
1941年生まれ、現在74歳のピーター・サシツキーは現代映画を代表する偉大な撮影監督の一人である。何よりデヴィッド・クローネンバーグとのコンビで知られ、『戦慄の絆』や『裸のランチ』『エム・バタフライ』『クラッシュ』『イグジステンズ』『スパイダー』『ヒストリー・オブ・バイオレンス』『イースタン・プロミス』『危険なメソッド』『コズモポリス』『マップ・トゥ・ザ・スターズ』でシャープかつロマネスクで見事なカメラを披露している。
サシツキーはイギリス映画界でキャリアをスタートさせたが、その初期からジョゼフ・ロージーやジョン・ブアマン、ピーター・ワトキンズ、ケン・ラッセルといった錚々たる映画作家たちの撮影を担当していた。ジャック・ドゥミの『ハメルンの笛吹き』なども忘れがたい。一方、『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』でハリウッド進出した後も、ティム・バートン『マーズ・アタック!』やM・ナイト・シャマラン『アフター・アース』など個性的な映画作家のカメラを担当している。(#1)
しかし、その偉大なキャリアと特徴的な作品選択にも関わらず、サシツキー自身の発言はこれまで日本に紹介されることはあまりなかった。今年のカンヌ映画祭でピエール・アンジェニュー賞(ズームレンズの開発などで有名)(#2)受賞を称えるセレモニー(#3)が開かれたサシツキーは、これを記念したFilmmaker誌のインタビューに答えている(#4)。ここでは、その中から興味深い部分を抜粋して以下に訳出する。また、全文が掲載されたオリジナル版も可能なら是非お読みいただきたい。(#5)
Filmmaker:ヴィルモス・ジグモンドやロジャー・ディーキンスらと同じ賞を受けた気分はいかがでしょう?
サシツキー:喜びと興奮が入り交じった気持ちだ。すこし怖い気もする。と言うのは、これで自分のキャリアに終止符が打たれるんじゃないかって思うからだ。それは困る。私はまだ映画を作り続けたいんだ。
Filmmaker:自分に映画撮影の素質があると気づいたのはいつでしょう?
サシツキー:子供の頃、写真に興味があった。成長するにつれて沢山の写真を撮ったよ。自分の周りにその機会があったからね。5歳か6歳のころにはカメラを与えられたんだ。
Filmmaker:あなたのお父さんウォルフガング・サシツキーも『狙撃者』(マイク・ホッジス)などで有名な撮影監督でした。
サシツキー:父の友人がブローニーのボックスカメラをくれたんだ。使い方は父が教えてくれた。十代後半にはかなりの腕前になったよ。そして映画も大好きだった。学校を抜け出しては重要な映画、アート系の映画を見に行ったものだ。ベルイマンや黒澤明や昔の映画なんかをね。
Filmmaker:1960年代に映画を作り始めた頃、現在のようなテクノロジーが映画にもたらされるだろうと予期していましたか?
サシツキー:とんでもない。30年後のことなんて想像も付かないよ。10年後だってそうだ。テクノロジーは急速に変化している。私が子供の頃、カメラには殆ど変化がなかった。ポラロイドカメラが登場するのに何年もかかったほどだ。しかし同時に、それが最も重要なことでもない。映画で最も大事なのは脚本だよ。スクリプトの骨格の上に全てが肉付けされていくからだ。その後で監督の質が問われ、キャスティングの能力が問われ、そしてようやくカメラが問われる。撮影監督として、私はカメラを選び、注意深く扱い、そしてレンズを愛する。しかし、この事実を認めなくちゃいけない、もし脚本が素晴らしく、監督に才能があり想像力豊かであれば、大戦前のカメラを使って映画を撮ることだって出来るんだ。
Filmmaker:スマートフォン時代の現在、誰もが撮影監督だと思いますか?
サシツキー:それは問題じゃない。前に進むには今でもスキルが必要だからね。問題なのはイメージの飽和だ。世の中にはあまりにもイメージがあふれており、そこから力が失われつつある。たとえば19世紀に音楽を聴きたかったなら、自分で演奏するか音楽家が演奏する場所にまで聴きに行かなければいけなかった。音楽を耳にする機会があまりに少なかったため、その力は非常に強かったのだ。ところが今歯医者に行ったとしよう、そこには沢山の雑誌が置かれており、私たちはそれらをパラパラめくるんだ。しかし、それらのイメージはそうやって眺められるために撮られたものじゃない。イメージは見る人に対して何の意味もないものとなりつつあり、それが問題なんだ。
Filmmaker:撮影現場では監督とどのような関係が好ましいですか?
サシツキー:幸運にも興味深く自分を伸ばしてくれるプロジェクトに関われたとして、理想的にはまず俳優とリハーサルする監督を見ていたい。それから監督と話してカメラを置く場所や幾つショット撮るかを決めるんだ。私が組んできた監督たちはカメラポジションを含め全て決めたがる人たちだったけど、その多くは撮影監督を議論に招き入れてくれた。それが私の理想だね。
Filmmaker:あなたがキャリアをスタートさせたのはフリーシネマの全盛期でした。とても異なる美学がそこにはありました。ヌーヴェル・ヴァーグの影響もあり、カメラは変容していました。あなたは何に影響を受けましたか?
