11月から世界各国で劇場公開が始まっているジェームズ・マンゴールド監督の最新作『フォード VS フェラーリ』[*1]が、いよいよ日本でも1月10日に公開されます。1966年のル・マン24時間レースに挑戦したフォードの戦いを描いた本作がどのように制作されたのか、マンゴールド監督をはじめとする主要スタッフのインタヴューをもとに紹介します。
1960年代前半、事業拡大&イメージ戦略のためモータースポーツへの参入を計画したフォードの社長、ヘンリー・フォード二世はその手っ取り早い方法としてスポーツカーの名門フェラーリの買収を画策するも失敗。フォードは打倒フェラーリを掲げ、当時フェラーリが4連覇を果たしていたル・マン24時間に自社で開発したフォードGT40を3台持ち込み参戦。しかし参戦初年の64年は途中でマシンが壊れ全車リタイア、フェラーリの優勝を許す結果に終わります。そこでフォード社が白羽の矢を立てたのが、1959年のル・マン優勝ドライバーであり、病気のためカーデザイナーに転身したキャロル・シェルビー(マット・デイモン)でした。そしてシェルビーがスピードと耐久性を併せ持つマシンを作り上げるためにスカウトしたのが、高いマシン開発能力を持つ凄腕のドライバー、ケン・マイルズ(クリスチャン・ベイル)。限られた時間のなかでフォードGT40を絶対王者のフェラーリに勝てるマシンに改良する使命を背負った男たちの苦闘と友情を描いたのが、この『フォード VS フェラーリ』という作品です。

モータースポーツの大ファンというわけではなかったジェームズ・マンゴールドがこの実話に魅了されたのは、「すでに存在する優れたものをしのぐものをゼロから作り上げる人々の奮闘」[*2]だったといいます。
「僕はシェルビーとマイルズに、彼らの車を作る闘いに大きな共感を覚えた。それは様々な障害を乗り越えて映画を作ることに似ている。僕は魔法をかけて、人々にうまいことを言って、自分たちの合理性について説得を試みることができる。このような映画が作られない理由はたくさんあり、時々は自分が邪魔者であるように感じたり、映画を作ることに疲れたり、帽子を投げ捨てたくなるような時もある。“彼らは何故それを必死に作るのか?”そこには怒りが必要であり、同時に優しさと甘い言葉も必要になる。映画作りは僕にとって友人を作る方法でもある。僕は12歳のときに父のスーパー8を使って映画を作り始めた。それが僕にとっての社会生活で、それは今でも変わらない。一緒に仕事をすることで築かれた友人関係は他の何にも代えがたい。先日(『ウォーク・ザ・ライン』で共に仕事をした)ホアキン・フェニックスとばったり会ったんだ。彼に会うのは6年ぶりだったが、5分しか離れていなかったような感じだった。それは僕らが一緒に深い何かを経験したからで、誰にもその美しい経験を奪うことはできない。それはシェルビーやマイルズたちにも感じたことだし、彼らもまた互いのことを同じように考えていたと思う」[*3]。
そしてマンゴールドにとってシェルビーとマイルズの共闘関係を描く上で欠かせなかったのが、ふたりを演じたマット・デイモンとクリスチャン・ベイルの存在でした。
「ふたりの陰と陽の友情関係は、1枚のコインの裏表のようなものだ。シェルビーはもはや描くことのできないアーティストである一方で、世界一のディーラーだ。彼はマイルズのアクションを通して生きている。自らの発言に注意を払わず、真実に生き、勝利を追求しないマイルズもシェルビーを必要としている。彼は自分自身であろうとする誠実な男だ。それがこのキャラクターに心を動かされた理由のひとつだ。僕はこの役柄はベイルに似たところがあると感じていたので、彼に演じて欲しいと願っていた。彼は僕にとって芸術家としての忍耐力と柔軟性を併せ持った存在で、そのキャラクターに関する考えや自由な連想を観客に伝えることができる。彼は素晴らしい父親であり、愛情あふれる夫であり、素敵な友人だ。彼は有名になることに興味がない。ピックアップトラックを運転し、オートバイでレースをしていたが、怪我をしたとき、子供ができたときにそれを止めなければならなかった。完璧主義者であるクリスチャンの中にはケンと共通する部分がたくさんある。彼は自分のために何かを達成しようとする。自分の理想に引き込むように、他者を導くことができるのは一種の魔法だ。そこにはエネルギーがあり、そのエネルギーは映画のセットにも浸透する。そして、マット・デイモンは調停者にうってつけの人物だ。シェルビーの中にもマットと同じ部分がたくさんある。彼はレーサーであり、あらゆる意見に耳を貸し、多くの人を引き合わせることに興味を持っている男でもある。キャロル・シェルビーはその生涯においてずっと映画スターのようであり続けた。彼は笑顔とちょっとした優しさが救いとなる場面についてよく理解している。それはマットが持つその役柄と通じる部分のひとつだ」[*3]。

