
テオナ・ストゥルガー・ミテフスカは、1974年、マケドニアの首都スコピエ出身の映画監督である。今年の第69回ベルリン映画祭のコンペティションに選出され、エキュメニカル審査員賞を受賞した『God Exists, Her Name Is Petrunija』(神は存在する、その名はペトルニージャ)は、彼女の長編第5作目である。

テオナ・ストゥルガー・ミテフスカとは
ミテフスカは1974年に、マケドニアの首都であるスコピエの芸術一家のもとに生まれる。6歳から12歳までのあいだテレビで俳優として活動していた彼女は、絵画とグラフィックデザインを学んだのち、ニューヨーク大学ティッシュ芸術学部に進学。アートディレクターとフィルムスタディーズについて学ぶ。
2001年、妹のラビナ、弟のヴク・ミテフスキとともに、ミテフスカ姉妹/兄弟プロダクションを設立。同年、短編第1作の『VETA』を制作すると、ベルリン国際映画祭のパノラマ部門に選出される。2004年には長編第1作の『How I Killed a Saint』を制作。この作品はロッテルダム国際映画祭をはじめ、世界のさまざまな映画祭で上映された。長編第2作目の『Je suis de Titov Veles』(ティトフ・ヴェレスに生まれて)は、東京フィルメックスで上映されている。
「私はアーティストであり、アクティビストであり、フェミニストであることを誇りに思っています。私はフェムアーティビストFEMARTIVISTなのです。」[1]
自身を「フェムアーティビスト」と形容する彼女は、フェミニズムと芸術と運動とが混合するような作品づくりを行っており、これまで1本の短編と5本の長編を制作している。[1,2]

『God Exists, Her Name Is Petrunija』について
マケドニアの小さな町シュティップでは、1月6日の公現祭の日、川に投げ入れられた木製の十字架を何百人もの男性たちが奪い合う祭りが行われていた。十字架を手に入れた男性は町のヒーローとなり、一年間の幸運と繁栄が保証されるという。主人公で歴史学を学んだペトルニージャは32歳無職であり、実家で両親と暮らしている。キャンディ工場の就職面接に失敗し、帰宅途中だった彼女は、ふと思い立って祭りに参加することを決め、気まぐれに川へ飛び込むと、誰よりも先にその十字架を手に入れることに成功してしまう。男性たちは、なぜ女性がこの宗教的儀式に参加しているのか、と激怒し、ペトルニージャから十字架を引き離そうとするが、それでも彼女は十字架を手放そうとはしない。この事件は大きな騒動に発展してしまうが、ペトルニージャは混乱に乗じて十字架と一緒に逃走してしまう。しかし数時間のうちに、彼女が飛び込む瞬間の映像がインターネットで話題になり、ついに彼女は逮捕されてしまうのだった。一方、この祭りを取材し、一連の出来事を目撃していたテレビ番組のレポーターであるスラビカは、なぜ女性が祭りに参加してはいけないのだろうかという疑問を抱き、ペトルニージャを「伝統を打ち壊す存在」として報道し、応援するようになる。またペトルニージャ自身も、次第に自分の権利を確信するようになる。[3,4]
ミテフスカ監督インタビュー
本作『God Exists, Her Name Is Petrunija』において伝統的な男性社会に立ち向かう女性の姿を描くミテフスカは、これまでも社会における女性の立場に関して多くを語ってきた。たとえば2017年のインタビューでは、映画監督としてデビューした当時の状況をこう語っている。
「私が12年前に映画を撮り始めたとき、映画界の雰囲気は今とは大きく異なっていました。私は与えらえた仕事が自分にふさわしいことを絶えず証明しなければなりませんでした。私は映画監督としてあまりに若く、あまりに女性で、あまりにすべてを真面目に受け止めすぎてしまったため、私は仮面をかぶり、受け入れられる態度をとるしかありませんでした。それは、映画のセットの中で、トラック運転手のように振る舞い、演じることでした。私はそれが唯一のベストな方法であるとは思いませんでしたが、それが私の知っていた唯一の方法だったのです。今日、映画界の雰囲気はとても異なっています。パーセンテージや数の点から見ても、私たち女性監督はまだそれほど多くありませんが、しかしこうした問題に対してなされている多くの仕事があり、それらによって多くの道と機会が創造されました。それは、保ち続けなければならない、素晴らしく滋養のある傾向なのです。」[5]
