今年1月のサンダンス映画祭、3月のサウス・バイ・サウスウエストでお披露目され、「近年で最も怖い映画」「新世代のエクソシスト映画」として評判になっていたホラー映画『Hereditary』[*1]が先週末(6月8日)からアメリカをはじめとする各国で劇場公開されています。『ムーンライト』や『レディ・バード』、ホラー映画でもロバート・エガース監督の『ウィッチ』やトレイ・エドワルド・シュルツ監督の『It Comes at Night』など若手監督の秀作を立て続けに世に送り出しているA24の配給作品としても注目される本作は、ニューヨーク出身の31歳の映画監督アリ・アスターの長編デビュー作で、公開初週末の米国内興行成績は『オーシャンズ8』『ハン・ソロ』『デッドプール2』に次ぐ第4位、1357万ドル(約14億円)。A24作品として最大の興行収入も見込まれているようです[*2]。
この映画は「Hereditary(遺伝性、先祖代々の)」というタイトルが示すとおり、ひとつの家族がその血筋に対する恐怖が原因となって崩壊していく様を描いています。一家の構成は、自分の実人生の一場面をドールハウスで再現しているアーティストのアニー(トニ・コレット)、セラピストの夫スティーヴ(ガブリエル・バーン)、息子のピーター(アレックス・ウルフ)、娘のシャーリー(ミリー・シャピロ)。物語はアニーの母親エレンのお葬式の日から始まります。その葬式の席で母親が何らかの秘密を抱えていたことを示唆する発言をしたアニーは、後日参加したグループ・カウンセリングでエレンが解離性同一障害であったこと、また父親と兄が精神に異常をきたし死にいたったことを告白します。そして母親の幻影が見えるようになったアニーは超常現象の研究に没頭し、またエレンの庇護を受けていたシャーリーの言動にも疑念を抱き始めます。彼女が自分の血筋に秘められた謎を解き明かそうとする中で一家を凄惨な事件が襲い、家族はさらなる恐怖にさいなまれていく――という粗筋です。

本作において最も重要な装置となっているのが、アニーが作るドールハウスです。そのドールハウスの精巧な造り、中に配置される人形や家具が劇中内の現実の家や登場人物の存在と巧妙にリンクし、アニーの精神状態を反映する装置になっているのです。映画の冒頭もドールハウス(の断面)がワイドショットで捉えられるところから始まり、そのドールハウスの一部屋にカメラが寄ると、それは実は息子のピーターの部屋で、葬式の朝、父親が彼を起こしに来る場面へと転換されます。このドールハウスおよびそれと同じ構造を持つ家族が住む家のセット、そしてシャーリーが大切にするツリーハウスは全て一から作られたもので、監督のアリ・アスターいわく、それこそ「まるで悪夢」のように大変な作業だったといいます[*3]。そうした『ライフ・アクアティック』の潜水艦を思わせるセットへのこだわり、あるいは奇妙な個性を持った家族の描き方(無表情な顔で口にされる台詞によって生み出されるコメディ的側面)といった要素からウェス・アンダーソンとの類似を指摘する声もある[*4]ようですが、アスター自身はそれを否定し、ドールハウスを映画に用いる上で美学的に参照し、「自分の人生をおかしくした」映画作家はピーター・グリーナウェイであると言っています。
「グリーナウェイを映画作家として好きだとは言えない。僕は彼を真の厭世家だと思っている。彼の映画を観る人は彼が人間嫌いで、そのことが彼の作品の美学的思想のもとになっていると感じるだろう。(撮影監督の)サッシャ・ヴィエルニが作り出す淡い光によってブレヒト的な距離効果がもたらされ、そのすごくわざとらしくて冷たい舞台環境は完全にコントロールされている。『コックと泥棒、その妻と愛人』の登場人物は部屋を移動するたびにその部屋にあった衣装に着替えている。僕は子供のころにその映画を観たんだけど、それは父が怖がる要素はないはずなのに、どうしてかその映画がすごく怖くて、まともに観ることができなかったと言ったからなんだ。(中略)そして僕はそれを観たことを心から後悔した。それからというもの夜に暗闇の中を歩くときはいつも、七面鳥のような愛人の体などその映画のイメージを壁に投影して見てしまった。『コックと泥棒、その妻と愛人』は冷たい視線で描かれたものすごく醜いイメージを持っているけれど、それがこの映画の美しさにもなっているんだ」[*3]