マンゴールドはあくまで人間ドラマを作りたかったのであり、そのために史実とは異なる要素も取り入れたことを認めています。また、車づくりとレースに情熱を注ぐ人間を描くうえで、24時間耐久というレースのフォーマットが重要な要素だったようです。
「この映画には大きなごまかしがある。(エンツォ)フェラーリはル・マンには姿を現さなかったが、私は強引にその場に彼を居させることにした。子供や母親やフェラーリが電話したりラジオを聞いたりするカットを挿入することに我慢がならなかったからだ。歴史よ、申し訳ない! 我々は実話に近づけたが、あくまで物語のためにそれを形作っている。実際には撮影できたよりももっと多くのレースがあったが、スポーツ映画を観て育ってきた僕としては、7~8つのレースを編集で組み合わせるという方法は取りたくなかった。私を夢中にさせたのは24時間レースというアイデアだった。言葉で説明するのは簡単なことだが、実際にそのレースを見たら、やべえ!と言うほかない。そのレースはマシンと男たちにとって困難なものだ。24時間を11分で描いたところでそのレースについて伝えることはできない。言ってみれば僕らは『プライベート・ライアン』を逆の順序で作っていった。90分のドラマを見た上で戦争に行く。レース自体はほぼ1時間、没頭するものにした」[*3]。
1時間以上にわたるル・マンのレースシーンの撮影には、この映画で語られる物語と同じようにスタッフの技術と工夫、奮闘が求められました。プロダクションデザイナーのフランソワ・オデュイはレースシーンの撮影について以下のように説明しています。
「当初からこの映画には全体の3分の1に相当する膨大な第3幕、1966年のル・マン24時間レースの場面が予定されていた。ル・マンはおそらく世界一有名な、フランスの田舎道(公道)をその一部とした約8.5マイル(13.7㎞)のレースコースだ。我々はアグアダルシー(カリフォルニア州)の空港に4~5ヵ月の間セットを組んで撮影した。田舎道のシーンはアトランタの郊外とサバンナ(ジョージア州)のレースコースで撮影した」[*2]。
「僕らは最終的に34台の車をゼロから組み立てた。数々のマシンを再制作するにあたって、よりリアルに作るためにできるだけ多くの情報が欲しかった。フェラーリには何百個もの赤いリベットを手作業で取り付けたんだ。他にもレース用シートベルトやステアリングホイールのエンブレム、車体に貼られたステッカーなど骨は折れるけれど愛すべき細々とした部品を加えていった」[*2]。
また、サウンドデザイナーのデヴィッド・ジャンマルコは、レース中の車内の音をいかに録音、構築していったのかを明かしています。
「ジム(マンゴールド)は我々に登場人物とともにマシンに乗りこむことを望んでいた。コースに飛び出していく瞬間にマシンの中いるのはどのような感じなのか、サスペンションがガタガタと音を立て、あらゆるものが揺れるその環境を作りたかったんだ。車体がガタガタ鳴る音、振動、屋根に落ちる雨音。フォードGT40の車内の窓の掛け金にはブラブラ揺れる小さなリングがついている。その音はあまりに小さいので、編集担当者は一度消してしまったんだ。でも監督はサスペンションがうなり、エンジンが大きな音を立てる中で存在するその小さく微かな音を愛していた」[*2]。

