
アレックス・ロス・ペリー監督の新作『Her Smell(原題)』のプレミアが今年のトロント国際映画祭で行われた。 主演は、ドラマ『マッドメン』での人気を経て、Huluオリジナルドラマ『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』でエミー賞を受賞したエリザベス・モス。カーラ・デルヴィーニュ、ダン・スティーブンス、アンバー・ハード、アシュリー・ベンソンら旬な俳優陣と共に、90年代パンクロックの世界を描く。
主演のモスが演じるのは、架空の女性ロックバンドSomething Sheのリーダー、Becky Something(ベッキー)だ。 音楽の才能はあるが、自滅的なミュージシャンとして描かれる彼女は、バンドの成功を犠牲にしてまで、かたくなに周りの人々を遠ざけようとしているようにも見える。輝かしく、威勢のいい90年代のロックバンドのリーダーだが、口汚く、虚無的でもある。 ある時彼女は、新興の女性ロックバンドの指導者となり、かつて自分のバンドを成功に導いたような大仕事を再び成し遂げようとする。しかし彼女のキャリアが躓くかたわらで、以前のバンド仲間がスーパースターに駆け上がっていく様を目にするうちに、そのプレッシャーが大きくなっていく。薬物に走った彼女は依存症となり、幼い娘や、別れた夫など、最も気にかけていた人々とのつながりをすべて失ってしまう。(※2,3,4,6)
「不愉快な映画」
監督・脚本は、現在公開中の『プーと大人になった僕』でも共同脚本を務めたアレックス・ロス・ペリーが担当する。モスとタッグを組むのは、2014年の『Listen Up Philip(原題)』、2015年の『Queen of Earth(原題)』に続き、これで3作目となる。 ペリーにとって『プーと大人になった僕』は短い旅のようなものだったともいえる。というのも、普段の彼の作品は観る者に不快感を与えるからだ。『Her Smell.』はまさに彼自身が持つ狂気的な作風への回帰ともいえる。(※6)
特に今作は彼のどの過去作とも比べられないほどの強烈な重みをもつ。無秩序な音楽の使い方から、主人公ベッキーの憎むべき行為にわたり、意図して過激に作られている。そのため、 Hollywood Reporterの否定的なレビュー記事には、「耐え難いほどの身勝手」「見苦しく、不愉快」と書かれた。IndieWireの肯定的な記事でさえ「非道徳的で不快」と表現した。 しかし、無秩序な目まぐるしい展開で埋め尽くされているこれらのシーンは、人々が従来の殻を破れるように意図的に作られている。監督によれば、
「人々はパンクの女性の映画に、アドレナリンを求めているのです。」 「登場人物たちはただひたすらに進み続けます。 それはまさにコカインのようでも、アンプに流れる電流のようでもあるし、映画の中のネオンサインのようでもあります。これは、この映画の内容やキャラクターの人間性を描くには適切な表現だったと思います。」「脚本家としてもやってみたかったことだし、またさらに大きな挑戦として、監督としてもやってみたかったことでした。」(※9)
さらに、ロックスターの成功までの道のりではなく、栄光からの転落を描くことについてモスは次のように言う。
「だれかが行動をおこし、成功までの道のりを描いていくよりも、転落していく姿を見るというのは、アレックスが撮りたいと思っていた構想でもあります。私たちは前者のような物語を見るし、それが偉大だともわかっています。しかしこのキャラクターに関しては、名声が失われ始めた時の彼女を見たいと望むでしょう。」(※7) 「この映画はベッキーの目線で描かれているわけではありません。第三者目線の物語なのです。ベッキーが周囲の人に体験させたことを、映画を見ているあなたも体験することになります。これはあなたに起こることなのです。彼女は私たちをイラつかせ、不快な気分にさせるかもしれません。そんなシーンがたくさんあって、息をつきたくなるでしょう。そして、彼女に振りまわされて、彼女がいなくなったらどこにいるか探したくなるでしょう。それが、ベッキーの周りの人々が経験したことをあなたも同じように経験するということなのです。」(※9)
内容にしても、映画のシーンにしても決して心地いいものでないため、この映画が売れるのは難しいだろう。しかし、キャスト全員が各自のファンの基盤を確立しているうえ、 モスの体当たりの演技は、人々が足を運びたくなるほどの圧巻である。(※5)
舞台裏の努力
実際に、モスがこの役を演じるにあたって大変な努力をしたことがインタビューからもうかがえる。 「難しい役や場面を演じるのはとても大変でした。今までで一番大変といっていいくらい、多くの時間が楽しいとは言えませんでした。」 音楽映画ということもあり、楽器の演奏にも苦労した。歌やギター、ピアノを習得には多くの時間を費やしたが、音楽未経験者の彼女にとって、コンサートシーンはとても不安だったという。 さらに、感情的で、精神的に疲弊している役を演じるにあたって、『COBAIN モンタージュ・オブ・ヘック』、『Amy エイミー』など、名声を手にしながらも薬物におぼれていったシンガーを描いたドキュメンタリーも多く鑑賞したという。もちろんマリリン・モンローについてもだ。キャラクターがある特定の人物に似かより過ぎないように気を付けながら、名声を手にしながら薬物常習に至ってしまった人々への理解を深めていった。実際に薬物依存に陥った人々と直接話す機会も設けた。このような経験を経て、モスはベッキーについて
