『ゼイリブ』や『遊星からの物体X』のデジタルリマスター版が公開され、本サイトでも連続レビューを掲載中と、日本でもジョン・カーペンター再見/再評価の熱が高まっているところですが、アメリカでは9月末から公開40周年を迎えた『ハロウィン』(1978)が各州で再上映されています[*1]。さらに19日にはデヴィッド・ゴードン・グリーン監督による、オリジナル版の40年後を舞台とした『ハロウィン』が公開されます[*2]。
『ハロウィン』はこれまで10作近くの続編やリメイク版が作られてきましたが(直近ではミュージシャンのロブ・ゾンビがメガホンをとった『ハロウィン』[2007]、『ハロウィンⅡ』[09])、ブラムハウス・プロダクション製作の今回のグリーン版『ハロウィン』にはジョン・カーペンターが久々に携わり(1982年の『ハロウィンⅢ』以来)、劇伴を担当したほか、製作総指揮にも名を連ねています。また、ジェイミー・リー・カーティスが再びローリー・ストロード役を演じ、今度は彼女が娘と孫娘とともに、こちらもオリジナルキャストのニック・キャッスル扮する殺人鬼“ブギーマン”と戦うということで、公開前から大きな話題を呼んでいるのは、皆さんもご存知かと思います。
さて、 “新作”の『ハロウィン』も大いに気になるところですが、今回はその宣伝活動の一環として発表されたと思われるオリジナル版の『ハロウィン』に関する記事をご紹介します。今週、New York TimesとIndieWireにおいて、ジョン・カーペンターに加え、ジェイミー・リー・カーティスやニック・キャッスルら主要キャストが1978年版『ハロウィン』について語った記事が相次いで掲載されました。その中から特に興味深い発言を抜粋していきます。

『ハロウィン』のはじまり
製作総指揮のアーウィン・ヤブランスから“ベビーシッターたちが殺される低予算映画”を監督しないかと申し出があったとき、カーペンターは「最低なアイデアだ」と思ったものの、「でも映画を作りたかったから“素晴らしい!”と言って引き受けたんだ」と回想します[*3]。「私はアーウィンに最終編集権とタイトルの前に私の名前を入れることを要求した。それは私にとって自分の作品をコントロールする上で重要なことだった。アーウィンは“もちろんそれで構わない”と答えてくれた」[*3]。

共同脚本/プロデューサーのデブラ・ヒルが果たした役割
ヤブランスからの依頼を引き受けたカーペンターはパートナーのデブラ・ヒルとともに脚本執筆にとりかかります。デブラ・ヒル(1950~2005)は、『ザ・フォッグ』(1980)『エスケープ・フロム・L.A.』(1996)でもカーペンターとともに脚本を担当、またそれらの作品+『ニューヨーク1997』(1981)の製作を手掛けています。ベビーシッターの少女たちの一人リンダを演じたP.J.ソールズが「デブラは創造性を刺激する人であり、ジョンに勢いをもたらしていたのは間違いなく彼女の存在でした」と語れば、同じくベビーシッターのアニーを演じたナンシー・ルーミスも「デブラは最先端を走る女性でした。そして彼女は多くの女性がそれまで得られなかった役職や仕事を手にするための手助けをしてくれた人でもあります」と付け加えています[*3]。
カーペンターは『ハロウィン』の脚本が「デブラ自身の高校生時代の体験がかなり反映されている。私が彼女の持ち込んだ案を採用し、書き直して完成させた」[*4]ものだと証言しています。そしてジェイミー・リー・カーティスはデブラ・ヒルこそが“ローリー・ストロード”という人物を作り出し、自身のキャリアを作ってくれたのだと明言します。「彼女があのキャラクターを描いたんです。ジョン・カーペンターは才能ある男性ですが、デブラほど効果的にあの3人の17歳の少女たちについて書くことはできなかったはずです。ジョンと『ハロウィン』、そしてローリー・ストロードというキャラクターがなければ、間違いなく私はいまのキャリアを築くことはできなかった。若い女優だったとき、私はあまり可愛くもなく、その容姿が認知されてもいませんでした。そんな漠然とした存在だったときに、この映画が私を明確な存在にしてくれたのです。ジョンは私が持つ脆弱さをひとつの才能として認め、仕事を与えてくれました。(公開当時にハリウッドの映画館で『ハロウィン』を観たとき)ローリーが道路を渡って(殺人鬼のいる)向かいの家に行こうとしたとき、ひとりのアフリカ系アメリカ人の女性が“そこに行ってはだめ!”と叫んだんです。私はその瞬間、ジョンがやりたかったことを理解しました。私たちはこの優しい少女を観客にとっての娘であり、友達であり、頭脳明晰だけれど抑圧された夢想家として作り上げ、人々は彼女を守りたいと思うことでこの恐ろしい世界に誘われたのです」[*4]

