
ポルトガルの漁師の日々を追いかけたドキュメンタリー映画『Terra Franca』( フランカの大地、2018)が、11月21日にフランスで公開された。ポルトガルでは2019年1月に公開予定であるという。この映画の監督を務めたのは、ポルトガル出身、26歳の若手監督レオノール・テレスである。本記事では、これまでのテレス監督の歩みと、彼女の新作『Terra France』について、監督自身のインタビューを交えて紹介していきたい。
レオノール・テレスとは
リスボン県にあるヴィラ・フランカ・で・シーラで生まれたレオノール・テレスは、リスボンの国立映画学校で学び、アートとマルチメディアの修士号を取得。在学中に発表した14分の短編『Rhoma Acans』(2012)で多くの賞を受賞し話題になる。この作品は、ジプシーの父を持つ彼女が、もし父がジプシーの伝統を壊さないままでいたなら自分はどうなっていたかを探求するため、ジプシーのコミュニティへと足を踏み入れる、という内容であるという[1,2]
2016年には、11分の短編映画『Balada de um Batráquio』(バトラチアンのバラード、2016)で第66回ベルリン映画祭短編部門の金熊賞を受賞している。「かつて、人類が到来する以前、すべての生き物は自由であり、それぞれになることができました。すべての動物は一緒に踊り、とても幸せでした。けれども、お祝いに招かれない動物がただ一つだけありました。それはカエルです。カエルはこの不公平に怒り、自殺しました。」このナレーションから始まる『Balada de um Batráquio』もまた、ロマ族(ジプシー)に関するドキュメンタリー映画であった。ポルトガルでは、ジプシーを避けるために商業施設や飲食店の入り口にカエルの置物を置く慣習があるというが、監督はこのような迷信や差別にインスピレーションを受けて製作したという。[3,4]
『Terra Franca』について
今作『Terra Franca』は、レオノール・テレスの長編第1作である。舞台は、彼女の出身地でもある、リスボン県のヴィラ・フランカ・デ・シーラ。この作品は、テージョ川のそばに暮らす、アルベルチーノ・ロボという漁師の男を中心として、その家族の一年間の日々を追いかける。
髭を蓄えた、ぶっきらぼうだが優しい男アルベルチーノ。夜が明けると、アルベルチーノは防水のサロペットを履き、テージョ川へと漁に出かける。いっぽう彼の妻でカフェの店員をしているダリアは、カフェテリアのカウンターの後ろでフリッターを揚げている。家族の日々の会話はもっぱら、もうすぐ結婚するという長女の結婚式のことであった。そんなとき、テージョ川での漁業ができなくなってしまい、家族に大きな危機が訪れるのだった…[5,6]
これまで自伝的作品を撮影してきたテレスは、今回の作品についてこう語っている。
「私は自伝的な映画は作りたくはありません。しかし、そうしなければならないのです。それは、ある種の必要性です。しかし、今回の映画『Terra Franca』は異なります。それは家族のポートレイトでであり、漁師のポートレイトです。しかしいずれにせよ、この映画もまた個人的なものです」[7]
「家族の団結…お互いがとても親密です。私は、伝えるためにはとても重要なメッセージがあると思うのです。」[7]
製作の経緯について
また、この作品を撮ろうと思った経緯をこう語っている。
「私は「ホース・ビーチ」という場所に行きたいと思っていました。そこに行くために、船に乗る必要があったのですが、そこで私は、アルベルチーノの家に行きました。そのとき初めて、彼のボートに乗ったのです。私たちの船が橋の下を通り過ぎるとき、それは私にとってとても特別な時間でした。そのイメージが頭の中に残っています。」[7]
「そのほかの理由としては、私がフランカ村で育ったことが挙げられます。私は小さい頃から川との関係、川とのとても深い関係をつねに考えていました。よい場所とよい人、私はそれを結びつける必要がありました。そのようにして、『Terra Franca』は生まれました。」[7]
CineEuropeは、この作品について、「この作品は、スペクタクル化とは正反対の謙虚なものにつつましく敬意を表する。一部の観客にとっては忍耐を必要とする選択ではあるが、長い目で見れば成果をもたらすものである」と評している。作品を撮影する側による演出によってドラマティックなものへと仕立てあげることを避けながら、テレスは穏やかな日常のうちにある美しい瞬間を収めようとキャメラを構えるのだ。[8]
「私にとってドキュメンタリーとは魔法なのです。会話やシーン〔の脚本〕を書くことはできますが、しかし、撮影現場に到着すると、そこにいる人々にはいつも驚かされてしまうのです。そしてそれは、書きうるものよりもよいものなのです。」[7]
集団的なものとしての映画
テレスは、映画が集団的なものの力によって立ち上がることに自覚的である。だからこそ、みずからが脚本を書きそれを俳優たちに演じさせるというフィクション映画の方法ではなく、ドキュメンタリーによって映画を製作しようと試みているのだろう。
「映画のアイデアが浮かび、実現しようと思ったなら、自身の映画を作るまで戦わなければなりません。また、ベストな人々をできるかぎり巻き込まなければなりません。撮影は一人ではできません。〔中略〕…私にとって、映画とは共同作業=集団的な仕事travail collectifなのです。巻き込んだ人々はとても重要なのです。」[7]
[1] https://terrafrancalefilm.com/le-film/ [2]http://indielisboa.com/movies/rhoma-acans/ [3]https://www.imdb.com/title/tt5593492/ [4]https://pro.festivalscope.com/film/batrachian-s-ballad [5]http://blog.cinemadureel.org/film/terra-franca/ [6]https://www.ladepeche.fr/article/2018/11/20/2909827-leonor-teles-vient-presenter-son-film-terra-franca.html [7]http://blog.cinemadureel.org/2018/03/31/entretien-avec-leonor-teles/ [8]https://cineuropa.org/fr/newsdetail/350534/#cm

板井 仁
大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。
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