冒頭に映し出されるのはムスリムたちだ。ビルの一室の中にこしらえられた小さなモスクでイマームが読み上げるコーランの一節に、そこに集まった人々はじっと耳を傾けている。今年も無事にラマダンを終えることができた——その喜びをかみしめているのだ。ただ、このモスクが入るビルはバングラデシュや湾岸諸国にあるわけではない。そのビルは、アメリカの中心であるニューヨーク・クイーンズの一区画 −−「ジャクソンハイツ」と呼ばれる町の一角にある。

 

88歳のフレデリック・ワイズマンが2015年に完成させた作品「ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ」(In Jackson Heights, 2015)が、いよいよ来週20日から渋谷・イメージフォーラムで公開される。本作は3年前の東京国際映画祭の「ワールド・フォーカス」部門にも出品されたので、そこでご覧になった方もいるかもしれない。ただ、その1年後のあの11月、アメリカ大統領選挙でドナルド・トランプ氏が民主党のクリントン候補を僅差で破り大統領に就任、その直後に署名された中東諸国からの入国を規制する大統領令や、メキシコとの国境に築かれようとしている巨大な壁、その他諸々の様々な事態を思えば、本作が持つ社会的意味合いは大きく変化したと考えざるをえない。ひょっとしたら「ジャクソンハイツ」は数年を隔て、いま私たちが暮らす現在の世界を、不思議な形で予感させるものであったかもしれない。

ジャクソンハイツはクイーンズの北西に位置する小さな「町」で、大きさは中野区ほどだろうか(日本語では「町」という言葉があてられるが、これに対応する英語は「Neighborhood」)。2015年の統計では13.2万人が暮らしているということだが、この町を特徴づけるのはなによりも167カ国が話されているというその多様性、ないしは多民族性で、映画の冒頭で現れるムスリムの人たち以外にも、ヒスパニック、アジア人、ユダヤ人、黒人と、常に様々な人種・民族・宗教の人々が通りを往来している。そしてそれらの人種・宗教・民族、それぞれバックグラウンドが異なるコミュニティがひとつの町の中に蝟集している。資料によると歴史的には、ブロードウェイに簡単にいける利便さが好まれて、多くの俳優や芸人がこの町に移り住んだ経緯があり、彼らの中からゲイコミュニティが誕生した。それでLGBTのコミュティが強い力を持つことでも知られる。多文化都市として知られるニューヨークのなかでも、最も多様性のある町のひとつだということだ。

という次第なので、教育施設や裁判所、軍事基地、ボクシングジムから動物園、州議会やダンスカンパニーに至るまであらゆる角度から「アメリカ」を記録してきた映画作家=フレデリック・ワイズマンがこの場所を選んだのは極めて自然な流れであるといえそうだ。ワイズマンによって撮影されることを待っていた町、といえば言い過ぎだろうか。作家本人の言葉をひけば「広範で複雑、散漫な現代の生活のポートレイトを提示しようとした」ということだ(Indie Wire(2015)より)。本人が意識されているかどうかわからないが、ポートレートという言葉からは都市の記録によってアメリカの民主主義を支えてきた写真家たち、ウィリアム・クラインやロバート・フランク、ゲイリー・ウィノグランドの仕事も想起される。

一方、本作は単に多文化・多民族の共生を称揚するものではない。少なくともそのために撮られたわけではない。かつてエロール・モリスはワイズマンを「“人間嫌い映画”の王さま」と称したが、これまでのワイズマン作品もそうだったように、カメラは人物たちに対して愛着を示すことはない。

              

自分たちの町が経済開発によって奪われようとしていると抗議する中南米からの移民たち。毎週末教会に集まり、癒えない過去の傷を確認し合う敬虔なユダヤ教徒。この町までやってくるのがどれほど苦難に満ちたものであったかを、同胞に打ち明けることによって前に進もうとするメキシコの若者。そして、小さな部屋の中に作ったモスクでラマダン明けを祝うムスリムたち。バーに集まり、みなでコロンビア・チームの試合を見ることによって結束する人々。そして白人たち・・・。

ワイズマンとカメラマンのジョン・ディヴィーとの冷徹な視線で記録されたコミュニティの諸相を通して、私たちはおそらく、この町の多様性だけではなく、それぞれのコミュニティ間に横たわる避けがたい断絶をも感じることになる。彼らは自分の居場所が奪われるのではないかと葛藤し、自身が持つべき権利を守るために行動を続ける。もちろん日々の暮らしも送っていかなくてはいけない。多文化共生というのは美しい理想だけれど、実際には当然のように疎外があり、衝突がある。時には不条理な目にもあわなければならない。しかし、それでも「町」は壊れることはなく、機能しているようにみえるのだ。であれば、それはどうしてなのだろうか。そこに映画の主題がある。

 

「撮影方法は、通りのできごと、ビジネス(衣料品店、コインランドリー、ベーカリー、レストラン、スーパーマーケット)、宗教施設(モスク、寺院、教会)に行き、シーンとショットを収集し、合計120時間撮影しました。最初はテーマ、視点、長さがどんなものになるかわかりませんでした。この映画は九週間の撮影と10ヶ月の編集から生まれました。編集では(1)その場所における私の記憶 (2)ラッシュフィルムの中にある記憶の記録 (3)私の一般的な経験 (4)個々のシーンで何が起こっているのかを理解しようとする編集プロセス、という4つの視点があり、そこから使用する素材を選んで編集し、シーケンス間の視覚的およびテーマ的な接点を探すのです。この映画はその会話の中に形を見つけ、私がこの映画を制作する過程で得た経験と、学びを表現しているのです」(海外版プレス(2015)より)

 

ワイズマンが作品で「町」を扱ったのは「アスペン」(Aspen, 1991)と「メイン州ベルファスト」(Belfast, Maine, 1999)に続いて本作が3作目。また、米中西部の旧工業地帯、いわゆる「ラストベルト」として知られるインディアナ州に住む人々を記録した「Monrovia, Indiana」(2018)も各国の映画祭で上映がスタートしている。日本では来年「エクス・リブリス・ニューヨーク公共図書館」(仮題、EX Libris : The New York Public Library, 2017)が岩波ホールで公開予定となっているとのこと。

 

本作の公開にあわせて水道橋のアテネ・フランセでは「フレデリック・ワイズマンの足跡」と題された特集上映が10月8日から始まっていて、こちらでは3期に分けて67年から85年に製作された初期の16作品を見ることができる。あわせてぜひご覧になってください。

 

「ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ」
(C) 2015 Moulins Films LLC All Rights Reserved
2018年10月20日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

 

▪️特集上映「フレデリック・ワイズマンの足跡 Part.1 1967年-1985年」 In the Footsteps of Frederick Wiseman 1967-1985

第1期1967年―1972年:2018年10月8日(月・祝)-10月13日(土)(5日間)
第2期1971年―1976年:2018年10月15日(月)-10月19日(金)(5日間)
第3期1977年―1985年:2018年11月6日(火)-11月10日(土)(5日間)

会場:アテネ・フランセ文化センター

 

 


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