neoneo編集室が刊行する「ドキュメンタリー叢書」の第二作として出版された本書は、映画作家であり写真家であり、ヴィジュアル・アーティストでもあったアニエス・ヴァルダに関する共同論集である。執筆者は異なる主題や方法をとりながら、それぞれの関心からヴァルダを論じている。

 大寺眞輔「アニエスからあなたへ」は、写真家としてキャリアを開始し、晩年にはヴィジュアル・アーティストとしてもまた精力的に活動していた映画作家ヴァルダの生涯を丹念にたどることで、「様々な形容詞で呼ばれ」、その全体像を提示することが困難な彼女の多様な側面を明らかにしていくものである。タイトルの「あなたへ」は、ヴァルダなき現在において、彼女がそうして果敢に取りくみ遺してきた作品群にたいしてわれわれがいかに応答しうるかという呼びかけとして機能するものである。           

 原田麻衣「アニエス・ヴァルダの「エッセー」」では、「エッセー」というキーワードを軸に、「映画というメディウム特有の「書く行為」」を意味するというヴァルダの造語「シネクリチュール(cinécriture)」という言葉を用いつつ、彼女が作品をどのように実践し制作してきたかが論じられている。映画で「エッセー」を書く/語るヴァルダの「シネクリチュール」は、ヴァルダの身体を作品内へ介入させつつおこなわれるものである。

 松房子「持続する瞬間:アニエス・ヴァルダと写真」では、写真家としてのヴァルダに焦点を当てながら、「写真と映画、瞬間と持続」という「二つの極」を往還しながら作品を制作してきた彼女の姿をとらえる。ヴァルダはときに写真から映画を制作したが、それは一方を他方へと還元させることをめざすものではない。ヴァルダは、写真と映画という二つの極それぞれの特徴をもちいながら、瞬間と持続を知覚する、その「まなざし」に対して関心を抱いていたのである。

 千葉文夫「アニエス・Vによるジャック・ドゥミ」では、ヴァルダが自身のパートナーであった映画作家ジャック・ドゥミを描いた『ジャック・ドゥミの少年期』(Jacquot de Nantes, 1991)を取り上げ、ときに彼の作品を比較・参照しながら、具体的なシーンの細部に注意を払いつつ、詳細を丹念に描写し分析していく。また、ドゥミの友であり二人の仕事仲間でもあった作曲家ミシェル・ルグランや、ドゥミの長編第一作『ローラ』(Lola, 1961)と、『ローラ』において献辞を捧げられたマックス・オフュルスについて取り上げている。

 東志保「現実の世界に住まうこと――『冬の旅』における周縁性へのまなざし」では、ヒッチハイクをしながら当てどなく放浪する主人公モナを描いた『冬の旅』(Sans toit ni loi, 1985)を取り上げながら、社会問題やそれらの当事者たち、「現実に生きる無名の人々」に対してつねに関心を持ちまなざしつづけたヴァルダが、「世界に住まう」あり方によって、若者の貧困、とりわけ女性であるだけで被る不利益を可視化し、真摯にとらえ作品を制作してきたことを読みといていく。

 児玉美月「やわらかな革命者が『歌う女・歌わない女』で奏でる音色」では、『歌う女・歌わない女』(L’une chante, l’autre pas, 1977)を主軸に、フェミニズムを扱う他の映画と関連させながら、これまでの映画が男性中心主義的であり、そこであらわれる女性表象のあり方もまた男性によってまなざされた性差別的なものばかりであったことを批判しつつ、本作をはじめヴァルダが自身の作品において女性の主体性や女性同士の連帯を描きつづけてきたことを提示する。

