今回は9月頃に出版される、映画に関する英仏語の書籍を紹介する。

 まず1冊目はコロンビア大学出版から①『カタストロフとしての未来:現代において災害をイメージする』(2018/09/18)を紹介したい。著者のEva Hornは文学やカルチュラルヒストリーを専門とするウィーン大学の教授であり、本書は『Zukunft als Katastrophe. Fiktion und Prävention』Frankfurt/Main: Fischer 2014の翻訳である。著者は、これまで数十年間にわたってまとわりついてきた原子力によるアポカリプスのイメージを越えて、天候変動、金融危機、環境破壊、テクノロジーのメルトダウンなど現代の我々は想定しうるカタストロフのシナリオの数々に目がくらんでおり、まともに対峙することが難しくなっていると主張する。この状況を著者は「出来事なきカタストロフ」と呼ぶが、本書はロマン主義からブロックバスター映画まで、幅広く文化の中に現れるイメージに着目することで、そのようなカタストロフの飽和した状況への知的な道具を提供しようとする。(#1)

 続いて2冊目はエディンバラ大学出版から②『時間、実存的現前、映画的イメージ:映画においてあることへの倫理と創発』(2018/10/01)である。著者のSam B. Girgusはウディ・アレンやクリント・イーストウッドなどアメリカ映画に関する著作を持ち、「南のハーバード」とも言われるヴァンダービルト大学で教鞭をとっている。(#2)本書は、フェミニズム映画理論で知られるローラ・マルヴィによる「delayed cinema」論を、ジャン・リュック・ナンシーやエマヌエル・レヴィナスの著作における時間や他者への関係に関する考察と結びつけることを試みており、「静止性と動くイメージstillness and the moving image」というマルヴィのフレーズに現れるような映画の中で持続する緊張は、実存的創発のドラマを顕現させると主張する。具体的には『自転車泥棒』などの作品分析を通して、決定的な倫理的、文化的イシューと関わる映画的時空間を開示している。(#3)

 3冊目はアムステルダム大学出版から③『オランダ性のイメージImages of Dutchness:大衆的視覚的文化、初期映画、国民的クリシェの発生』(2018/10/06)である。著者のSarah Dellmannはユトレヒト大学のメディアスタディーズ研究者であり、専門は初期映画研究や西洋メディア史だという。本書は「なぜ初期映画はオランダを、水路や風車でいっぱいで、そこの人々は伝統衣装と木星の靴を身につけ、近代的な都市生活などない国として提示てきたのか」という問いを発端とし、では「このようなイメージはどこから来るのか?」という問いを、雑誌から観光パンフレット、人類学の論文、広告用のトレードカード、ポストカード、マジックランタン、そして初期映画作品など、これまで対象とされていなかった豊富かつ魅力的なコーパスをもとに推し進めている。このようなアプローチは国民的クリシェやステレオタイプな思考の発生への新たな考察を可能にするだろう。(#4)

 4冊目はRoutledge Media and Cultural Studies Companionsシリーズ(#5)の中の一冊のペーパーバック化④『映画とジェンダー』(2018/09/24)という論集である。タイトルの通り、収録されている論文はフェミニズムや女性表象に関するものを中心に43本にわたるが、「女性、イスラム、映画:中東映画におけるジェンダー政治と表象」「アフリカの”最初の映画”」「ボリウッドのソングシークエンスにおける階級、ジェンダー、色調」というように地理学的コンテクストの幅広さが目立つ。また「transnational」や「trans cinema」といった越境性を含んだ単語も多く、最後の方には「映画、アニマルスタディーズ、ポスト/ノン―ヒューマン」といったタイトルまで見受けられる。(#6)

 最後はHermannから出版される、アントワーヌ・ド・ベックらによる⑤『ロラン・バルト:「映画館から出て」(2018/09/19)を紹介したい。ちなみにサブタイトルの「映画館から出てEn sortant du cinéma」は1975年のバルト自身のエッセイ(#7)に由来しており、2015年に開催されていたポンピドゥー・センターでの催し(#8)も「バルト、映画館から出て」というタイトルであった。そして本書の著者らがそのイベントに関わっていたことからも、また出版のHPの紹介(#9)からも、内容的に地続きであろうことが予想される。それらを簡単にまとめると以下のようである。バルトはドゥルーズや、最近ではランシエールのように、映画的現象に対して大きな遺産を残した。それはこの文化的、記号学的、神話学的な対象に対する、エイゼンシュテイン、パゾリーニ、チャップリン、マルクス兄弟等を横断するテクストである。しかし1975年のエッセイ「映画館から出て」の冒頭のフレーズが象徴するようにバルトの映画への関係はパラドキシカルであり、そのような彼の態度は我々に、映画に対して取るべき距離を教えてくれるのだ。


https://www.amazon.com/Future-Catastrophe-Imagining-Disaster-Modern/dp/0231188633/ref=sr_1_sc_1?ie=UTF8&qid=1536261159&sr=8-1-spell&keywords=future+as+catastoroph
#1
https://cup.columbia.edu/book/the-future-as-catastrophe/9780231188630

https://www.amazon.com/Time-Existential-Presence-Cinematic-Image/dp/1474436234
#2
https://en.wikipedia.org/wiki/Sam_B._Girgus
#3
https://edinburghuniversitypress.com/book-time-existential-presence-and-the-cinematic-image.html

https://www.amazon.com/Images-Dutchness-Popular-Emergence-National/dp/9462983003/ref=sr_1_145?s=books&ie=UTF8&qid=1536167889&sr=1-145&keywords=cinema
#4
https://www.aup.nl/en/book/9789462983007/images-of-dutchness


(Amazonでの発売日は10月6日となっている。)
#5
https://www.routledge.com/Routledge-Media-and-Cultural-Studies-Companions/book-series/RMCSC
#6
https://www.routledge.com/The-Routledge-Companion-to-Cinema–Gender/Hole-Jelaca-Kaplan-Petro/p/book/9781138924956

https://www.amazon.fr/Roland-Barthes-En-sortant-cin%C3%A9ma/dp/2705697527/ref=sr_1_218?s=books&ie=UTF8&qid=1536168503&sr=1-218&keywords=cinema
#7
https://www.persee.fr/doc/comm_0588-8018_1975_num_23_1_1353
(邦訳は『第三の意味』に収められている
https://www.amazon.co.jp/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E3%81%AE%E6%84%8F%E5%91%B3%E2%80%95%E6%98%A0%E5%83%8F%E3%81%A8%E6%BC%94%E5%8A%87%E3%81%A8%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%A8-%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3-%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88/dp/4622049562 )
#8
https://www.fabula.org/actualites/barthes-en-sortant-du-cinema_70106.php
#9
http://www.editions-hermann.fr/5384-roland-barthes-en-sortant-du-cinema-.html

嵐大樹
World News担当。東京大学文学部言語文化学科フランス文学専修3年。好きな映画はロメール、ユスターシュ、最近だと濱口竜介など。


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