今年も各方面で大きなニュースとなったアカデミー賞。最も話題となったのは何と言っても『ラ・ラ・ランド』を中心とした作品賞候補であったが、今年のドキュメンタリー賞候補はどれも粒ぞろいでどの作品が受賞してもおかしくない状況だった。日本でも公開された昨年のベルリン国際映画祭金熊賞受賞作の『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』や、O.J.シンプソンをテーマとし今年のドキュメンタリー賞の栄冠に輝いた『O.J.:メイド・イン・アメリカ』など移民や人種といった重厚なテーマを扱う意欲作が目についた。そんな候補作の中でも、20世紀を代表する黒人作家の一人ジェームズ・ボールドウィンを扱った『I Am Not Your Negro』は、ロッテントマトで98%の点数を獲得するなど高い評価を得ている。

 ジェームズ・ボールドウィンは1924年、ニューヨーク・ハーレムの生まれ。黒人であり同性愛者でもあった彼は、アメリカでの疎外された経験を元にした半自伝的小説『山に登りて告げよ』で名声を確かなものにした後、『ジョヴァンニの部屋』『もう一つの国』などアメリカ文学のマスターピースとして現在でも読み継がれる作品を残している。後半生はパリを始めヨーロッパでの生活が長かったが、公民権運動にも積極的に関わり、キング牧師やマルコムXらとも親交を結んでいる。

 一方、『I Am Not Your Negro』の監督であるラウル・ペックはハイチの生まれ。ニューヨークでタクシーの運転手やジャーナリストとして働いた後、ハイチの文化大臣も務めている。彼がボールドウィンの著作に出会ったのはベルリンに留学したときのこと。黒人であることで差別的な待遇を受けたことがなかった彼を変えたのがそこで出会った黒人でゲイでもある友人だった。
「朝、目が覚めて黒人だと自分を認識すること。朝、目が覚めてゲイだと自分を認識すること。アンケートのチェックボックスで選択するみたいに、そうやって自分の属性で自分を捉えるんじゃなくて、自分は自分だと認識したい。」
そう告げる彼に翌日渡されたのがボールドウィンの著作だった。

Mandatory Credit: Photo by Dave Pickoff/AP/REX/Shutterstock (6633603a) James Baldwin, author of "The Fire Next Time" and "Another Country," at his home, New York James Baldwin, New York, USA それ以来30年にわたってボールドウィンの作品を愛読し映像化を試みてきたペックだが、この映画を制作するにあたっては10年もの歳月が必要だった。ボールドウィンの作品を映像化するためにまず必要だったのが映像化のための権利交渉だ。ボールドウィンの著作管理団体はなかなか許諾を下さないことで有名だったが、幸いにも彼の作品を見ていたボールドウィンの姉妹がいたことで快諾を得ることができた。しかし、そこからの道のりは決して平坦なものではなかった。許諾を得ることで未刊行の著作を含むボールドウィンの膨大な遺産へのアクセスは可能になったものの、どの作品を映像化するかでそこから4年もの時間がかかってしまったのだ。ボールドウィンの著作に匹敵するインパクトと完成度を備えた映画にするには単なる作品の映像化だけでは事足りない--そう悩む彼に光明を与えたのが、前述のボールドウィンの姉妹が差し出した一冊のノートだった。そのノートはキング牧師、マルコムX、メドガー・エヴァーズという3人の凶刃に倒れた黒人運動家の活動からアメリカの人種問題を語る未完の著作『Remember This House』に関するものであった。

 そこからさらに6年の時間をかけてようやく『I Am Not Your Negro』は完成した。前段で述べたように特異な制作プロセスを経たこの作品は単にボールドウィンの生涯をなぞるような構成をとっておらず、公民権運動の時代と現代を行き来しながら、サミュエル・L・ジャクソンのナレーションでボールドウィン自身の言葉を語るという構成をとっている。「私はアメリカの人種問題については悲観的なのです」冒頭に登場するTVでのインタビューでそう語るボールドウィンの言葉は、本作を貫く大きな問いかけと共鳴し合っている。すなわちそれは、公民権運動以来数十年、人種を取り巻く状況は全く改善されていないのではないかという問いだ。
「ネイティブアメリカンや黒人を虐殺することで成立しているこの国でアメリカン・ドリームなんて存在するんだろうか。白人たちが自分たちの問題だと認識を改め人種問題を解決することなしにはそんなものはありえない。この映画はアメリカンドリームという幻想を打ち砕く一種の爆弾なのだ。この映画を見ている間、あなたは息つく暇もなくそのことを意識するだろう」そう語るペックの言葉を裏打ちするように、冒頭のボールドウィンのインタビューから一転、映画は2014年に起きたファーガソンでの警官による黒人射殺事件に対するデモのシークエンスへと移っていく。

 1960年代の公民権運動と現代で何が変わったのか。世の中はより豊かになっているにも関わらず、人種問題はより悪い方向へ向かっているとさえ言えるのではないだろうか。そんな観客の絶望感に追い打ちをかけるように、史実を語る場面から一転して映されるのがジョージ・ワシントンやジョン・ウェインとともに土産物屋に飾られるキング牧師のフィギュアだ。キング牧師のおもちゃが、ネイティブアメリカンを虐殺する白人至上主義の象徴とも言える存在の隣に置かれているのは何という皮肉なのであろうか。ファーガソンを始め、人種問題がいま・ここで起きている問題であるにも関わらず、キング牧師のイメージが過去のナショナル・ヒーローとして消費されていることにこの映画は強い反発を投げかけている。

 人種問題がより一層鮮明化し深刻となっている現在に、ボールドウィンの言葉は預言のように響くだろう。「私は”ニガー”ではありません。なぜ白人たちが”ニガー”を必要としその言葉を発明したのか一度考えてみるべきでしょう」「私は一人の人間です。なぜこの国の人々が奴隷を必要としたのか考えることーーそこにこの国の未来がかかっているのです」

 この映画は一人の偉人の業績を語るものでも、ましてや歴史的事実に光を当てるものでもない。観客ひとりひとりにいま身近で起きている出来事について考えさせ、ボールドウィン自身が感じた思いを現代に蘇らせる一つの企図として機能しているのだ。昨年の黒人映画を無視したアカデミー賞から一転、『ムーンライト』をはじめ多くの黒人映画が注目を集めた本年は、改めて黒人作家や監督が脚光を浴びている。この好機に日本でも多くの黒人作家や監督の作品が紹介されることが待ち望まれる。

参照:
1)To director Raoul Peck, ‘I Am Not Your Negro’ is a ‘bomb’ ― here’s why

2)How ‘I Am Not Your Negro’ Resurrects James Baldwin: Raoul Peck On Bringing the Author to New Audiences ― Consider This

3)I Am Not Your Negro(Review)

4)The Great Divide

5)New York Film Review: ‘I Am Not Your Negro’

6)Oscar-Nominated Docs Push Boundaries

坂雄史
World News部門担当。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程。学部時代はロバート・ロッセン監督の作品を研究。留学経験はないけれど、ネイティブレベルを目指して日々英語と格闘中。カラオケの十八番はCHAGE and ASKA。


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