3月4日(日本時間5日)、第90回アカデミー賞の授賞式がロサンゼルスで行われました。現在日本でも公開中の『シェイプ・オブ・ウォーター』が作品賞と監督賞(ギレルモ・デル・トロ)、『スリー・ビルボード』が主演女優賞(フランシス・マクドーマンド)と助演男優賞(サム・ロックウェル)を受賞し、主演男優賞をゲイリー・オールドマン(『ウィンストン・チャーチル』)、助演女優賞をアリソン・ジャネイ(『アイ,トーニャ』)が獲得。またオールドマンの特殊メイクを手掛けた辻一弘さんのメイクアップ&ヘアスタイリング賞受賞や、『ゲット・アウト』のジョーダン・ピール監督が黒人として初めて脚本賞を受賞したことも話題となっていますが、全般的に下馬評通りの受賞結果で、式典自体も女性たちが揃って黒いドレスで参加した先のゴールデン・グローブ賞受賞式に比べればさほどセンセーショナルな要素もなく平穏に終わった印象があるのではないでしょうか。
その中で最も多くの関心を集めたのは、やはりフランシス・マクドーマンドの受賞スピーチでしょう。「今ちょっと過呼吸気味です。もし私が倒れたら、お話したいことがあるので抱え起こしてくださいね。オリンピックのハーフパイプで連続してバック・トゥ・バック1080(※技の名前)を決めた後のクロエ・キムもこんな気分だったに違いないと思うわ。皆さん、ご覧になりました?」と平昌五輪の女子ハーフパイプ金メダリストの名前を出してスピーチを始めた彼女は、『スリー・ビルボード』のスタッフや共演者、家族(会場には夫のジョエル・コーエンと息子さんが来ていました)に感謝を伝えた後、「これから私はある光景を見たいと思います」と、おもむろに受け取ったばかりのトロフィーを床に置いて、会場にいる各賞の女性の候補者全員に席から立って欲しいと要求します。彼女の「カモン!」という掛け声に促されて、メリル・ストリープやシアーシャ・ローナン、グレタ・ガーウィグ、オクタヴィア・スペンサーらノミネートを受けた20人ほどの女性たちが立ち上がって、会場は拍手と歓声に包まれました。その後マクドーマンドはこのように続け、スピーチを終えます。
「さあ、皆さんちゃんと(立ち上がった女性たちを)見てください。なぜなら私たちは皆語るべきストーリーや、資金を必要とするプロジェクトを持っているからです。でも今夜のパーティーではそのことについて話しかけないでくださいね。数日したらあなた方のオフィスに私たちを招待するか、私たちのところを訪ねてきてください。そうしたら私たちは全てをお話します。私は2つの単語とともにこの場を去ります。淑女・紳士の皆さん、“Inclusion Rider”」

彼女が“Inclusion Rider”と言った後、会場には奇妙な間ができました。おそらくその言葉が何を意味するのか、理解できなかった人が多かったからでしょう。そしてそれは中継を観ていた多くの視聴者にとっても同じだったようで、授賞式のあとSNS上ではこの“Inclusion Rider”という言葉についての疑問が頻出し、多くのニュースサイトにこの言葉を説明する記事も掲載されました。そうした記事によれば“Inclusion Rider”(直訳すると「包括性の付加条項」)とは、映画製作に際してキャストやスタッフの人種や性別をある一定レベルまで多様なものにすることを契約時に要求できる条項のことだと言います。この言葉を最初に提唱したのは、エンタテイメントにおける多様性や包摂性を研究するシンクタンク「アネンバーグ・インクルージョン・イニシアチブ」の創設者であるステイシー・スミスさんだそうです。彼女は2016年に行われた講演で、前年(2015年)にヒットした100本の映画の中で黒人女性が登場する映画が約半分に留まり、またアジア系の女性が出てこない映画は7割にも及ぶといった様々なデータをもとに映画が現実社会の多様性を反映できていないこと、また出演者やスタッフにおける女性が占める割合が未だ男性の3割程度に留まっていることを指摘し、契約時に多様性受け入れの条項を盛り込むことができる有名俳優がその交渉を行えば映画の配役ももっと現実に沿って多様なものになり得ると主張しています。
フランシス・マクドーマンドは授賞式後の会見で、自分もこの“Inclusion Rider”について先週知ったばかりだと明かし、「それは誰もが映画に関する交渉においてキャストだけでなくスタッフについても少なくとも50%の多様性を要求できることを意味しているの。35年間も映画業界で働いていたのに、私はようやくそのことを学んだばかり。でももう後戻りはできないわ。女性のアイデアが流行してる? いいえ、それは流行じゃない。アフリカン・アメリカンがトレンドなの? そうじゃないわ。変化は今、起きているの。“Inclusion Rider”はその変化に関わることだと思う。ルールには力があるのよ」と説明を加えました。