“ブギーマン”はいかに生まれたのか
マスクを被った殺人鬼の“ブギーマン”役を担ったニック・キャッスルはカーペンターの大学の後輩で、最初は撮影現場に見学に行きたいと申し出たところ、カーペンターに「マスクを被って歩き回る男が必要なんだ。やってくれるだろ?」と頼まれたとのこと。彼にこの役をやらせた理由についてカーペンターは「ニックの父親は振付師で、ニックの動きには優雅さが備わっていた。私はこう言うだけでよかった。“ニック、ここまで歩いて来てくれ。アクション!”。彼は完璧にやってのけたよ」と説明しています[*4]。
“ブギーマン”のマスクを作ったのはプロダクションデザイナーのトミー・リー・ウォレスでした。ウォレスはハリウッドのマジック用品店で2つのマスクを買ってきたのだそうです。キャッスルいわく、「トミーはまずピエロのマスクを取り出した。僕らは“おお、こりゃ恐いね”って反応した。それから彼は『スター・トレック』の(ウィリアム・シャトナー演じる)キャプテン・カークのマスクを取り出した。僕ら全員はしばらく静止してしまった。そして言ったんだ、“これは完璧だ”ってね」[*4]。カーペンターはその後を引き継ぎ、「トミーはそのマスクをスプレーで白く塗りつぶし、目ののぞき穴をより大きく広げたんだ。ゾッとしたね。それには人間の顔を被るような異様さがあった」[*4]と語っています。

オープニングの長回しについて
あまりに有名な『ハロウィン』の最初のシーンは、のちに“ブギーマン”となるマイケル少年の最初の殺人が彼の見た目のショットとして、約5分間の手持ちカメラによる長回しで撮影されています。オープニングをこのような手法で撮影した理由をカーペンターは、「これみよがしなことがしたかった。『黒い罠』や『スカーフェイス』のような長い移動撮影を持つクラシック映画のようにね。チャレンジングな撮影ではあったけど、だからこそ興奮できる」[*3]「私はそれまで低予算映画でそういうシーンを観たことがなかった。それから低予算のホラー映画でパナヴィジョンのワイドスクリーンが使われたこともなかったはずだよ。お金がかかりすぎるからね」[*4]と説明しています。また当時開発されたばかりだった、パナヴィジョン用のパナグライド(Panaglide)カメラを使えたことも重要だったそうで、「パナグライドはユニークな動きをする。あのカメラは前後に揺れるんだ。その揺れが奇妙で薄気味悪い印象をもたらしてくれた」とのこと[*3]。
ちなみに、ジェイミー・リー・カーティスによればこのシーンは撮影最終日に撮られたそうで、「予算が限られていたからでしょうけど、あのオープニングシーンを撮っているときは、ある部屋を照らしていた照明技師がカメラが通過するとすぐに他の部屋に走ってライトを当てるという離れ業をやってのけていて、見ていて本当に興奮した」撮影だったそうです[*3]。

