本記事では、東京国際映画祭で上映されたテオドラ・アナ・ミハイ『市民』を紹介します。

『市民』La Civil

ベルギー、ルーマニア、メキシコ / 2021年 / 135分
監督:テオドラ・アナ・ミハイ (Teodora Ana Mihai)

 映画は、母シエロと楽しそうにおしゃべりをしながら化粧をする娘ラウラのクロース・アップから始まる。支度を済ませ、デートへと出かけるラウラ。シーンが変わり、シエロが車を運転していると、後ろから追い抜いてきた車が突然前方へと割って入りシエロの車の前で停車する。車から降りてきた男がシエロのもとへとやってくると、娘を誘拐したので返してほしければ10分後に店へ来い、と言い残して去っていく。

 身代金と、夫の車を要求されるシエロ。別居中の夫に相談し、犯罪組織に車と身代金を支払うものの、娘はいっこうに帰ってこない。知人や警察に相談しても、何も捜査してはくれない。解決へと至らないことを悟ったシエロは、一人で捜査に乗り出し、軍へ協力を要請しながら、犯罪組織に勇敢に立ち向かっていく。

 メキシコでは、毎年数万人を越えるものたちが行方不明となる。犯罪組織と暴力が野放しにされ、麻薬戦争が蔓延している社会において、女性は一人で出歩くこともままならない。市民たちは犯罪組織に怯えながら生活しており、映画において映し出されているのは、果断に犯罪組織へと立ち向かうものだけではなく、そのような市民たちのなかにあって、恐怖によって犯罪組織へと加担してしまうものたちの姿である。アクションシーンがあるものの、直接的な暴力描写は注意ぶかく避けられている。映画の多くのショットは被写界深度が浅く、ぼやけていることもあるが、それによって焦点を失いかけながらも闘いぬくシエロの心理状況がじゅうぜんに表現されている。

 『市民』は、ルーマニアのブカレスト出身の監督テオドラ・アナ・ミハイが、メキシコ北部で実際にあった誘拐事件と、その組織にたった一人で立ち向かった母親ミリアム・ロドリゲス・マルティネスを題材にして撮影した作品である。ダルデンヌ兄弟がプロデュースをしており、今年のカンヌ国際映画祭のある視点部門と、新人監督部門であるカメラ・ドールにも選出された。

 

≪作品情報≫
『市民』La Civil
2021年 / カラー / 135分 / スペイン語 / ベルギー、ルーマニア、メキシコ
監督:テオドラ・アナ・ミハイ
出演:アルセリア・ラミレス
   アルバロ・ゲレロ
   アジェレン・ムソ

 

板井 仁
大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。