トロント国際映画祭が9月6~16日に開催されました[*1]。今年で43回目の開催となった同映画祭は、審査員を置かないノン・コンペティションの映画祭ではあるものの観客や批評家が投票するいくつかの賞が設けられており、特に最高賞にあたる観客賞(People’s Choice Award)は、近年、その年のアカデミー賞をはじめとする映画賞レースを占う上で重視されてきました。実際、過去10年においてトロントで観客賞を受賞した作品のうち実に9作品がアカデミー賞の作品賞にノミネートされています(そのうち受賞したのは『スラムドッグ$ミリオネア』『英国王のスピーチ』『それでも夜は明ける』の3作品)。IndieWireのアン・トンプソン記者は「トロント映画祭観客賞の受賞はその映画が観客の受けが良いというサインであり、トロントの映画ファンたちは特に洗練された質の高い作品を歓迎するが、それはアカデミー賞の投票者が好む傾向でもある」と分析しています[*2]。
そして今年の同映画祭において、デイミアン・チャゼルの『ファースト・マン』、ブラッドリー・クーパー初監督作/レディ・ガガ主演の『アリー/スター誕生』、バリー・ジェンキンスの『If Beale Street Could Talk』、アルフォンソ・キュアロンの『Roma』といった注目作を抑えて観客賞を受賞したのが、ヴィゴ・モーテンセンとマハーシャラ・アリが主演したロードムーヴィー『Green Book』でした。受賞のニュースを知って同作の予告編やヴィジュアルをチェックした人の中には、ヴィゴ・モーテンセンの太マッチョなおじさん体型に軽くショックを受けた方もいるかもしれませんが(もちろん太ったのは役作りのためなので、ファンの方はご安心を)、一部の映画ファンがそれ以上に驚いたのはこれがピーター・ファレリーの監督作だということではないでしょうか。弟のボビーとともに、『ジム・キャリーはMr.ダマー』『キングピン/ストライクの道』『メリーに首ったけ』『愛しのローズ・マリー』『ライラにお手上げ』といった数々のコメディ映画を生み出してきた、あの現代の“おバカ映画”の巨匠・ファレリー兄弟の兄・ピーターが監督した作品が、伝統あるトロント映画祭のプレミア上映で「たくさんの笑いと涙のあとで2分間におよぶスタンディングオベーションを受け」[*3]、その最高賞を受賞し、オスカーの有力作品と目される日がやってくるとは。しかも弟のボビーが関わっていなかったり、初めての実話をもとにした作品だったりで、ファレリー兄弟・チルドレンとしては思わず「どうした!?ファレリー」と問いかけたくなる事態です。

では『Green Book』とはどんな映画なのでしょうか。まずタイトルの「グリーンブック」というのが何を指すのかといえば、Varietyの映画評[*4]における説明を借りると、「“苛立つことのない休暇”を求める黒人の旅行者にとって、友好的な宿泊先やジム・クロウ法のせいで起きる問題を回避するアドバイスが書かれた必要不可欠な旅行ガイド」ということになります。つまりこの映画は、公共の乗り物やレストランにおいて白人と黒人の車両や部屋を区別するなどの差別的な内容が定められたアメリカ南部の州法「ジム・クロウ法」が残っていた1962年に、黒人のミュージシャンと彼に雇われた白人の運転手兼用心棒がアメリカの南部を演奏旅行に出る物語を描いています。
先に書いたようにその物語の元になったのは実話で、ヴィゴ・モーテンセンが演じるトニー・リップことフランク・アンソニー・バレロンガ(この人は俳優としても活動しており、『ゴッドファーザー』や『グッド・フェローズ』などに脇役で出演)の息子ニック・バレロンガが脚本に参加しています。トロント映画祭の記者会見[*5]で明かされた話では、ニックと数十年来の友人で家族ぐるみの付き合いがあった俳優のブライアン・カリーが映画化を勧め、こちらもカリーの長年の友人であったピーター・ファレリーを紹介したのだそう。ニックが語った父親の話を気に入ったファレリーは早速3人で脚本を書くことを提案し、そこからこの作品がスタートしたといいます(ちなみにそのころ弟のボビー・ファレリーは、20歳の息子をオーバードーズが原因で亡くしたばかりで休暇をとることを望んでいたため、本作に参加しなかったとのこと)。トニー・リップを用心棒として雇う、マハーシャル・アリ演じる音楽家ドン・シャーリーはジャマイカ出身のジャズピアニストで、特にベースとチェロを加えた異色トリオの演奏で知られ、現在でもその録音盤を聴くことができます。
本作はクラシックやジャズの高等教育を受け、10代のころから音楽活動を行う上流階級の黒人(映画の冒頭でトニーが訪ねるドンの自宅は何とカーネギーホールの上階にある大邸宅です)と、いわば学のないヤクザ者で黒人に対する差別意識を持った(こちらも冒頭で黒人の使用人が使ったコップを差別的な言葉を吐いて投げ捨てる場面あり)イタリア系アメリカ人という、人種も階級も性格も生活環境も育った文化も異なるふたりの男性が、2ヶ月間の旅の過程でいかにして互いに敬意を払い、長きにわたる友情を育むようになるかを描いているわけです。

