東京国際映画祭日記3『隣人たち』『ガーディアンズ』


 

 東京国際映画祭2日目の昨日は、ワールド・フォーカス部門の『ガーディアンズ』『隣人たち』、日本映画スプラッシュ部門の『うろんなところ』の3本を観た。

 

 ※以下ネタバレを含みますのでご注意ください。

 

 まずはグザヴィエ・ボーヴォワ監督作品『ガーディアンズ』The Guardians, 2017)について。といっても、この作品については本日のWorldNews「女たちの戦争『ガーディアンズ』(グザヴィエ・ボーヴォワ)」http://indietokyo.com/?p=6903)でその詳細が紹介されているので、ここでは手短にいこうと思う。

 

 全体的に落とされたトーンの中、淡々と農家としての仕事をする女性たちが描かれる。セリフは少なく、激しい感情の吐露もほとんどない。バストショットで捉えられる無言で叫ぶような表情がまた、画面にある種の静けさを醸し出している。先述の記事でも触れられているように、甘美すぎない映像になっているのはそういったことも関係しているだろう。それでもこの作品には、二つの叙情的な要素がある。音楽と手紙だ。音楽は名匠ミシェル・ルグランによるものだが、映画全体で曲が流れるのは数シーンだ。手伝いとして雇われたフランシーヌが女主人オルタンスのもとへやってくるときやオルタンスが息子の戦死を知ったときなど、物語が“事件”を迎えるときだけで、そのいずれもセリフはなく映像と音楽だけで語られる。また、手紙はこの物語の“ロマンス”を支えるものとして存在する。会えなくともやり取りを続けるうちに「ムッシュー・ジョルジュ」から「愛しいあなた」、「心を込めて、フランシーヌ」から「あなたのフランシーヌ」に変わっていく様は、戦中の恋愛を描く小説や映画などでは珍しくないとはいえ、抑制された画面にその詩的さを際立てたせる。そのバランスが絶妙なのだ。

 

 

 続いてはツァヒ・グラッド監督・主演作品『隣人たち』The Cousin, 2017)。作品の内容に入る前に少し、監督のプロフィールを紹介しておこう。ツァヒ・グラッドは1962年生まれ、イスラエル出身の監督・俳優である。代表的な出演作品に、アハロン・ケシャレス、ナヴォット・パプシャド監督作品『オオカミは嘘をつく』(2013)、監督作品に『Girafot』(2001)、『Foul Gesture』(2006)がある。今作は、それに続く長編第三作目で、ヴェネツィア国際映画祭オリゾンティ部門やワルシャワ国際映画祭などでも上映された。

 

 さて、この『隣人たち』は、イスラエルとパレスチナの対立をめぐって小さなコミュニティで起きた「事件」についての物語である。地元メディアのパーソナリティをしている主人公ナフタリは、仕事専用の小屋を改装するという長年の夢を叶えるために職人を雇う。その職人がパレスチナ人のファヘドだった(ちなみに彼の働く会社名は“サイード家族塗装”)。「イスラエル人もパレスチナ人も一緒に集まって話せば分かりあえる」という考えをもつナフタリだが、狭いコミュニティの中でそのような考えを持つものはほとんどいない。近所で事件が起こったといえば、それはパレスチナ人が起こしたに違いない、と信じ込むような人々なのである。そこで浮き出てくる人と人との衝突、そして自分自身が抱える葛藤をこの作品はコメディ的要素も入れつつ描いている。

 

 ここからは、Cineuropeが監督に対して行ったインタビューを紹介することにしよう。

 

Cineurope:あなたの演じた人物ナフタリは芸能界の著名人です。彼は少しあなたに似ていますよね。

 

ツァヒ・グラッド:監督しながら演じるのは難しい。[……]当初、彼のキャラクターはもっと何かにのめり込んでいて専門バカになっている男にしたかったんだ。ウディ・アレンっぽくね。でも私はもっと自分の演技に集中しなければならなかった。私の書いた脚本を読んだサミュエル・マオズには、「君はこれを書いて、監督したいと思っている。その上主人公まで演じなければならないのはなぜなんだ」と言われたよ。いい返答が見つからなかった。私はただ、演じなければ、と思ったんだ。

 

Cineurope:この作品は監督の家で撮影されたんですよね?

