移行したくありませんでした。カンヌで表に立つことはかけがえのないことですが、それは義務を伴うものでもあります。私たちは、映画が私たちの生活に、劇場に、そして一般の人々のもとに戻ってくる日のために、力を尽くしたいと思っています。前例のない状況に直面していますが、これまでじっくり時間をかけて熟考し、すべての人が利するような再構築案を考えるに至りました。私たちは世界中の映画人や俳優たちのサポートを得ています。ツール・ド・フランスの友人たちとも話をしたのですが、彼らもまったく同じ状況にあります。

 

SD:今回の世界的な健康危機とそれに伴うロックダウンは、映画産業に取り返しのつかないダメージとなる可能性があると思いますか?

TF:予測ゲームをするべきではありません。私たちが信念を持って、シネフィル、観客、俳優、映画製作者、ジャーナリストと共に闘えば、取り返しのつかないことなど何も起こりません。この健康危機は全世界に影響を及ぼし、誰もが同じ状況に直面しているのです。映画業界に属する人々は、こうした事態によって弱体化するでしょう。私たちはこの山を登らなければならず、それは長い登り道になると思います。教育学、規律、博愛が必要とされるでしょう。しかし、独立系から大規模な映画館にいたるまで、映画館にとっては、経済的にも大きな課題となります。それは他の産業も同様です。

劇場上映だけでなく、配給業界全体を強化しなければなりません。もう一つの懸念は、映画の撮影です。映画製作者たちは、仕事を続けようとしています。脚本執筆をしたり、新しいスケジュールのもとで撮影を再開しようとしています。映画とは、見習いから監督まで、プロデューサーから配給会社や映画館経営者まで、パリやニューヨークからイタリアやインドの田舎にいたるまで、何千人もの人々を雇用する文化産業なのです。

 

SD:映画産業は立ち直れると思いますか?

TF:ええ、もちろんです。映画の終焉が叫ばれるのは今に始まったことではありません。ただ、それが決して真実ではないことは十分にわかっているのですが、メディアは、フランスにおいてさえも、そのことを十分には伝えていません。だから、答えはイエスです。すべてが元通りに立ち直るでしょう。サルトルが『言葉』の中で書いているように、映画が発明されて以来、映画なしでは生きていけないことが明らかになったのです。しかし、アングロサクソンのメディアの報道は、より悲観的で、劇場上映をサポートするよりはプラットフォームの成功を喧伝する傾向にあり、その姿勢はフランスのメディアとは違うように思います。

 

SD:フランスをはじめ世界各地でのロックダウン解除は、ゆっくりとしたプロセスになるかもしれません。業界が通常の状態に戻るまでどのくらいかかると思いますか?

TF:第二、第三の波がなければ、観客は映画館に戻ってくるでしょう。でも映画館がオープンしてから2~3ヶ月はかかるのではないでしょうか。私たちが願っているように、映画館が7月に再開できれば、素晴らしい秋を迎えられるかもしれません。しかし、すべての条件が整わない限り、再開すべきではありません。再開に向けての技術的なプロセスはスムーズに進むかもしれませんが、大局的なプロセスは長いものになるでしょう。夏が終わってから本当に人々が劇場に戻り、そして撮影が再開されれば、それはもう大勝利であり、素晴らしい年の瀬を迎えられることになり、来年のスタートに向けての準備が整うことになります。しかし、重要なのはウイルスの治療法を見つけることです。それまでは、私たちは今までとは違う生き方をすることになるでしょう。でも世論調査によると、人々はまた映画館に戻りたいと思っているのです。

 

SD:最大の課題は何でしょうか?

TF:まず最初に、いちばん想像しやすいですことですが、映画館です。映画館は何ヶ月もの間収入が得られず、このような状況の中で弱体化していくでしょう。ロックダウンが解除されれば、映画館はゼロからスタートしなければなりません。独立系映画館から大規模なシネコンに至るまで、それは大きなリスクです。それは他の業界も同様ですが。次に撮影です。特に、直接的にも間接的にも、仕事の多くの割合を撮影関連が占める地域では、深刻な課題になります。そして、2021年には映画祭関連の仕事は、参加できる映画の本数自体が少なくなるため、なかなか難しいものになるでしょう。

 

SD:リヨンで4つの劇場を運営するリュミエール研究所でのお仕事を通して、あなたは常にアート系映画館をサポートしてきましたね。このままでは、アート系映画館まわりが大きなダメージを受けるのではないかと心配されていますか?

TF:映画館をサポートするには…映画を観に行くのが一番ですね。昔、リヨンのある劇場が、最後の上映でもって閉館を「お祝い」したことがあります。支配人は「今夜は大勢の方が来てくれて嬉しいです。でもふだんの夜はこんなに大勢のお客さんは来てくれませんでした。だから皆さんに感謝はしていません」と言いました。それが全てを物語っています。もし足を運ばなければ、映画館は滅びるでしょう。それだけの話です。多少の努力は必要ですが、映画に行くなんてそんなたいそうなことじゃないですよね?