そして、『アイデンティティ』『ウォーク・ザ・ライン』『3時10分、決断のとき』『ナイト&デイ』でマンゴールドとともに仕事をしてきた撮影監督のフェドン・パパマイケルは、レースカーのスピードを伝えることを意識しながらも、過剰な見せ方を避け、革新的なショットを生み出すことにこだわらなかったといいます。
「ル・マンのレースに関してはドキュメンタリーやフランスの16mmフィルムのフッテージなど素晴らしい素材がいくつか残っていた。それをもとに我々はかなり信ぴょう性の高いピットを組み立てた。レースが始まる前にマシンがずらりと並ぶ場面の色彩も正確なものだ。つまりほとんどのパレットは与えられたものであり、実際に行われたレースによって決定された。私はあまり多くのカラーやライト、フィルター、DIを使いたくなかった。過剰に様式化したくなかったんだ。できるだけ自然の光によって、デザインそのものからルックを引き出したかった。夕暮れ時の場面が多いが、日没の時間は限られていたので、太陽がセットの上に来た時に準備して常に急いで撮影した。それは視覚デザインによるものではなく、実際に暗く揺らめく光のなかで撮影したものだ」[*4]。
「走る車はあらゆる速度を伝えることができる広角レンズを使って、わずかな距離かつ地面からなるべく低い高さで撮影したときが一番ダイナミックに見える。地面が見えることが大事なんだ。カメラが数インチ離れると、別の車がフレームに入り、カメラのマットボックスにほとんど接触しそうだったけどね」[*2]。
「カーアクションの映像では、オリジナリティのある反復的ではないショットを撮るのが難しい。我々はたくさんの素晴らしい車のコマーシャルやチェイスシーンのある映画、「ジェイソン・ボーン」や「ワイルド・スピード」のシリーズ、『ベイビー・ドライバー』を見てきた。私たちはあまりに意匠をこらすことはしたくなかった。追いついてきた追跡車両から見えるショットやヘリコプターやドローンを使った空撮ショットをあまり使いたくなかった。古い映画を観ていて最も魅力的なのはドライバーの顔が映ったショットだったからね。当時の映画スタッフはF1マシンやグランプリマシンに巨大なパナビジョンカメラを搭載してそうしたショットを撮っていたんだよ。マンゴールドはカーマニアでもレースマニアでもないが、もちろん我々はレースシーンでも良い仕事がしたかった。だが同時にヘンリー・フォード二世、キャロル・シェルビー、レオ・ビーブ、リー・アイアコッカといった偉大な素材(人物)を描き切ることも大切に思っていた。それはかなり伝統的なことで、超革新的なところは何もない。ダイアローグだって“ブレーキが熱くなってきている!”といった端的なものばかりだしね」[*4]。

レースシーンの臨場感だけでなく、人間を描くことを大切にしたというパパマイケルの発言を裏付けるものとして、マンゴールドがこの映画のある場面の撮影時の逸話を紹介しています。
「映画を作る上で最も難しいのは素晴らしい瞬間を見つけ出すことだ。過去の優れた功績を蛍光ペンでなぞったり、過剰生産したりして台無しにすることなく、どこを見てその瞬間をどのようにとらえるかを知っていなければならない。フェドンはそうした瞬間を見つけ、繊細にとらえることができる。彼は役者と物語を理解し、その時が来ればルールを破ることも厭わない。この映画にはヘンリー・フォード二世のオフィスで非常に静的な場面を撮影した。フォードを演じるトレーシー・レッツは椅子に座ったまま、彼の周囲をうろつく他の登場人物に背を向けたままである決断を下す。それは僕が事前に検討していたものではなかったが、根本的に見事な決断であり、そのシーンにおける他のあらゆる選択肢に影響を与えるものだった。フェドンはその方法を気に入り、これで行こうと僕の背中を押してくれたんだ。誰のことも見ないことで、トレーシーは計り知れないパワーを自分の内に蓄積している。ついにマット・デイモンと向かい合うとき、彼は頭を45度回転させて、それまでに蓄えておいたすべてのエネルギーを使う。爆発といってもいい。涙も叫び声もないまま情緒的に高まるシーンになった。この映画の中で一番気に入っているシーンのひとつであり、フェドンのサポートやデフォルト設定に逆らう意志がなければ、それを撮影する勇気は持てなかったと思う。映画において、いつ、いかにして意図的に自信を持って規範から離脱するかは非常に重要なことだ」[*5]。

*1
https://www.imdb.com/title/tt1950186/
*2
https://www.latimes.com/entertainment-arts/movies/story/2019-12-11/filmmakers-ford-v-ferrari-james-mangold-matt-damon-christian-bale
*3
https://www.indiewire.com/2019/11/ford-v-ferrari-james-mangold-studio-movie-needle-matt-damon-christian-bale-oscars-1202188601/
*4
https://filmmakermagazine.com/108647-the-studios-dont-really-make-movies-like-this-were-like-dinosaurs-dp-phedon-papamichael-on-shooting-ford-v-ferrari/#.XfoD3M7grcs
*5
https://ascmag.com/articles/ford-v-ferrari-inside-the-arena

黒岩幹子
「boidマガジン」(https://magazine.boid-s.com/ )や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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