【リヨンひとりある記】その二、《Mektoub My Love : Canto Uno》鑑賞日記。


 

こんにちは。フランス・リヨンの田中めぐみです。

長かった冬がようやく終わり、春の匂いがしてきた今日この頃。人々は太陽の照る時間はなるべく外に出て、公園や川岸、カフェのテラス席でそれぞれの時間を過ごしています。美白対策などくそくらえ!一分でも長く太陽の日にあたることが健康の証、とでも言うように。

 

ブログ第二回目の今回は、現在フランスで公開中の話題作の鑑賞報告です。日本の皆さんに一足早く“超”私的感想を綴ります。日本ではいつ観られることやら。

 

Mektoub My Love : Canto Uno(原題)

2016/フランス/2h 55min

監督:アブデラティフ・ケシシュ

出演:シャイン・ブムディーヌ、オフェリー・ボー、サリム・ケシューシュ、ルー・リュティオー、アレクシア・シャルダール、アフシア・エルジ

配給:Pathé Distribution

http://www.pathefilms.com/film/mektoubmylovecantouno

フランスメディアがこぞって高評価を下した話題作、ついに解禁。

Lumière Terreauxにて鑑賞。水曜夜の回、老夫婦が意外にも多かった。

 

舞台は90年代、地中海沿岸の町Sète(セート)。太陽の照りの強さと光の眩しさが、映像を通して伝わってきます。『アデル、ブルーは熱い色』でもそうでしたね。激しいセックスシーンはケシシュ映画のヒロインになるための登竜門なのでしょうか?物語は、ラテンの音楽に合わせた日中のセックスシーンで幕を開けます。ただただ豪快で、大胆でダイナミックで、私からしたらちっともエロくない!ビキニ焼けした小麦色の肌と真っ白の大きなお尻。髪を無造作にかきあげる仕草。服からこぼれ落ちそうな迫力の胸。映画の冒頭はとにかくこの田舎娘オフェリー(オフェリー・ボー)に目が釘付けです。従兄弟トニ(サリム・ケシューシュ)とかつて思いを寄せていた憧れの女の子の、突然のセックスを目の当たりにした主人公アミン(シャイン・ブムディーヌ)の唖然とした心情がそっくりそのまま観客の心情とでもいいましょうか。

そこから物語はどんどんとヴァカンスを余すところなく徹底的に楽しもうとする若者たちの怒涛の狂乱に巻き込まれていきます。「狂乱」と書いたのは、フランス人のヴァカンスを楽しもうとする精神というのは本当にこうで、若者は狂ったように酒を飲み交わし、海では子供のようにはしゃぎ、クラブでは踊り狂います。男女それぞれの性を思いっきり利用して。

夜の街を飲み歩くシーンは圧巻でした。カメラはつねに登場人物たちの目線で、彼らの顔にとにかく近い。アルコールが入った吐息の熱さを直に感じそうなほど。おかけで今歩いている道や今いるバーの全貌が見えてこない。そんな狭い視界の中に、家族や友達、友達の友達がどんどん現れてコミュニティが拡大していきます。目の前で行われるビズ(挨拶としてのキス)の数々。何層にも重なる止まない会話。異性を挑発し誘惑する目線。この一連の流れで、まるで彼らと一緒に深夜の街を徘徊しているような、彼らの一員にでもなったかのような錯覚に陥った私はもうクラクラ、クタクタ。彼らの勢いと若さに眩暈が…

巧いのが、一瞬映る別角度からのワンショットで、その人物の心情心理が分かってしまうこと。説明なくとも、彼らの中に介する好意や嫉妬、不安、苛立ち、疑惑、揺らぎなどを表現しています。だからこそ、3時間のうち一瞬たりとも見逃せないと思わされました。

基本的に、パリ暮らしから一時帰郷中の脚本家志望アミンの目線で物語が進んでいきます。カメラマンでもある彼のオフェリーを見る視線はなんだかいやらしくもあり。しかしプレイボーイで楽観主義者の従兄弟トニとは対照的で、アミンは内気で直接的な行動には移せないタイプ。何処も彼処も、皆の話のネタはトニのことばかり。だからと言って気を荒立てることもなく、奔放な女性たちをただ優しい眼差しで眺めるばかりです。ハンサムなのに日が当たらないこういう男子って確かによくいるなあ。こういう男の人に対する苛立ちって『身をかわして』のクリモに対して抱いたものに似ているも、クリモに関しては、アミンと比べ物にならないぐらい苛立った覚えがある…。フランス語ではこういう人のことを « Il est gentil. »(優しい人=それ以上でも以下でもない人)と言います。ああ、できれば言われたくない言葉。

