
ピクサーの新作アニメーション映画『ファインディング・ドリー』の音楽を作曲したのは、トーマス・ニューマンである。彼は、前作『ファインディング・ニモ』からその役割を担っているが、このシリーズの音楽を再び担当することを歓迎した。そのレコーディングは、彼の指揮により83の楽器編成で、今年の2月から3月にかけて6日間にわたって行われた。
「『ファインディング・ドリー』に取り組み始め、海の音を聴き、アンドリュー・スタントンが考える水中の表現や海の生物たちが泳ぐ表現を耳にした際に、それはとても懐かしく、そして、それは良き思い出でした。再び、水中が舞台であるということは、本当に素晴らしきことでした。」
1999年に、シリーズの監督と脚本を務めているアンドリュー・スタントンは、前作『ファインディング・ニモ』の脚本を執筆していた際に、トーマス・ニューマンの音楽を聴いていた。特に、それは、トーマス・ニューマンが作曲をした『ジョー・ブラックをよろしく』のスコアであった。アンドリュー・スタントンは、以下のように語る。
「(音楽担当には)他の誰かは考えられません。彼の音楽のおかげで、私は脚本上で音調を調整できるのです。かけがえのないキャストメンバーを得たように思っています。」
もちろん、このシリーズにおいて水を表現する音楽は印象を残すが、前作のスコアからのテーマ曲の直接の引用は、数曲に止められている。トーマス・ニューマンは、タイトルにもなっているドリーというキャラクターに必然的に焦点を当てているのである。ナンヨウハギのドリーが物語の中心に位置し、彼女は両親を捜し求めるのである。彼女は、カクレクマノミのマーリンや、タコのハンク、シロイルカのベイリー、ジンベエザメのデスティニーといった友人の助けを得る。トーマス・ニューマンは次のように話している。
「本質的に、ドリーの中にある楽しさを表現するのが望ましいと思いました。彼女の可笑しさや変わったところもそうかもしれません。」
そのような音楽を追求しながらも、ドリーの少し前のことをすぐ忘れてしまうという性質を強調してはいない。トーマス・ニューマンは、続けて話している。
「ドリーの脳は空っぽのようですが、記憶を失うということはとても元気良い性格の一部なのです。彼女が抱える問題を超えて、彼女が思考をしていないときに、彼女はまさに心から生きることを楽しみ、常に笑っているのです。」
トーマス・ニューマンは、いつも変わった楽器でスコアを彩っている。ドリーの元気の良さを具体的に表現するために、独特の楽器の音色を用いている。木管楽器奏者のスティーブ・タバグリオーネによって、ある音が作り出された。彼は、EWI(電子管楽器)の奏者として有名であり、それを彼は、“human sleighbell(人間スレイベル)”と呼んでいる。アンドリュー・スタントンは、そのことついて説明する。
「その音は、水と関係があるように思います。しかし、同時に、それは私がドリーと結びつけた幼年時代の楽しさを捉えているようにも思います。トーマス・ニューマンは、常にそのような微かな感触を掴み、それはいつも斬新で新鮮でした。」
トーマス・ニューマンの音楽は、流れるような木管楽器の独奏、流れるような弦楽器の響きによって表現される。2003年の映画『ファインディング・ニモ』において、彼の音楽は、アンドリュー・スタントンが作り上げた海を自然に表していた。しかし、新作『ファインディング・ドリー』では、『ファインディング・ニモ』と同様に、トーマス・ニューマンとアンドリュー・スタントンは、過度に、水の環境を反映する音楽を作品と関連付けなかった。アンドリュー・スタントンとピクサー社は、『ピノキオ』に登場するような水中について話し合いをした際に、すぐさま水の特徴を排除した。そして、そのアプローチは音楽にも及んでいる。トーマス・ニューマンは、以下のように語る。
「金属音や水の感覚を与えてくれる音は、『ファインディング・ドリー』にも、いくつかあります。しかし、それは、擬音(効果音的な音楽と考えると分かり易いかもしれない)の手法において、音楽が水の表現を必要としているとは思っていません。『ファインディング・ニモ』には、ある表現がありました。この海の低い音、水の音です。その音は、水を含意するには充分であり、そのことを何度も何度も表現するのとは対照的なのです。」
その代わりに、トーマス・ニューマンは、熱帯の島々、観客が水と関連付ける場所といったことを想定しつつ、音楽を作り上げていった。膝乗せスティールギターや島の打楽器を使用した。
基本的に、躍動感のあるアクション、哀調に対する音楽とは、アニメーション映画が必要とするものであり、ピクサー映画に至っては特にそうである。トーマス・ニューマンは、彼が初めて担当したアニメーション映画『ファインディング・ニモ』の音楽を思い出しつつ、実写映画においては、時折、雰囲気や感情といったことに焦点が当たるシーンが長く続くことがあるが、一方で、アニメーションにおいては、アクションが目まぐるしく変化するので、中断するシーンはそれほど多くはないと語る。そして、それゆえに、アニメーション映画にはさらに多くの努力を要し、より多くの楽曲を必要とするのだと。