サシツキー:私は全てのものから深く影響を受けた。それ以前の時代を含め、すごく熱心に映画を見てきたんだ。はじめて映画を見たのは5歳か6歳の時だった。家に映写機を持ってきてチャップリンの映画を見せてくれた人がいたんだよ。それからパリで映画学校に行った。短い期間だったけど、ヌーヴェル・ヴァーグの時期だった。彼らが映画を編集するアイディアにはとても興奮させられた。ストーリーの語り方もきわめて異例なものだった。フラッシュフォワードとかジャンプカットとか。だが、視覚的に彼らから影響を受けた時期は長くない。と言うのは、彼らの多くは天井から照明を外してカメラにとても大きな自由を与えていたから。照明がつまらなかったんだ。
Filmmaker:では、誰から影響を?
サシツキー:あらゆる映画だね。特にこれということはなく。チャップリン、と言うのは私は笑うのが好きでコメディを愛しているから。あるいは、ジョン・フォード、ベルイマン、黒澤明、彼らは素晴らしい撮影監督たちと組んでいて、だから無意識に影響を受けていると思う。私はギャラリー通いも好きで、だから絵画や写真からも影響を受けた。人が自分のスタイルを探すにはとても長い時間が必要なんだよ。
Filmmaker:SF/ファンタジー映画を手がけるようになったきっかけは?
サシツキー:自分で選んだ訳じゃないが、『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』のオファーが来たあと、同種の映画から誘いを受けるようになった。当時はビジュアルエフェクトを多用した映画はやりたくなかったんだ。特殊効果に時間かかるし、私は俳優たちと共に物語を語る親密な映画をやりたかった。そういう映画に感動するんだ。ファンタジー映画に深く感動するのは、よほど例外的な作品だけだ。
Filmmaker:では、なぜ『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』を引き受けたのでしょう?一番大きな仕事だったからですか?
サシツキー:そう。それに第一作にはとても興奮させられた。実は第一作を撮影しないかってオファーがあったんだ。だけど、当時まだ経験の浅かった監督にはベテランカメラマンのサポートが必要だとスタジオが判断した。何故あの映画を引き受けたか?私にとって新しいチャレンジだったからだね。若い撮影監督としてチャレンジを望んでいたし、前作がとてつもなく人気を博したことも知っていた。多くの人にとってきわめて重要な仕事をしている気分だったんだ。それはとても嬉しいものだよ。
Filmmaker:デヴィッド・クローネンバーグと初めてお会いになったのは?
サシツキー:1987年ごろだったかな?彼は撮影監督を探してたんだ。彼はお気に入りの撮影監督リストを持っていて、私はその一人だったらしい。相性が良かったんだろうね、私たちは意気投合した。実は彼の映画は見たことなかった。と言うのは、彼はホラー映画監督で私はホラー映画が好きじゃないからだ。だから彼の映画を見たことなかったんだけど、これは恥ずかしいことだと思ってる。
Filmmaker:『スキャナーズ』をご覧になって、自分ならもっとよく撮れたと思われたとか?
サシツキー:そうなんだ。もちろん自分がやってきた仕事を踏まえてのことだけどね。レトロスペクティブであの作品を見たとき、自分がもっとうまく撮れると思った。幾つかリテイクできれば良いんだけどね。
Filmmaker:撮影現場ではクローネンバーグとどのような関係でしょうか?
サシツキー:聞いたらガッカリするよ。私たちはほとんど議論しないんだ。彼はただスクリプトを送ってきて、どんな画面にしたいとか一言も言わない。美術とはセットを建てるために相談するだろうけど、彼らはトロントにいて私はそこに加われないんだ。撮影するための素材を与えられる私の仕事は、それらをできる限り興味深いものにすることだ。私は現場にスケジュール通りに向かって、美術と相談する。窓を付ける場所やその色や風合いなど。そしてそれらが重要なんだ。私たちは何かを参考にしたりショットについて語り合ったりはしない。
Filmmaker:カタログを見たりレンズについて話したりしないのですか?
サシツキー:全く。彼はいつも言うんだけど、撮影初日に自分は今から何をするのか分からないって。それで私も全く同じ気持ちだと答えるんだ。
#1
http://www.imdb.com/name/nm0005893/
#2
https://www.angenieux.com/
#3
http://digitalpr.jp/r/16697
#4
因みに、サシツキーがはじめてカンヌに行ったのは1968年のフェスティバルであり、ゴダールらによるカンヌ映画祭粉砕事件によって上映が中止された時だった。
#5
http://filmmakermagazine.com/98787-dp-peter-suschitzky-on-empire-strikes-back-collaborating-with-david-cronenberg-and-the-new-waves-boring-light/

大寺眞輔
映画批評家、早稲田大学講師、アンスティチュ・フランセ横浜シネクラブ講師、新文芸坐シネマテーク講師、IndieTokyo主催。主著は「現代映画講義」(青土社)「黒沢清の映画術」(新潮社)。
『アウト・ワン』日本語字幕付上映のためのクラウドファンディング実施中!
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大寺眞輔(映画批評家、早稲田大学講師、その他)
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