maps-to-the-stars-drive 2月22日に行われたアカデミー賞によってアメリカの賞レースシーズンも一区切りを付けたが、それに合わせたかのようにハリウッドの醜い内幕を描いたデヴィッド・クローネンバーグ新作『マップ・トゥ・ザ・スターズ』(#1)が全米公開された。既に日本では昨年12月に劇場公開されていた作品だが、アメリカでの公開の方が遅れた形だ。原作は、「ニューヨーク・タイムズ」誌で年間ベストワンに選出されたこともある小説家であり、同時に映画脚本家、俳優、プロデューサー、監督でもあるブルース・ワグナー。ハリウッドに対するきわめて辛辣な眼差しで有名なワグナーだが、クローネンバーグによるその映画化は、原作に対して一定の距離を取ったクールな作りになっている。この公開に合わせ、彼のインタビューが幾つかのメディアに掲載されたが、ここでは「フィルムコメント」誌からその興味深い部分を抜粋して訳出したい。日本でもこれからまだスクリーンで見られる機会があるだろうし、5月にはDVDも発売される。その際、鑑賞の手引きとなれば嬉しい。ただし、ここではあくまで一部を抜粋するに留めており、インタビュー全文に関しては、是非原文にあたられることをお勧めする(#2)。

-『マップ・トゥ・ザ・スターズ』では二組の兄弟が登場し、彼らは作品の冒頭から呪われた存在であるように見えます。それは『戦慄の絆』を連想させます。

 彼らは最後に自殺するわけだし、そこには間違いなく繋がりがあるだろう。しかし、ブルースがこの脚本を書いたのは20年前だ。彼の物語では、家族のダイナミクスがしばしば重要な役割を果たす。だから、それはある地点までは偶然だったと言うべきだろうが、同時にこの脚本が私を引きつけた理由の一つがこの部分にあった可能性もあるだろうね。

 私がこの脚本を読んだのは10年間だ。カナダ人の共同プロデューサーと一緒に何度も映画化を試みてきた。それはどうしたってインディー作品になるだろうと思った。スタジオには向かない。脚本は大きく変更していないが、何人かのキャラクターや場面はカットした。全体を刈り込んで形を整え、それからアップグレードしていったんだ。脚本執筆時には存在しなかったスマートフォンなどの要素を取り込んでね。

 ポップカルチャーへの風俗的レファレンスの問題もある。最新のミームであれYouTubeであれ、ブルースはそうしたものを作品に取り込むのが大好きなんだ。それらは一瞬輝いて、あっという間に消えて行ってしまう。だから、私たちは幾つかのものをカットせざるを得なかった。今では誰も知らないものがあるからね。しかし、家族関係のダイナミクスやダイアローグは全く変えていない。

-あなたの作品は、ハリウッド以外でも様々な腐敗やモラル的退廃を描きます。

 この作品がカンヌで上映された時、「私はハリウッドを嫌ってはいない」という私の言葉を引用した記事が「ル・モンド」誌に掲載された。私が積年の恨みをハリウッドに対して抱いているであろうとフランス人が思い込んでるからこそ、そうした記事が載ったのだ。しかし、そんなことは全くない。この作品のハリウッド観はブルースによるものだ。君の言うように、強欲や偽善や権力欲といったものは政府であれビジネスの場であれ世界中で見られるものだよ。ハリウッドでは単にそうした腐敗がきらびやかに目に付くと言うだけの話だ。

-ロスでの撮影はいかがでしたか?

