大島渚。私の世代がよく知っている彼は、テレビ番組の中で常に怒りをさらけ出し、過激で自由な言動が取り沙汰される“怖いおじさん”。とにかく彼はいつも怒っていた。今となってはその怒りの矛先は決して共演者ではなく、日本社会に対する問題提起であったことが分かる。その言動は時に日本全体を巻き込んだ、いわゆる“問題児”であった―。

 去る3月11日、大島渚監督9作品がフランスのカルロッタ・フィルム社よりブルーレイ/DVD-BOXになって発売された。現在、パリにあるフランス映画の聖地シネマテーク・フランセーズにて2ヶ月間にも及ぶ特集上映が行われている。昨年のカンヌ国際映画祭のカンヌクラシック部門にて、デジタル復刻版としてヒッチコックやトリュフォーらと共に上映されるなど相変わらず世界的な注目も高い。仏情報サイト「アボワール・アリール」内で”2015年、大島の年!”とまで評され、再び注目を浴びている日本人映画監督の外国メディアでの評価とは。以下、今回の特集上映に際し掲載されたいくつかの記事を引用しよう。

 ニッポンのヌーヴェル・ヴァーグの巨匠を、異国の地フランスで称える。名作『少年』から始まり、『絞死刑』、『儀式』と続く。『戦場のメリークリスマス』の上映と時を同じくして、デヴィット・ボウイの回顧展がフィルハーモニー・ド・パリにて開かれている。la ceremonie oshima

この特集は、日本社会に対する疑問を絶えず訴えてきた映画界の革命児として知られる彼の作品を再び見直す絶好の機会だ。特筆すべきはカンヌ映画祭で絶賛を浴びた『愛のコリーダ』と、『青春残酷物語』であろう。彼はサムライ同士の同性愛を描いた『御法度』以降、2013年に亡くなるまで映画製作から遠ざかっていた。この作品は、彼の前作『マックス、モン・アムール』のスキャンダラスな内容から一転、非常に審美的で素晴らしい物語である。(※1)

 それをカンヌで初めて見たとき、初めは単なるくだらない茶番劇かと思われたが、すぐにそれは間違いだと分かった。マックスが人間となんら変わらない“彼女の恋人”としてそこに存在していたのだ。シャーロット・ランプリング演じる外交官の妻がチンパンジーと不倫の仲になっていた、という異色の物語のブルジョワ社会に対するブニュエル的風刺。レオス・カラックスは『ホーリー・モーターズ』のあるシーンで彼にオマージュを捧げている。
(※2『マックス、モン・アムール』について 2013年掲載記事)

 日本映画界の“恐るべき子供”。偉大な監督は60年代前半に言論人、随筆家そしてアーティストとして頭角を現した。彼の政治的思考または映画界においての存在は、イタリアのピエル・パオロ・パゾリーニに匹敵する。パゾリーニ、またはブラジルのグラウベル・ローシャ、或いはポーランドのイエジー・スコリモフスキのように、大島渚はヌーヴェル・ヴァーグ以降の映画新時代を象徴する映画作家の一人である。社会への何かしらの“怒り”を抱えたこの若い男たちは、モダニティーの継承者であると同時に、古典映画の破壊者であった。

長編第2作目『青春残酷物語』でその攻撃性と絶望感がセンセーションを巻き起こした。フランスの『勝手にしやがれ』やイタリアの『ポケットの中の握り拳』と共に、従来のスタイル(派手な色彩、豊かな感情表現、ワイドスクリーン)を覆す態度で話題になったが、日本映画界にとっては頭痛の種でしかなかった。その後、『太陽の墓場』や『悦楽』、『日本の夜と霧』といったその他作品の映画祭での上映や批評家による評判が広まり、オリジナリティ溢れる奇抜な演出と彼自身の個性的なキャラクターで日本のヌーヴェル・ヴァーグに欠かせない存在になっていく。(※3)

 今回発売されたDVD-BOXに収められた作品は1965年から1972年製作のものである。その時期の作品は実験的であり、政治的要素が色濃く残る。まさに日本のジャン­=リュック・ゴダールである。彼のスタイルはその期間、絶えず進化している。我々はそこに、伝統的なスタイルを取り入れるだけではなく、モダンとクラシックの融合という独自のスタイルを築く見事な過程を見ることができ、それは世界中の観客の関心を引きつけて離さない。(※4)CONTES_CRUELS_DE_50f7e9ad157cb

 大島は、ある一つの作品により有名というより悪名高い監督だった。『愛のコリーダ』だ。ポルノとみなされる本作だが、政治と性、またはエロティズムと死、という対極にあるものの繋がりをテーマとして扱った、ベルナルド・ベルトリッチの『ラストタンゴ・イン・パリ』にも通ずる真面目な映画であり、その大胆な性表現は大衆向けのアートシネマにおける画期的な進歩であったといえる。(※5 2013年掲載記事)

ちなみに『愛のコリーダ』は、米スレート誌が選ぶ変態的映画20作の中で『アイズ・ワイド・シャット』や『昼顔』と共に紹介されたのが記憶に新しい。変態的とはいっても名作揃いだ。

 偉大な巨匠たちの名前を挙げて評される大島渚。タブーを犯し、タブーを描く。社会への怒りを自らの言葉と映画を以って表現した、日本人らしからぬ主張の強さ。これこそが唯一無二の存在である所以なのではないか。そもそも異邦人だとか問題児だとか話題性だとか、そんなものは補助的なものでしかなく、評価されたのはあくまで“前衛的でカリスマ性を持った映画”そのものであることは言うまでもない。

 ある人は言う、大島の人気は『愛のコリーダ』や『愛の亡霊』で組んだフランスの大物プロデューサー、アナトール・ドーマンのおかげだと。確かに彼なしではそれらの実現は難しかったであろう。しかし、それ以前に撮られた彼の“純日本作品”が海外でも高い人気を誇っていることは、今回DVD-BOXに収められた作品のラインナップを見ても明らかだ。日本でも今一度、賛否両論を巻き起こした彼が映画界に残した功績を振り返るいい機会かもしれない。

参考
(※1)http://www.avoir-alire.com/oshima-a-l-honneur
(※2)http://enjp.blouinartinfo.com/news/story/857377/nagisa-oshima-the-controversial-japanese-director-dies
(※3)http://www.arte.tv/sites/fr/olivierpere/2015/03/03/retrospective-nagisa-oshima-a-la-cinematheque-francaise/
(※4)http://www.culturopoing.com/cinema/reprises/oshima-en-salles-et-en-dvd-chez-carlotta-la-pendaison-le-petit-garcon-la-ceremonie/20150302
(※5)http://www.theguardian.com/film/2013/jan/15/nagisa-oshima
(画像元)http://carlottavod.com/contes-cruels-de-la-jeunessecontes-cruels-de-la-jeunesse-1

田中めぐみ
World News担当。在学中は演劇に没頭、その後フランスへ。TOHOシネマズで働くも、客室乗務員に転身。雲の上でも接客中も、頭の中は映画のこと。現在は字幕翻訳家を目指し勉強中。永遠のミューズはイザベル・アジャー二。


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