新旧『ハロウィン』の音楽
オリジナル版の『ハロウィン』では音楽の演奏者として“The Bowling Green Philharmonic Orchestra”とクレジットされていますが、もちろんそんなオーケストラは存在せず、演奏はカーペンターとシンセサイザーを演奏するダン・ワイマンの2人だけで行われました。
「曲作りに与えられた時間はたったの3日だった。だからメインテーマは、私が13歳のときに父親がボンゴを使って教えてくれた4分の5拍子のピアノのリフで作った。ピアノの前に座って、父親を呼んで演奏してみた。独特だけれどとてもシンプルなスコアだ」[*3]。
息子のコーディとダニエル・デイヴィスとともに作った新しいグリーン版『ハロウィン』の音楽にもオリジナルのテーマが所々用いられ、「昔のテーマと新しい音楽が組み合わさったもの」[*4]になっているとのこと。カーペンターはグリーン版の作品の音楽づくりを「満喫してやった」そうで、「デヴィッドは素晴らしかった。彼は音楽が欲しいところを非常に具体的に指示してくれた。(中略)彼は音楽を使うべき場面と静寂が必要な場面をちゃんとわかっていた」[*4]とデヴィッド・ゴードン・グリーンの監督としての手腕を称賛しています。

最終編集権を持つこと
Indiewireの記事では、『ハロウィン』のこと以外に、カーペンターが『遊星からの物体X』でぶち当たった苦難について数年前に語ったという発言が取り上げられていました。『遊星からの物体X』は大手スタジオのユニバーサルが製作した作品ですが、カーペンターは同作でも最終編集権を保持していました。
「この作品のエンディングでは、生き残った2人の人物のどちらが“物体X(The Thing)”なのかどうかわからない。曖昧なままになっている。観客はそれを嫌がるんだ。そしてそのエンディングは暗いもので、本質的に人類の終焉を示している。最初の試写でそのエンディングは喜ばれず、ユニバーサルはカート・ラッセルが“物体X”を爆破したと信じることができるような新しい結末にしてほしいと要求してきたんだ」[*4]。
カーペンターは異なるヴァージョンも作ったものの、大きな変化は生まれず、結局元のエンディングのまま公開されることになりました。
「(当時のユニバーサルの最高責任者だった)シド・シャインバーグの妻はこの映画を嫌って彼に“この映画はあなたの身を滅ぼすことになるわよ”と言ったそうだ。私はしっぽを巻いて逃げて、隠れた。ユニバーサルから追い出されたんだ。『遊星からの物体X』が観客に嫌われ十分な興行収入をあげられなかったために、予定されていた『炎の少女チャーリー』を監督する話も流れた。あの映画は『E.T.』ではなかったんだ」「私は円滑かつコンスタントに最終編集権を維持することができなかった。自分の映画を誰に反対されることもなく自ら管理して作ることは映画を作り始めた当初から私が最も大切にしてきたことだった。私は闘わなければならなかった。でも闘うことに疲れていった。ビジネスは人をすり減らす。私は闘うことをやめた。“これ以上できない。あまりにストレスがかかりすぎる。あまりに諍いが多すぎる”とね。プロジェクトを始める時は誰もが幸せを感じるが、終わるときはこんな調子だ。みんながあれやこれやを変えたがる。あの頃はそのことで苦しんだ。いまはだいぶましになったがね」[*4]

『ハロウィン』撮影時のジェイミー・リー・カーティスとジョン・カーペンター

*1
http://www.cinelifeentertainment.com/event/halloween-40th-anniversary/
*2
https://www.imdb.com/title/tt1502407/fullcredits/?ref_=tt_ov_st_sm
*3
https://www.nytimes.com/2018/10/11/movies/halloween-1978-jamie-lee-curtis.html?rref=collection%2Fsectioncollection%2Fmovies&action=click&contentCollection=movies&region=rank&module=package&version=highlights&contentPlacement=2&pgtype=sectionfront
*4
https://www.indiewire.com/2018/10/john-carpenter-jamie-lee-curtis-halloween-40-years-later-1202011732/

黒岩幹子
「boidマガジン」(http://boid-mag.publishers.fm/)や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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