ミテフスカはその言葉どおり、2019年に行われたフェミニスト映画雑誌Another Gazeのインタビューにおいてもまた継続して女性の立場について繰り返し語っている。しかし彼女はなぜ、絶えずフェミニズム的な映画を作り続け、それを発信しつづけているのだろうか。
「誰でも、お互いに支え合う兄弟や男性を持っています。しかし女性は数世紀のあいだ、お互いに猫のようになるように教えられてきました。お互いを支え合うことはありません。だから私たちは、ポジティブな何ものかに変化する必要があるのです。そしてそれは事件なのです。」[6]
「私は自分にとって重要な物語、社会や世界にとって重要な物語を語ろうとしています。エンターテイメントとしての映画は存在すべきではない、と言いたいわけではありません。それは素晴らしいものです。しかし、それは私の得意分野ではないのです。私たちはタブーに着手するべきなのです。誰も語ろうとしない、誰も語ったことがないことについて語るべきなのです。語ることが難しいことについて語るべきなのです。」[6]
ミテフスカは、自身の出身地であるマケドニアで映画を撮りつづけているが、その理由をこう述べている。
「マケドニアの外部で何かを作ることができるのかどうか、わかりません。もしかしたら作るかもしれません。うまく説明することができませんが、しかしそれは、できる限り何らかの方法でマケドニアに貢献をしなければならないという、この深く覆われた責任感に関係しているのです。文化的に私たちは、十分に正直ではありませんでした。また、私たちの政治的状況は長いあいだ、とてもとても困難な状態でした。ですから回復するまで長い時間がかかるでしょう。しかしその前に、私たちは自分自身に注目することができますし、「本当にひどい状況だが、何かを変えるために私はマケドニアを語ることができる」と言うことができるのです。」[6]
今作『God Exists, Her Name Is Petrunija』でミテフスカは、警察の権力に屈しない女性像を描いているが、それは前作『When The Day Had No Name』(2017)の制作中における自身の体験が反映されている。それは、作品が検閲されそうになるという危機であった。
「『When The Day Had No Name』という作品を通じて、アーティストが自分自身を表現する自由は必要不可欠なものになりました。というのも、私は突然、政府がこの作品を検閲しようとする事態に遭遇したのです。なぜならこの作品は真実を語っていましたし、私たちがお互いにどんなに不寛容であるかという点を語っていたからなのです。今日に生きる私たちにとって検閲はとても危険な風潮です。世界は開かれているように見え、私たちはより開かれるようになりました。しかし同時にこの検閲の風潮はとても恐ろしいことなのです。だから私たちは自分たちの声を上げなければなりません。私の最も最近の作品『God Exists, Her Name Is Petrunija』は、奮闘する女性のほとんどおとぎ話のような作品です。とてもシンプルな方法で、彼女は変革の、社会的政治的変革の離れ業を見せるのです。この作品は私にとって初めてのポジティブな物語かもしれません。とてもポジティブでとてもシンプルです。」[6]
『God Exists, Her Name Is Petrunija』日本での公開は予定されていないが、見れる機会が訪れることを期待したい。
[1] https://pro.festivalscope.com/director/strugar-mitevska-teona [2] https://www.sistersandbrothermitevski.com/about-us/ [3] https://cineuropa.org/en/newsdetail/367803/ [4] http://www.entre-chien-et-loup.be/film-film-178-production-fr.html [5] https://www.filmneweurope.com/news/macedonia-news/item/114574-efp-europe-voices-of-women-in-film-teona-strugar-mitevska-republic-of-macedonia [6] https://www.youtube.com/watch?v=4txuJYFaVvw
板井 仁
大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。
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