とりわけ賃料関連の保護措置、そして経済面での対策が必要になるでしょう。ドイツ人がやっているように、解雇はしないことです。そして誰もがいつでも通常の状態に戻れるよう準備しておくのです。2008年には銀行が保護されました。2020年には映画館、劇場、書店を保護しようではありませんか。個人的には、生きていくために銀行が必要です。でも、映画館も必要なのです。

 

SD:5月12日が近づくにつれ、映画祭と強いつながりのある映画製作者やその他の著名人から応援や一致団結のメッセージは届きましたか?

TF:世界中から非常に多くのメッセージを受け取っていますし、5月12日の週にはさらに多くのメッセージが届くと思います。映画祭の信念の力、立場の明確さ、映画や俳優たちを擁護する姿勢に、誰もが祝福の意を表しています。ついに皆さんと再会できたときには、大きな盛り上がりをみせるでしょう。

 

NY Timesの記事には、今回の映画祭の中止を受け、世界中のさまざまな映画人のカンヌ映画祭への思い出、そして映画の未来についての想いが寄せられている。そのなかから少しだけ紹介してみる(7)。

 

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

『アモーレス・ペロス』(2000年)で、初めてカンヌ映画祭に行きました。実はそれが人生で初めての映画祭への参加だったんです。予算がほとんどなかったので、部屋がかなり安いという理由で、カンヌから25分ほど離れた町に泊まることにしました。

ある日、午後7時からのウォン カーウァイ監督の新作『花様年華』の上映会直前に、他の監督たちとの報道用写真撮影会に招かれました。妻マリアと私は、6時15分にタクシーに乗ればちょうど間に合うだろうと思っていました。タクシーが予約でいっぱいになるとは思いもしなかったので、タキシードとロングドレスにハイヒールを履いていたにもかかわらず、私たちには走る以外の選択肢はありませんでした。外は35度もあり、車は渋滞で動きません。走りながら、妻は靴を脱ぎました。私は上着を脱ぎ、蝶ネクタイをとり、ボタンを一つ、二つ、三つとはずしていきました。

私たちは午後7時1分に到着し、私はジャケットを着ました。全身に汗が流れるのを感じました。「皆さん、笑顔で!」フラッシュがたかれ、カメラのシャッター音が響きます。「チーズ!」。

映画作家にとって、伝説のパレ・デ・フェスティバルに足を踏み入れるという経験は、カトリックの子供がバチカンに行くようなものです。私たちは後方の座席から、私たちの40倍は大きいスクリーンで『花様年華』を観ました。映画の後、マリアと私は10分近くもの間、完全な沈黙のまま歩きました。私たちは突然、海のそばで立ち止まりました。マリアは私を抱きしめ、私の肩ですすり泣きました。私も同じように彼女の肩で泣きました。『花様年華』は、私たちを言葉も発せないほどに深く感動させてくれました。それは、あまりにも辛いことがあっても、なぜ私は映画監督になりたかったのか、気づかせてくれた瞬間でした。

 

アリーチェ・ロルヴァケル

カンヌは私の人生を変えました。カンヌで観た映画は私の知性に自由な広がりを与えてくれましたし、また監督としての私を歓迎してくれました。そんな思いを書いていたら、窓の外から隣人のカルロの声が聞こえてきました――彼もカンヌとつながりがある人です。

トラックの運転手をしていたカルロ・タルマティは、父の大敵だったので口をきいたこともありませんでした。私たちの家とカルロの家は隣接する丘の上にあります。父とカルロがお互いに罵り合い、非難し合うと、その叫び声が森の中に響き渡ったものでした。

私が『夏をゆく人々』のキャスティングをしていた時、カルロはオーディションに現れました。敵の登場に私は困惑しましたが、彼は生まれながらの役者だったのです。一緒に仕事をするうちに、私たちは互いのことをよく知るようになりました。作品がカンヌ映画祭に選ばれると、私はパニックに陥りました。カルロを連れて行きたかったけれど、家族も連れてきたかったからです。映画祭の真っただ中で喧嘩が始まったらどうすればよいのでしょう?2014年、『夏をゆく人々』のためのレッドカーペットで、姉のアルバと手をつなぎ、映画に出演した4人の子供たち、両親と私の娘、素晴らしいモニカ・ベルッチ、そして信じられないことにカルロと一緒だったことを思い出します。私は緊張して父から目を離せませんでした。上映中、カルロと父は映画の中に互いを発見しました。二人は共に笑い、そして泣きました。彼らは互いを恐れていたのです。二人とも私たち皆で作った作品をとても気に入り、上映後のパーティーでは、二人はふざけ合っていました。数日後には、二人は親友となっており、もはや離れられない関係になりました。