「彼女は薬物依存症ではありますが、それは単なる薬物ではなくて、かつての評判や価値をもう一度得たいというもがきの表れでもでもあったと思います。」
と分析している。 こうしたベッキーの役柄は、映画の撮影を一層困難なものにした。彼女の渦巻く感情を捉えるために長いトラッキングショットも用いられた。
「シーンが進むにつれて彼女は薬でどんどんめちゃくちゃになっていきました。そして新しい薬物に手を出し、それがさらに彼女をおかしくさせるのです。ある場面では、とても早口で、無礼で、本人以外にはあまり意味をなさない長い演説がありました。なんの関連もない思考が一つのセンテンスで話されるので、(台詞を)覚えるのがとても大変でした。演じるのにはエネルギーが必要で、常にしゃべり続けているシーンもありました。」(※7,8)
新しい映画への挑戦
今年のトロント国際映画祭では、女性スターを扱った映画が多かったが、ジュリア・ロバーツとルーカス・ヘッジズの『Ben Is Back(原題)』や ティモシー・シャラメとスティーブ・キャレルの『Beautiful Boy(原題)』といった薬物依存症を扱った映画も多く見られた。 しかしペリーはこの映画をただの依存症の物語にはしなかった。
「この映画の主題はアイデンティティーについてなのです。描きたかったのは90年代の音楽、バンドの変遷、ロックスター、母親の精神状態や生き方, 薬物依存、これらのいずれの物語でもなく、アイデンティティーについてでした。わかりやすく言うと、この映画に登場する9人のキャラクターたちは、誰も自分の本当の名前では生活していません。 このことこそが、私がこの映画で描いたことなのです。」(※9)
モスも、この映画はドラッグを魅力的には描いていないという。その代わりに、ベッキーが道を踏み外した後の物語で観客の心を掴む。
「沢山のドラッグを映画に映すようなことはしていません。私たちは薬物を美化したくないのです。描きたかったのは、依存症である彼女が周りの人々へ与える影響でした。」
モスが言うには、それはこの映画の最も教訓的な側面だ。
「彼女は熱狂的で楽しくて、汚い言葉を発したり、早口で話したりしているけれど、特に彼女の終焉のクライマックスシーンでは、無慈悲な人物として描かれています。」「この映画は依存症の当人だけでなく、それが彼女の周囲にどう影響するか、彼女のバンド仲間や別れた夫、子供、母親、さらにまたその周囲の人々についても描かれています。」(※8)
『Her Smell』は、監督にも俳優達にとっても思い入れの強い野心作である。口当たりの良い作品とは言えないにも関わらず、難しい作品に敢えて挑んだ。プロデューサーの一人であるマシュー・パーニシアロウはインタビューで次のように述べている。
「監督は、脳裏に焼き付くキャラクターたちによる素晴らしい作品を作り上げました。これは映画界にとってとても重要で、かつ新しい映画表現でもあり、彼のとどまるところを知らない進化を体現しています。力強く、才能に満ち、美しくも傷のある、しかし堂々として真に迫った女性の物語を見られることにとてもワクワクしています。」(※4)
新しい作品を世の中に送り出し、映画界をより新鮮なものに保つためには、監督や俳優にとってこういった挑戦の場があることが重要なのかもしれない。モス自身もインタビューで次のように語っている。
「身勝手な発言にならないように気を付けて言うけれど、自分でも成し遂げられるかわからないような断崖絶壁での挑戦や奮闘が許されるなら、それこそ私のやりたいことなのです。できるかどうかわからないことに挑戦する機会が欲しいし、そういったことにとても関心を抱いています。」(※9)
※参考
4. https://deadline.com/2018/01/elisabeth-moss-her-smell-movie-alex-ross-perry-1202273155/
5. https://www.indiewire.com/2018/09/memo-to-distributors-tiff-2018-1202005096/
7. https://www.hollywoodreporter.com/news/her-smell-star-elisabeth-moss-interview-2018-tiff-1140038
8. https://www.indiewire.com/2018/09/elisabeth-moss-her-smell-kurt-cobain-amy-winehouse-1202003053/

小野花菜 早稲田大学一年生。現在文学部に在籍してます。自分が知らない世界の、沢山の映画と人に出会いたい。趣味は映画と海外ドラマ、知らない街を歩くこと。
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