開催中の東京国際映画祭より『愛しい存在』『リトル・ガール』『私は決して泣かない』を紹介します。この3作品は若い世代に映画の楽しさを伝えることを主旨としたユース部門より、国際映画祭で評価が高く、高校生世代に刺激を与える作品を紹介する「TIFFティーンズ」と題して特集されています。
「ティーンズ」だけあって3作とも若い世代の人物を映画の主人公としていますが、ただその物語や精神的な葛藤を追うことだけに留まらず、彼らの置かれた状況や問題に対する関心の裾野を広げていくきっかけになるような視点を持っている作品群だと感じました。
『愛しい存在』(91分・カラー&モノクロ・英語・2020年・アメリカ・原題:Sweet Thing)
父と弟と暮らしているビリーは、自身の名前の由来である歌手のビリー・ホリデイへの憧れを抱いている。学校へは行けず、愛情深いものの酒を飲むと人が変わってしまう父親を支える生活を送っていた。やがてビリーと弟のニコは母親の元へ身を寄せるが、そこでも交際相手からの暴力に遭う。二人は出会った少年マリクに助けられ、ともに逃避行に出る。
安らげる場所のない3人の逃避行の旅は辛い運命を辿る一方で、映画の起点である家族の物語は突然に悪い夢が覚めたかのような幸せな結末を迎えるが、それに拍子抜けするというよりは良かったと素直に胸をなでおろしてしまう。その時に、とにかく彼らの平穏をただ願ってしまうほど、主人公の姉弟の存在に魅入ってしまっていることに気づいた。
『イン・ザ・スープ』(1992年)などで知られるアメリカのインディペンデント映画作家アレクサンダー・ロックウェルの最新作で、主人公であるビリーとニコの姉弟は監督の長女と長男、二人の母親は監督の妻である女優のカリン・パーソンズが演じているという家族ぐるみの映画でもある。その情報を踏まえると、姉弟が家族や周囲の大人のために過酷な運命を強いられる物語とは裏腹に、映画には全く違うもう一つの家族の姿が透かされてくるようでもある。
モノクロの映像の中、クローズアップで捉えられた表情の陰影だけで心情を表しているかのような主人公たちの顔は、作り込んだ演技をしているようには見えないのにしみじみと胸に迫る。彼女らのどんな表情をいかに撮れば魅力的になるのか、ずっと近くで見て知っているような眼差しが背後にあるのではないかという気がしてしまう。
16㎜フィルムで撮影されたざらついたモノクロ映像で本編が展開される中で、一瞬だけビリーの抱く夢想や憧れがカラーで色づいている。悲惨な状況の中で、そこにはあるはずもない一番美しいものだけが輝いて見えるという、こうして書くと何処かで見たことがあるようにも思える仕掛けなのに、全てが鮮明に印象に残っている。
周囲の大人たちに頼ることができないティーンが主人公の、本作に通じるような要素の多い映画はこの世に数あるのかもしれない。しかしこの映画を突き動かしているのは、理不尽な運命を必死に生きてゆく主人公たちの存在や、心の中で抱き続ける希望といった、美しいものの美しさを鮮やかに確実に収めてゆく力で、それこそが本作を唯一無二のものにしている。
TOHOシネマズ六本木にて、以下の日時に上映予定。
11月8日(日) 19時10分
『リトル・ガール』(85分・カラー・フランス語・2020年・フランス・原題:Petite Fille・英題:Little Girl)
男性の身体で生まれてきたものの、自身の本来の性は女性だと捉えている8歳のサシャとその両親、兄弟たちの姿を捉えたドキュメンタリー。主に母親や家族へのインタビュー、サシャたちの日々の生活の風景で構成され、サシャが通う学校に、彼女の性別を登録として認めてもらおうと必死に働きかける姿を追っている。
本編中、サシャが好きな洋服を選んだり、あるいは踊ったりして心から楽しむ姿が、とても無垢な存在として描かれているように感じた。一方で、サシャの母や父、姉といった家族たちは、サシャに対してしっかりと意思を表明し、その理解を言葉で表しているだけでなくその決然とした表情を正面から捉えられている。本作はサシャ本人だけでなく、サシャの周囲の人物について深く探ったドキュメンタリーであると言える。それは、サシャという存在に対してどのように応じるかということが、その人のあり方を映し出しているということを示している。