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もちろんピーター・ファレリーの作品ですからコメディ映画ではあるものの、IndieWireのエリック・コーン氏いわく、「『ドライビング・ミス・デイジー』を狡猾に矯正したこのセンチメンタルなコメディは『ジム・キャリーはMr.ダマー』を監督したデュオの片割れからは予想できない種類の映画」[*6]だといいます。しかしコーン氏はその映画評においてこのように続けています。
「『Green Book』はまるで数十年前に作られた作品のようにも感じられ、トニーとの関係を通してしかドンの苦難が前景化されていないようにも見える。トニーは白人しかいないバー、黒人と白人の席が分離されたレストラン、未熟な警官との間で起こる諍いの場面で、ドンを様々な偏見から救うため考えるより先に行動を起こす。それらの場面が同じ編集方法でいくつかのバリエーションとして続くだけだったら退屈なものになってしまうだろう。しかしファレリーはそれらのシーンを、これまで彼がボビーとともに監督してきたお下劣な作品にも間違いなく存在した繊細なユーモアのバランスとほろ苦い雰囲気によって、巧みに操作している。スラップスティックの要素を除けば、『メリーに首ったけ』と『Green Book』の間に大きな差はない。どちらの作品でも自信過剰な男が自らの繊細で傷つきやすい部分に触れる様が描かれている。そしてこの新作の回路においては、トニーが度々彼の妻(心温かいリンダ・カーデリーニ)に宛てて手紙を書こうとする、ドンがその作曲(文面のアドバイス)を手伝うようになるまでどのように表現していいのか苦戦するその姿によって、彼の優しい側面が構築されている」[*6]。
また、The Guardianのベンジャミン・リー氏による映画評でも、「ファレリーは『Green Book』において愉快な場面だけでなく、静かでドラマチックな場面においても、これまでのコメディ作品で見せたような観客の大きな反応を引き出す熟練さを見せている。幸福感を与えるクリスマスのラストシーンに至るまでずっと、この映画にはヒットする何かがあると感じられるのだ。洗練された観客にとっては『ドライビング・ミス・デイジー』の立場を入れ替え、単純化しすぎた作品のように見えるかもしれないが、ここには聖歌隊にも勝る重要な説教が存在している」[*7]と評されています。

果たしてこれまで映画賞とは無縁だったピーター・ファレリーの映画が、本当にアカデミー賞にノミネートされることはあるのか。新聞や映画サイトの予想記事では、「(『Green Book』の製作・配給を手掛ける)ユニバーサルはいまや『Green Book』に関する彼らの自信が不当なものではないという確信を持った。(中略)スタジオはこれからアカデミー賞を勝ち取るためにこの作品を全力でプッシュしていくだろう」[*2]といった見解や、今回のトロント映画祭での『Green Book』や『アリー/スター誕生』といったスタジオが製作したメジャー作品が人気を呼んだことがアカデミーの「人気賞」の創設の反論になっている、つまり観客が観たい映画と映画賞を受賞する映画は解離していないのだといった論調(そのワシントンポストの記事の結びの一文は「人々はピーター・ファレリーとレディ・ガガを必要としているのだ」)[*3]が見受けられます。
長年ファレリー兄弟の映画を観てきた者としては、そうした予測にはついつい懐疑的になってしまいますが、ただ、トロント映画祭のプレミア上映の席でピーター・ファレリーが「私はこの2人が今年の映画で最高の俳優であると信じています」[*3]と明言したように、ヴィゴ・モーテンセンとマハーシャラ・アリが男優賞を争うことになる可能性は大いにあるのではないでしょうか。トニー・リップと同じくニューヨークで生まれ育った北欧系アメリカ人であるモーテンセンは、「素晴らしいイタリア系アメリカ人の俳優がたくさんいる事実も、これまでの映画でイタリア系アメリカ人のイコン的な登場人物が何人もいたこともわかっていた」[*8]からこそ、トニー役を引き受けるにあたってナーバスになったと明かしています。しかし彼は見事なイタリア語訛りの英語を披露しているだけでなく、15キロ近く増量させた身体で劇中でもホットドックやフライドチキンなどを食べ続け(ちなみにファレリーたちはモーテンセンの食べる姿を見て起用を即決したとのこと)、その技術と身体を駆使して俳優として新たな表現を見せていると評価されています。また、マハーシャラ・アリは「とにかく本物の音楽を知るミュージシャンが演奏しているように見せたい」[*8]と考え、わずかな準備期間でピアノの演奏の練習に打ち込んだだけでなく、ドン・シャーリーの演奏時の写真や数少ない資料映像を当たって研究したそうです。ファレリーによればアリはピアノの前にどのように座るかにもこだわり、ふさわしい座り方をしていなかったという理由でアリのほうからリテイクを要求したことがあったほどだったとのこと[*8]。
『Green Book』は11月21日に全米で公開され、日本では来年3月の公開が予定されています。

トロント国際映画祭のプレミア上映に出席したヴィゴ・モーテンセン、ピーター・ファレリー、リンダ・カーデリーニ、マハーシャル・アリ

*1
https://www.tiff.net/tiff/
*2
https://www.indiewire.com/2018/09/green-book-roma-oscars-tiff-audience-award-1202004330/
*3
https://www.washingtonpost.com/business/2018/09/15/why-toronto-film-festival-breakouts-like-star-is-born-make-popular-oscar-moot/?utm_term=.7457d1693b03
*4
https://variety.com/2018/film/reviews/green-book-review-1202937442/
*5

*6
https://www.indiewire.com/2018/09/green-book-review-viggo-mortensen-mahershala-ali-tiff-2018-1202002888/
*7
https://www.theguardian.com/film/2018/sep/11/green-book-review-charming-deep-south-road-trip-is-worth-taking
*8
https://www.hollywoodreporter.com/news/toronto-peter-farrelly-why-green-book-almost-never-got-made-1142649

黒岩幹子
「boidマガジン」(http://boid-mag.publishers.fm/)や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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