しかし、それは、実写映画とアニメーション映画での経験が決して乖離していることを意味してはいない。その時点での音楽とは、それまで手掛けた作品の経歴を反映しているといえる。アクションの音楽に焦点を当てれば、トーマス・ニューマンは、近年、007シリーズの2作品の音楽を手掛けている。『007 スカイフォール』と『007 スペクター』である。そして、その経験は今作にも活かされているといえるだろう。実際に、『ファインディング・ニモ』と『ファインディング・ドリー』の間には、約13年もの月日が存在する。アンドリュー・スタントンは語る。
「トーマス・ニューマンが『ファインディング・ドリー』で再び音楽を手掛けたとき、技術は全く新たなレベルに達していたといえます。」
トーマス・ニューマンもそれに付け加えるように話す。
「(音楽には)中心にある感覚を鋭敏にさせるような意識を奪うものは1つもないのです。」
哀調に関していえば、ピクサー独自の涙を誘う方法や、アンドリュー・スタントンが用いている欠点あるキャラクターの魅力によって、トーマス・ニューマンの優れた技巧が引き出される。その技巧は、『ショーシャンクの空に』、『エンジェルス・イン・アメリカ』といった過去作に見出すことができるだろう。アンドリュー・スタントンは、そのことについて以下のように語る。
「私はいつも中心となるキャラクターたちが、自分たちの中で闘っている物語に興味があります。外部に宿るような悪いものではないのです。それは常に少しばかり精神に関係しており、少しばかり微妙で、少しばかり複雑なのです。それこそが、トーマス・ニューマンの音楽で得られるものなのです。彼は、直観的なレベルで微妙さを理解しています。」
アンドリュー・スタントンは、冗談でトーマス・ニューマンとのミーティングについて話している。
「彼はとても複雑なのです。彼には1つとして簡潔なことはないのです。とても深いレベルで本当に映画を理解しています。私が彼と出会ったとき、自分が彼よりも映画の外にいることが分かったのです。なぜなら、私は、1つのシーンにおいて、すべてについて何が起こっているのかを細かく、細かく説明しなければならなかったからです。10回の説明をする中で、そのたびに、自分の映画をさらに理解している気分でした。彼は、私をさらに優れた映画製作者にしてくれます。」
そのアンドリュー・スタントンの言葉に対して、トーマス・ニューマンは返答する。
「私は、自分自身を理解しようと質問をしているだけなのです。彼を映画の外へと追いやるためではないのです。アンドリューは、自分が感じていることを本当に理解している人物です。彼を導いているのは傲慢さではありません。それは強い情熱です。すべての人間から最も優れた人材を望んでいるのです。そして、彼は決して留まることはありません。」
トーマス・ニューマンは、2003年の映画『ファインディング・ニモ』で米アカデミー賞にノミネートされた。同様に、彼は、米アカデミー賞にノミネートされた2008年の映画『ウォーリー』でも、アンドリュー・スタントンと組んでいる。冒頭の言葉のないシーンでは、控えめで共鳴するスコアが効果的に働きかけている。
最後に、アンドリュー・スタントンの言葉で締め括る。
「もし、私が幸運であり、余裕があれば、私は常に彼と仕事をするでしょう。彼は、私にとって、マーティン・スコセッシの映画に出演するロバート・デ・ニーロなのです。彼は私にとって真価を試す人物なのです。」
参考URL:
http://variety.com/2016/artisans/production/finding-dory-composer-thomas-newman-1201785340/
http://www.billboard.com/articles/news/7408891/finding-dory-director-composer-interview
http://www.imdb.com/name/nm0002353/
http://www.disney.co.jp/movie/dory.html

宍戸明彦
World News部門担当。IndieKyoto暫定支部長。
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士課程(前期課程)。現在、京都から映画を広げるべく、IndieKyoto暫定支部長として活動中。日々、映画音楽を聴きつつ、作品へ思いを寄せる。
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