サシャは学校へ女の子として通うことができるようになったものの、また別の場所での壁が現れる。そのような理不尽な困難が次々と現れるのは承知の上で、あくまでも献身的にサシャに向き合い続けるのは何故なのかと尋ねられた母親の答えは、この作品の持つメッセージを一番強く伝えている。そしてその言葉を美しく肯定するようかのようにサシャの姿を捉えたラストシーンによって、作り手たちも立場を表明しているように感じた。
監督のセバスチャン・リフシッツはこれまでドキュメンタリーのほか『夏の終わり』(2001年)、『南へ行けば』(2009年)といった劇映画など、ジェンダーやアイデンティティをテーマに扱った作品を多く手掛けてきた。性と身体の不一致が思春期ではなく幼少期に自覚されることを知り、取材を続ける中でサシャの母に出会ったことが制作のきっかけだったという。
TOHOシネマズ六本木にて、以下の日時に上映予定。
11月8日(日) 13時20分
『私は決して泣かない』(100分・カラー・英語、ポーランド語・2020年・ポーランド/アイルランド・原題:Jak najdalej stąd・英題:I Never Cry)
17歳のオラは、母親と重い障がいのある兄の三人で暮らしている。出稼ぎに出ている父親から車を買ってもらう約束のために運転免許を取ろうと何度も試験に挑戦しているが、上手くいかない。そんな中、父親が仕事中の不慮の事故で死亡したとの報せを受け取る。オラは父の遺体を引き取るため、単身アイルランドへ向かうよう頼まれる。
旅立つ前、空港へと向かうバスに乗り込むオラは、アルコールの持ち込みはできないと注意を受ける。そこで手にしていた瓶の中の残りを一気に飲み干す。その瞬間からスイッチが入ったかのように、ただひたすらに状況を打破するがために進み続ける。遺品のタバコを吸いながら、ある時は盗み、脅迫し、不法侵入し…と必死さのままに手段を選ばずノンストップに動き続ける彼女の行動が映画を押し進めてゆく。
父親の遺体を故郷へと還す旅は、出稼ぎに出ていて親しくなかった父親の知られざる人生を知ってゆくという旅でもある。しかし、それは目的への障害となってオラを困惑させるばかりだ。
オラの目的の前に立ちはだかる障害は、オラにはどうしようもないことばかりで、それどころかオラが会う大人たちにももはやどうしようもないことが殆どだ。父の行動におおよそ原因のある理不尽の中にオラは一人で放り込まれてしまう。あらゆる困難に、オラは自分の力で対処するほかない。しかし苛立ちの矛先を向けようにも父親はもういない。オラはどうにか「車を買ってもらう」というかつての約束だけは守らせようとするが、映画は全く違う視点を提示し、彼女の父親の人生を捉えさせようとする。
本作は故郷に家族を残し働いた男の人生を追う移民の物語である一方で、人は思っていた以上に身勝手だが、思わぬところで親切でもあるということを知るロードムービーでもある。
アイルランドの旅で絶えず移動し行動し続け、いつもどこかへ向かっていたオラがポーランドへ帰ってくる。父の葬儀を終えて、最後には車に乗ってスピードを上げてまっすぐに走り出す。結局車を買ってもらうことはできなかった。そこにはやり切れなさのある一方で、それを突き抜けてゆくエネルギーと衝動と、少しの切なさがある。
監督・脚本を務めたピョートル・ドマレフスキは本作が長編映画第二作目。ポーランド映画祭2019で長編初監督作『クリスマスの夜に』が紹介されている。
本作はポーランドがEUに参加して以降一般的になったという、経済的な理由での人々のEU間の移住に端を発した物語でもある。それについて尋ねられたドマレフスキはこのように語っている。
「現在より多くのアーティストが大きな題材と誇大な人物像を探していると感じるが、それは私の好みではない。私自身は、題材やストーリーは選ばず、テーマに焦点をあわせていく。この作品の場合探ったのは、疎遠だった親との失われた繋がりを探すというテーマだ。私にはそれが”EUの孤児”の物語と完璧に合うように思えた。”普通の”人々についての映画を作ること、特にプロデューサーたちへサポートを説得するのは容易ではないが、幸運にも私はそうすることができた。」*
主人公オラを演じたゾフィア・スタフィエイは1200人の中からオーディションで選ばれた。彼女も2年間、母親と兄弟をポーランドに残したまま仕事に出向いた父親と共にダブリンに住んだことがあったという。
*https://www.cineuropa.org/en/interview/393428/を参照
吉田晴妃
四国生まれ東京育ち。大学は卒業したけれど英語と映画は勉強中。映画を観ているときの、未知の場所に行ったような感じが好きです。