「ニューヨーク・タイムズ」はこのマクドーマンドのスピーチを筆頭に、ピンヒールを手に持ちスリッパを履いて壇上に上がったティファニー・ハディッシュとマーヤ・ルドルフ、歌曲賞を受賞したクリステン・アンダーソン・ロペスが男女同権について語ったスピーチ、あるいはハーヴェイ・ワインスタインらからのセクハラ被害を告発したアシュレイ・ジャッド、アナベラ・シオラ、サルマ・ハエックの3人が登壇して“Time’s Up”運動を紹介し、その継続を訴えた場面を挙げ、今回のアカデミー賞授賞式は「女性たちが映画産業の手綱を奪い、彼女たちが望むことを行い、発言し、なりたいようになることを明らかにした節目としてハリウッドの歴史に記憶されるだろう」と記された、「Time’s UpからInclusion Ridersへ:女性たちがオスカーで主導権を握る」と題した記事を掲載。マクドーマンドの発言や授賞式に対する映画界の女性たちの反応を紹介していますが、ここで紹介されている女性たちの反応は極めて冷静です。
映画監督のサム・テイラー=ジョンソンは希望は持ち続けているとしながらも、「“ああ、きっとこれで変化が起きるわ”と感じたのに、短い転機を過ぎれば失望するだけということがこれまで何度あったかわからないわ」とやや悲観的な見解を示し、アカデミー会員でもある女優のローラ・ダーンは「変化は起こっているわ。でも毎日闘い続けなければならないの」と運動のさらなる長い継続が重要であることを認めています。また、今回『マッドバウンド』の仕事で女性として初めて撮影賞にノミネートされた撮影監督のレイチェル・モリソンさんは「多くの受賞者が白人男性で、彼らは映画のクルー全員に感謝を述べましたが、そこには議論されるべき政治性はほとんどありませんでした。私は彼らがチャンスを逃しているように感じました。何故男性が立ち上がって、私たちが直面している同じ問題について話すことができないのでしょうか? プレゼンターは自分が話す情報をビデオ(の字幕)を通して得ているだけです。それは式典の実質的な構造に過ぎず、フランシス(マクドーマンド)のスピーチを除けばアクチュアルなスピーチはありませんでした」と、ジェンダーの平等を謳ったかに見える今回の式典が演出に過ぎないことを指摘しています。

モリソンさんの言う通り、式典自体を見ると“#Me Too”や“Time’s Up”に迎合する演出が施されただけで、今回の授賞式がハリウッドの女性たちの待遇向上に直結した変化を及ぼすことはないように思えます。また、フランシス・マクドーマンドが示した“Inclusion Rider”も、果たしてその条項を実際に履行させることができるケースが今後どれだけ出てくるかという点では疑問符がつくかもしれません。しかし、それが現状をただのトレンドやムーブメントで終わらせないための具体策のひとつ、女優たちが使える力のひとつであることは間違いないでしょう。そしてフランシス・マクドーマンドのスピーチが大きな称賛に値するのは、声を上げ始めたハリウッドの女性たちが映画産業の中で今後実際に従事していく仕事に対して、その声をどうやって反映させていくか、その闘争の手段について考えることを促しているからではないでしょうか。

《参照記事》
https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/news/frances-mcdormand-speech-in-full-oscars-2018-best-actress-timesup-inclusion-rider-three-billboards-a8239926.html

http://www.indiewire.com/2018/03/inclusion-rider-frances-mcdormand-oscar-speech-explained-1201935904/

https://www.theguardian.com/film/2018/mar/05/what-is-an-inclusion-rider-frances-mcdormand-oscars-2018

https://www.nytimes.com/2018/03/05/movies/women-oscars-me-too.html?rref=collection%2Fsectioncollection%2Fmovies&action=click&contentCollection=movies&region=rank&module=package&version=highlights&contentPlacement=1&pgtype=sectionfront

黒岩幹子
「boidマガジン」(http://boid-mag.publishers.fm/)や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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