 金子遊「カリフォルニアのアニエス・v」では、ヴァルダがカリフォルニアというアメリカの西海岸――ヴァルダにとって特権的な場である「浜辺」――で制作した四本の作品をとりあげ、それらに一貫してあらわれているのが「社会でマージナルなところにおかれた人びとへの関心」であることを指摘する。また、サウサリートで暮らすヴァルダの実際の親戚をテーマにしたドキュメンタリー『ヤンコおじさん』(Oncle Yanco, 1967)をつうじて、ヴァルダもまた「セーヌ左岸派」と便宜的に呼ばれるものたちに特徴的な、「撮影者と被写体を無批判にわけてしまうような枠組みを疑い」、「映画づくりをともにおこなう共作者として巻き込む」方法をもちいているということへの指摘も興味ぶかい。

 吉田悠樹彦「記憶・文化史・映像メディア――『ダゲール街の人々』と『顔たち、ところどころ』を中心に」では、吉田が「文化史や民衆の記憶といった視点から論じてみたい」と語るように、『ダゲール街の人々』(Daguerréotypes, 1975)と、JRとの共作『顔たち、ところどころ』(Visages Villages, 2017)を中心にとりあげながら、そこに映しだされる人々やその街、建築、動物、楽器、そしてそこでもちいられる音楽などさまざまな要素をつぶさに見つめながら、あるいはそれらが制作された当時の社会状況や文化背景について語りながら、「寄り添い」あうように展開される。

 若林良「虚構と自然のはざまで――『幸福』に見るアニエス・ヴァルダの視線」では、『幸福』(Le Bonheur, 1965)を軸として、ヴァルダがこれまでマイノリティの権利をもとめる運動に積極的に参加してきたことを語りつつ、それがフェミニズムを扱った映画でありながら、その最大の特徴は「悲劇の無化」にあることを論じる。それは、「自然nature」にたいする目配せによってなされるという。ここで「自然」は、草木や花などの植物のことであると同時に、ありのままの本性や性質という意味においてもまた用いられている。

 菊井崇史「映画の渚、まなざしの記述」では、ヴァルダが自身の作品に対して語った「読む映画」という言葉をもとにヴァルダを「読み」解いていくのだが、まずは『ラ・ポワント・クールト』(La pointe courte, 1955)を導きの糸として作中の登場人物におけるまなざしの働きにこそ注目し、そこから敷衍して作品制作のあり方やその形式といったヴァルダ自身の「視点」に焦点をあてる。

 また本書は、巻頭にヴァルダの娘であり仕事のパートナーでもあったロザリー・ヴァルダのインタビューが掲載されているほか、巻末には多様な執筆陣(井上二郎・大内啓輔・上條葉月・柴垣萌子・若林良)によるヴァルダの作品解説が収録されている。コンパクトな一冊ながら、幅広く活動していたヴァルダの全体像をとらえる手助けとなる。

 

<目次>

《インタビュー》
ロザリー・ヴァルダ(アニエス・ヴァルダの長女)インタビュー
アニエス・ヴァルダは愛情深く好奇心旺盛、同時に要求が厳しい母親でした 魚住桜子

《論考》
大寺眞輔 アニエスからあなたへ
原田麻衣 アニエス・ヴァルダの「エッセー」
松房子 持続する瞬間 アニエス・ヴァルダと写真
千葉文夫 アニエス・Vによるジャック・ドゥミ
東志保 現実の世界に住まうこと 『冬の旅』における周縁性へのまなざし
児玉美月 やわらかな革命者が『歌う女・歌わない女』で奏でる音色
吉田悠樹彦 記憶・文化史・映像メディア 『ダゲール街の人びと』『顔たちところどころ』を中心に
金子遊 カリフォルニアのアニエス・V
若林良 虚構と自然のはざまで 『幸福』に見るアニエス・ヴァルダの視線
菊井崇史 映画の渚、まなざしの記述

《作品ガイド》
『5時から7時までのクレオ』『幸福』『落穂拾い』……アニエス・ヴァルダ作品ガイド
若林良、大内啓輔、上條葉月、柴垣萌子、井上二郎

四六判 ISBN 978‐4-906960-13-2 C0074 本体2000円

 

板井 仁
大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。