『地獄の黙示録』そして、仲のいい男の子の話


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 高校生の頃だったと思うが、クラスで仲のいい男の子が、火についてうっとり語る姿が印象に残っている。

「火って、ずっと見ていられるし、時たま本当に取り込まれそうになるんだよなあ。なんか怖いくらいに夢中になっちゃうから、自分でもセーブしてる」

 そう話す彼は、県下有数のサッカー強豪校の主将で、先生たちからも一目置かれているような存在の人だったから、「キャンプファイヤーが好きなんだ」といった健全な雰囲気とは少し違う、火に対する恍惚とした語りに少し驚いたし、「ちょっと頭がいってるな、そのうち火でもつけるんじゃないか」と若干引いてもいた。とはいえ、この人が何かのはずみで放火魔などになったとしても、私は今日聞いたことは誰にも話すまいと固く誓うぐらいには、彼の火に対する思いに魅入っていた。また、火に対する「怖いくらいに夢中になってしまうからセーブしている」という彼の中の自制心にも興味を引かれたのだと思う。私は私で「怖いことなんか何もないんだから、もう火に取り込まれればいいじゃん」とは言えないし、なんてことはない「火はやばいよね」という相づちしか打てなかった。

 何故このような話をするのかと言えば、『地獄の黙示録』の最初のシーンで、ウィラードが酒に酔ってゆらゆらと舞う姿に「火に取り込まれそうになる友達」を思い出したからである。ある種狂気を表現しているようなシーンであるが、驚いたのは恐らく狂気らしき混沌の渦中の人間が語り部となり、物語が幕を開けたからである。劇場でもらったパンフレットによると、ストーリーは以下だ。

「ベトナム戦争後期。陸軍空挺士官のウィラード大尉は、軍上層部に呼び出され、元グリーンベレー隊長のカーツ大佐への処罰指令を受ける。カーツ大佐は米軍の意向を無視して山岳民族の部隊とともに国境を越え、カンボジアに王国を築いているらしい。」うんぬんかんぬん。そして、今回の上映は「公開から36年。21世紀初頭にさらに50分ほどが付け加えられて「特別完全版」となって上映された『地獄の黙示録』だが、今回は50分ほど短いオリジナル・ヴァージョンでの公開。主人公の行動をシンプルに追ったストーリー。そして、さまざまな制作途中のトラブルのためか、エンディングのクレジットもないヴァージョンである」らしい。とはいえ、私は本作が初見であるため、特別完全版との比較もできない。しかし、私の中に起こったことを丁寧に書き起こすことで『地獄の黙示録』というものに薄いヴェールをめくって近づけそうな気がしたのも確かである。私自身が、ウィラードのように混沌の中から何か言葉を発したいと思ったのだった。

 サブ6パンフレットの「ベトナム戦争」や「陸軍空挺士官」という堅い字面に、「世界史苦手なんだよな、特に近現代すごい点数ひどかったけど理解できるかな」と少し緊張して観に行ったのだけれど、観てみたらびっくり!皮膚や嗅覚で味わう映画だった。映像からは血や汗の匂いが熱風にのってやってくるし、音楽は陶酔の皮膚感覚、そして映像と音楽が合わさった瞬間立ち上がる「自分ではない誰か」の万能感、サル(歴史観に乏しい私)でも体感できる戦争映画だった。とは言え「戦争の悲惨さ」とか「狂った人間の闇」という言葉を遣って語ることに少し疑問を持つような戦争映画ではあった。そもそも、私たちが「闇」や「狂気」などの言葉を遣うとき、それを「闇」や「狂気」と名付けるルールの上に立っているということを自覚しろ、と言っている映画のように感じたからである。

 冒頭で書いたような、火の好きな友達に「ちょっと頭がいっているな」と私が引いてしまうことは、彼から一歩遠ざかって距離をとるという行為だ。距離をとって何かしらのジャッジを下すということは、ある1つのルールを持ってして成される。また、「怖いくらいに夢中になってしまうからセーブしている」という彼自身もルールを解している。ルールを否定して「怖いことなんか何もないんだから、もう火に取り込まれようぜ?」と言って火をつけることだってできるけれども、映画に話を戻して、そうしてカンボジアに王国を築いたカーツはどんな表情をしていたか?「火はやばいよね」「闘争本能ってやばいよね」そういった言葉を私が放ったとして、私自身は一体どんな景色を期待しているのか?

 サブ2「殺しも暴力も好きだけど嫌いだ、矛盾を抱えているのが人間だ、矛盾は人間らしくて面白い」そんな風な着地点には一向にたどり着けそうにはない。ただ、ウィラードは実行した。ウィラードが誰かに刃物を振りかざすとき、結果として「処罰」という形をとったとしても、ウィラードの混沌と決断は、映画を観るものそれぞれが持ち帰る、また新たな混沌の種であるように思う。私たちがどういう世界で生き、その世界がどういうルールのもとで動いているのか、その上で私たちは何を実行するのか。映画を観た後の混沌とは、ひとつの明晰さの獲得なのではないだろうか、私はそんな風にかろうじて着地したような気になった。しかし、要はそこからどう歩いていくかが私の実人生であるし、観る人の中には「この世はでっかい宝島!そうさ今こそアドベンチャー!」とルールの及ばない地点での高揚感に振り切る人もいるかもしれない。ただ、火の好きな友達に関しては、これからも時々会って一緒にお酒を飲みたいので、彼にはこれから先も火をつけることなく、ルールに沿って生きていてほしいなと私は思っている。ただ、その彼と先日お茶をした時に、互いに就職がどうこう、恋愛がどうこう、美味しいカレー屋がどうこう、そんな話に終始してしまったことを、今この文章を書きながら思い出し、少し「つーん」とした気持ちにもなってしまった。「はあ。なんか、かっとばしたいなあ!『地獄の黙示録』見るか」きっと近々、また劇場へ足を運ぶことになりそうな気がしている。

伊地知夏生
無為自然担当。お金はないが、夢はある。バイト名人として日々営んでいましたが、最近は香料に心を奪われ、そっちの方へ行ってしまいました。