アスターは同じFilmCommentによるインタヴューにおいて、その他に恐怖を感じ影響を受けた作品としてラース・フォン・トリアーの『ドッグヴィル』やダグラス・サークの『悲しみは空の彼方に』を挙げ、また『Hereditary』を作る上で手本になった作品としてカール・テオドル・ドライヤーの『奇跡』、ニコラス・ローグの『赤い影』などを挙げています。そして彼は、自身をホラー映画の監督と考えているかを問われたら「食い気味に“違う、全然違う”と返答するだろう」と明かしています。
「なぜなら僕にとってジャンルとして実践できることをやり遂げているホラー映画というのは数えるほどしかないからね。ホラー映画の流行はそのジャンルに悪い名前を与えてしまっている。ホラーというのはあくまでさまざまなジャンルのひとつであり、その美点が効果的に利用された場合はこの上ない映画館体験を生むことができる。それがうまくいっていると僕もすごく興奮するよ。韓国は一般的に見て良いホラー映画が多く、そのジャンルの要素をうまく混在させた作品もあるね。たとえば『哭声/コクソン』という映画なんかは、警察もののおバカなブラックコメディにもなっているけれど、途中から殺人鬼映画に変わって、さらにはハロルド・ピンター風ともいえる不条理劇に転じるんだ」[*3]

とはいえ、『Hereditary』の映画評を見ると、「ベルイマンの『叫びとささやき』のデスメタル・バージョンだ」[*5]といった意見もありながら、やはりそのほとんどで『ローズマリーの赤ちゃん』や『エクソシスト』といった悪魔崇拝や超常現象を扱ったホラー映画の古典や、ここ数年の若い監督たちが手掛けたホラー映画と並べて語られているようです。その一例としてNew York Timesでは、ジョン・クラシンスキーの『クワイエット・プレイス』、デヴィッド・ロバート・ミッチェルの『イット・フォローズ』、ジェニファー・ケントの『ババドック』、エガースの『ウィッチ』などと共に『Hereditary』を取り上げ、かつて若い世代に向けて作られていたホラー映画が大人を怖がらせる題材や作風へと変容していることを指摘する記事も掲載されています[*6]。特に『ウィッチ』と『ババドック』を比較例として挙げている評が多く、例えばRolling Stoneの映画評を担当するピーター・トラヴァース氏は本作について「『ババドック』や『ウィッチ』のように芸術家の目から超常現象にアプローチし、その底流をなしているものを描いている」と評しています[*7]。一方で『ババドック』との相違を指摘する意見もあります。New York TimesのA.O.スコット氏による作品評ではこのように述べられています。
「『Hereditary』は観客がそれを解くことにのめりこんでしまうパズルのような映画だ。そのパズルが解けたとき、異なるさまざまなピースは気が滅入るような家族の肖像へと融合される。本作の結末は『ババドック』のそれとは真逆だ。『ババドック』の創意あふれるアイデアは、うまく考えられた従来のホラー映画のようにふるまいながら、最後には衝撃的な感情の共鳴や精神的な深遠を示すものだった。アスター監督はそれとは反対の方向へと動いている。つまり彼はそれまで構成してきた苦悩を抱える魂の豊かで奇妙なポートレートを、最後になって私たちがこれまでに観たことがある映像へと変換している」[*4]

いろいろと謎が多く、また点数の高いレビューも多い一方で映画のマーケティング調査会社CinemaScoreの評価では「D+」ランクがつけられる[*8]など賛否両論のある『Hereditary』。日本でも今年中に公開されるようなので、果たしてどれほど怖いのか、期待と不安とともに待ちたいと思います。

*1
https://www.imdb.com/title/tt7784604/
*2
http://www.boxofficemojo.com/news/?id=4405&p=.htm
*3
https://www.filmcomment.com/blog/interview-ari-aster/
*4
https://www.nytimes.com/2018/06/07/movies/hereditary-review-toni-collette.html?rref=collection%2Fsectioncollection%2Fmovies&action=click&contentCollection=movies&region=rank&module=package&version=highlights&contentPlacement=2&pgtype=sectionfront
*5
https://www.theguardian.com/film/2018/jun/01/hereditary-review-horror-toni-collette-brilliant-fear
*6
https://www.nytimes.com/2018/06/07/movies/hereditary-horror-movies.html?rref=collection%2Fsectioncollection%2Fmovies&action=click&contentCollection=movies&region=rank&module=package&version=highlights&contentPlacement=2&pgtype=sectionfront
*7
https://www.rollingstone.com/movies/reviews/hereditary-movie-review-scariest-movie-of-2018-w521098
*8
http://www.indiewire.com/2018/06/hereditary-cinemascore-box-office-a24-1201973014/

黒岩幹子
「boidマガジン」(http://boid-mag.publishers.fm/)や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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