もはや怒りの叫び声が森に響くことはなく、友好的な挨拶が取って代わりました この隔離期間中、田舎で孤立していた両親が唯一会っていたのは、カルロ・タルマティでした。一人では無理であった農作業も協力し合っておこない、そして毎晩寝る前に電話で連絡を取り合っています。

 

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ

今年の5月は、映画を愛するすべての人が喪失を感じることになるでしょう。カンヌは私たちの第二の故郷であり、私たちの作品を歓迎し、注目を集めてくれた母国のようなものですから、とりわけ大きな喪失を感じています。来年こそは、スパイク・リーが審査員長を務めるカンヌにぜひ戻ってきたいと思っています。2021年5月の開催を待つ間、この活動の休止期間を利用して、私たちの作品、映画、社会における映画の機能について熟考すべきだと考えています。

映画の未来は、個人空間でのストリーミング・プラットフォームにあると言う人もいます。その証拠として、この隔離期間中にプラットフォームの利用が増加していることがあげられています。しかし、この増加は、社会生活が禁じられたロックダウン中の社会のニーズにストリーミングが適していることを証明しているに過ぎないのではないでしょうか?私たちは本当にこのようなパラノイア的世界に生きたいのでしょうか?私たちは、公共の場で一緒に過ごしたいと願う社会的な存在ではないでしょうか?特に、映画館で自分よりも大きなスクリーンで映画を共に観た後で、カフェやレストランに集まって、今観てきた映画について語り合ったりしたいと望んでいるのではないでしょうか?今回のことで、健康、教育、文化に関する基本的な権利をリーダーらに要求すべきであると、私たちは気づくべきではないでしょうか?おそらく、新しいタイプの一致団結が起こりつつあるのでしょう。それを望むかどうかは私たち次第です。

 

アルノー・デプレシャン

カンヌには何度も行っているのですが、カンヌについて語るのはいつもとても難しいですね。観客が映画をどのように見るか、その手段が映画界にとっての大きな革命になっています。ベネチア映画祭が、『ROMA』という素晴らしい作品を受け入れた一方で、Netflixが制作したこの映画を拒否したティエリー・フレモーの立場も理解できます。映画界は危機の真っ只中にあるわけで、そして今回のウイルスによって、こうした問題を解決することが迫られるでしょう。

この危機を乗り越えるためには、新しい組織、新しい団結、新しいやり方を新たに創り上げなくてはならないでしょう。あと一年は現状のままでいこう、いやさらにもう一年このままでいいのでは、という思考ではいけません。絶対にだめです。『ROMA』がカンヌで上映されなかったのはばかげたことでした。なぜならその年の最高傑作だったからです。そしてご存知のように、もともとカンヌに選出されていたのです。

 

是枝裕和

初めてレッドカーペットを歩いた時のことは決して忘れないでしょう。それは2001年のことで、私は38歳でした。その瞬間の私の記憶は、プライドや自尊心、達成感とは無縁なものでした。あえて言うなら、畏れを感じていました。なぜなら、映画の広大な地平とその歴史の豊かさのなかにまさに身をおいていたからです。そして、自分というちっぽけな存在と監督としての未熟さを受け入れた時、喜びを経験しました。自分は一滴の水に過ぎないけれども、映画という豊かな川を流れているという気づき。映画を作る時にしばしば経験する孤独感とは裏腹に、自分が世界と深くつながっているという認識。それがその年のカンヌ映画祭で得られた最大の報酬でした。

 

 

 

 

(1) https://www.nytimes.com/2020/03/19/movies/cannes-film-festival-coronavirus.html

 

(2 ) https://variety.com/2020/film/global/coronavirus-cannes-cancels-physical-edition-venice-official-selection-1234603004/

 

(3) https://www.nytimes.com/2020/05/12/movies/cannes-critics.html?searchResultPosition=1

 

(4) https://www.francetvinfo.fr/culture/cinema/festival-de-cannes/cannes-2014/cannes-2020-annule-thierry-fremaux-expose-ses-solutions-pour-faire-vivre-le-festival_3963751.html

 

(5) https://www.screendaily.com/interviews/thierry-fremaux-talks-cannes-2020-official-selection-plans-exclusive/5149699.article

 

(6) https://www.festival-cannes.com/en/infos-communiques/info/articles/thierry-fremaux-talks-cannes-2020

 

(7) https://www.nytimes.com/2020/05/12/movies/cannes-critics.html?searchResultPosition=1

 

 

Mizutani Mikiko

いつもミニシアターがサードプレイスでした。そして、これからもずっと‥‥

 


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