映画の後半はオフェリーが働く農家のシーンで、動物のある姿を目の当たりにします。オペラの音楽をのせたその映像はナショジオのドキュメンタリーを観ているかのような、不思議で崇高な気持ちになりました。そう思うと、この映画自体が人間(主に若者という生態)のありのままの姿を映したドキュメンタリーにも思えてきます。その直後、シーンは一転してけばけばしいナイトクラブへと移ります。ケケシュ監督の女性の撮り方に対して性差別的と批判されていたことに関して、私はちっともそうは思いませんでした。この動物のシーンを通して、それを確信しました。この映画は、女性賛歌なんだと。母なる大地に生きる人間の人生賛歌なんだと。その意味では、アミンの陽気なおしゃべりお節介母ちゃんこそがこの映画のキーパーソンとも言えるかもしれないな。(内気な息子に「Amuse-toi ! Profite bien !(とにかく女の子たち捕まえてヴァカンスを楽しみなさい!)」としつこく迫るシーンは必見!客席からは笑いが。)

また、ケシシュファンにはたまらないシーンの数々。その一つが食べるシーン。浜辺でしゃべりを一切止めることなくスパゲッティを頬張るシーンは『アデル、ブルーは熱い色』のようでもあり、『クスクス粒の秘密』のようでもあり。そして欠かせないのが踊るシーン。女性の体特有の曲線や汗がにじんむ肌の美しさと生々しさ、踊り狂う彼女たちの恍惚の表情。これぞケシシュ。『ヴォルテールのせい』のダンスシーンもなかなか妖艶だったような。また、『クスクス粒の秘密』アフシア・エルジが今回ケケシュ作品に10年ぶりに帰ってきたのも嬉しいですね。10年前まだまだあどけなかった彼女が、今回はベテランならぬ安定の存在感で出てきたものだから正直驚きました。中盤からの少し大人びた彼女の登場により、物語全体が締まった気さえしました。本作だけではなく、『L’Amour Des Hommes』(監督:Mehdi Ben Attia)、『Féminin Plurielles』(監督:Sébastien Bailly)と3つの出演作が現在劇場公開中であり、今やフランス映画界に引っ張りだこの彼女。サラ・フォレスティエやアデル・エグザルホプロスの例も同じく、ケケシュ監督の優れた役者を見出す力が改めて評価されています。女優だけではなく、今回見出されたアミン役の俳優シャイン・ブムディーヌの今後の活躍が期待されます!

一方で…

『身をかわして』で主人公クリムを演じ、セザール賞有望男優賞にノミネートされたオスマン・エルカラスが当作出演後、目立った活躍をすることなくホームレスにまで身を落としたということは日本ではあまり知られていない事実でしょう。2016年に出版された著作『Confessions d’un acteur déchu(*1)』(不良俳優の告白)の中で自身の人生を赤裸々に綴っており、フランスでちょっとした話題になりました。さすが目利きのケシシュさんにもこういう例もあった、ということで…。

 

 

画像元:

http://www.allocine.fr/film/fichefilm_gen_cfilm=193907.html

http://www.allocine.fr/film/fichefilm_gen_cfilm=193907.html

http://www.allocine.fr/film/fichefilm-193907/photos/detail/?cmediafile=21486718

http://www.lebleudumiroir.fr/critique-mektoub-my-love-kechiche/

http://www.allocine.fr/personne/fichepersonne-816421/photos/detail/?cmediafile=21486710

http://www.allocine.fr/personne/fichepersonne-816420/photos/detail/?cmediafile=21486711

(*1) https://livre.fnac.com/a9585402/R-Dikoume-Confessions-d-un-acteur-dechu

 

 

田中めぐみ

World News担当。在学中は演劇に没頭、その後フランスへ。TOHOシネマズで働くも、客室乗務員に転身。雲の上でも接客中も、頭の中は映画のこと。現在は字幕翻訳家を目指し勉強中。永遠のミューズはイザベル・アジャー二。