 

ツァヒ・グラッド:そう、あれは私の家だし、私の子どもたちだし、私の車だよ。そしてまた、私も同じような社会的取り組みを行っている。この映画での多くは現実なんだ。というのも、私は身の回りであったことばかりを描いたからね。空き地での射撃音さえもだ[……]。

 

Cineurope:ナフタリは彼らの問題を解決するために人々を結びつけなければならないと考えています。あなたもそう思いますか?それとも、ナフタリは少し純真すぎると思いますか?

ツァヒ・グラッド:私は[ナフタリの考えているようなことが]起こり得ると考えている。私たちはメディアを信じすぎているが、メディアが報じているのは爆破やISISのことばかりだ。そういったことにはぞっとするが、もっと多くの問題が存在するんだ。私は本当にこう思う。互いを非難するかわりに座って会話を始めれば、“他者”だって自分に似ていると分かるはずだ、と。しかし何年も争っているから時間がかかる。私たちの指導者は、書類にサインすることだけを重要視して、それで全てがうまくいくと思い込んでいる。それは違う、時間がかかるんだよ。私はネルソン・マンデラでもシモン・ペレス[イスラエルの元大統領]でもないが、二、三歩前進することはできるし、できれば他の人にもついてきてほしい。同じ水を飲んでいるのに、一緒に生活する方法を見つけ出せないなんてことがあるだろうか。

 

Cineurope:この作品に出てくる人物は座って話そうとはしません。彼らは正しい行動をしないことの口実を求めています。

 

ツァヒ・グラッド:彼らは恐れているんだよ。私たちの行動の多くは恐怖によって刺激される。ある日私に何が起こったと思う?家に帰るために運転をしていて、まったく同じ方向へ向かう二台のパトカーを見た。するともう一台のパトカーと、逮捕されている三人がいた。私の家の右隣だった。そのことはいまだに恐ろしいよ。もしあなたの隣人がペドフィリアで有罪を言い渡された人だったら、もちろん心配するでしょう。この葛藤が私たちの生活の一部となって消えづらくなる。映画の登場人物たちはちょっと退屈していて、何か興奮するようなことが起きるのを待ってるんだ。

 

Cineurope:完璧な人なんていません。ナフタリはその理想的な考えがあっても、向きを変えて逃げることになります。

 

ツァヒ・グラッド:ほとんどいつもナフタリはファヘドを守ろうとする。けれども、彼は自分自身にちょっと嘘をついている。だからのちに「わからない」となるんだ。彼はもはや扱いきれなくなった。どこで止まるべきなのかも、どこがゴールなのかも分からぬまま山を降りてしまったかのようにね。そして最後には突然墜落する。『隣人たち』では、誰が悪人かだなんて分からない。何か悪いことが起きそうな気がするだけだ。映画監督は自分たちの好きなように映画を撮るけれど、私は人々に考えてもらいたいんだ[……]。

 

『隣人たち』の上映スケジュールは以下のとおり。

10/27(金)21:30 TOHOシネマズ六本木ヒルズScreen3

10/30(月)14:25 TOHOシネマズ六本木ヒルズScreen7

 

 思わず長々と書いてしまいましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。『うろんなところ』についてはまた後ほど。

 

 

 

引用

http://cineuropa.org/it.aspx?t=interview&l=en&did=333966

 

 

 

原田麻衣
WorldNews部門
京都大学大学院 人間・環境学研究科 修士課程在籍。フランソワ・トリュフォーについて研究中。
フットワークの軽さがウリ。時間を見つけては映画館へ、美術館へ、と外に出るタイプのインドア派。