 たった5日間だったが、「闇の奥」で撮影した手応えはあまりに大きかった。それまでアメリカで撮影したことが一度もなかったからだ。アメリカを舞台にした作品でも、それらはカナダで撮影された。これは経済的理由によるものだ。『マップ・トゥ・ザ・スターズ』はカナダとドイツの合作で、アメリカ人とカナダ人のクルーで撮影したが、ロスで撮影した経験があった人間は殆どいなかった。今ではあそこで撮影してるのはテレビばかりなんだ。奇妙な話だが、本当なんだよ。

-この作品で描かれるハリウッドは、既に過去となった90年代に属していると指摘する評論家もいますね

 自分は本当のハリウッドを知るインサイダーだと思い込んでる評論家がそういうことを言うのだろうが、要するに彼らは20年前の脚本の映画化だという一点からそう思い込んでいるだけの話に過ぎない。しかし、実際ソニーのハッカー事件で流出したEメールを見ても、ハリウッドは何も変わっていないんだよ(笑)。ブルースと私はスタジオの重役たちと幾度もミーティングを重ねて、もしこの作品の中で古びている部分があるとしたら教えて欲しいと聞いて回ったのだが、それは全て現在そのものだった。むしろ、彼らとのミーティングでは、作品よりさらに馬鹿げていて奇妙なエピソードにたくさんぶつかったものだった。ここではその詳細を明かせないけどね。

-あなたの初期作品と異なって、『マップ・トゥ・ザ・スターズ』はクールで明晰で整然としており、カメラの動きも殆どありません。それは人物関係のダイナミクスとその環境に焦点が合わせられています。こうしたスタイルはいつから採用されたのでしょうか。

 『ザ・フライ』以降だと思う。登場人物が2人、あるいはせいぜい3人しか一つの部屋の中に出てこないからね。これは殆どベケット的な状況だったよ。そのアイディアを突き詰めたわけではないが、少なくとも私の心の中では、異常なまでの静止状態や単純さに対する欲望があったし、それがさらなる複雑さを作品に与えると思っていた。

 撮影監督のピーター・サシツキーにも、私のスタイルは大きく変容したと言われたよ。しかし、それはカメラの動きとはあまり関係ないんだ。むしろ、どれだけ多くの予備テイクを撮っておくかに関係している。率直に言って、かつて若く経験のないフィルムメイカーだった私は、撮影現場でのミスから自分を守るため沢山の素材を必要としたんだ。しかし、経験を積むにつれて現場での自分の判断に自信を持てるようになったし、多くのアングルを試したりテイクを重ねる必要がなくなったんだ。

 また、キャスティングにも自信が持てるようになった。その作品にとって正しい俳優を選び、彼らもまた自分のすべきことを正しく認識しているならば、何度もテイクを重ねる必要なんてないんだ。『マップ・トゥ・ザ・スターズ』でも、すべて1-2テイクしか撮っていない。マスター撮った後に、ミディアムを撮り、クロース・アップ、さらに寄って撮るなんてことは一切しなかった。必要なものを撮影しただけだ。40年間一緒に仕事している編集者のロナルド・サンダースが、カットする部分なんて一つもないって言ってきたけど、彼がラフカットを編集して、その二日後には最終バージョンを私が仕上げたね。

-ハヴァナは亡くなった彼女の母親に、そしてベンジーはガンで亡くなった少女に呪われているように見えます。こうした映画の幽霊に対するあなたの考えはどのようなものでしょうか。

Sarah-Gadonx900 ブルースの脚本から私がカットした場面の一つにこういうものがあった。それは、アガサが車に乗っていてふと窓から外を見ると通りが子供たちの幽霊で満ちあふれているという場面だ。それで、私はブルースにこう言った。私は死後の世界を信じていない。だから、当然幽霊も信じていない。死者に付きまとわれることは理解できるが、それは文字通りの意味、物理的な存在としての幽霊を信じるということではない。ブルースは私の意見を理解して尊重してくれたよ。私のアプローチはこういうものだ。つまり、幽霊とは記憶のようなものなんだ。例えば死んだ両親に付きまとわれることがあるかも知れない。頭の中で響く彼らの声やその存在は殆ど現実的に感じられるだろう。しかし、それは死後の世界からやってきた幽霊といったものではないんだ。

-ポール・エリュアールの「自由」が引用されますが、アガサやベンジーにとっての唯一の自由は死であるように見えます。

 そう。それはこの詩の一つの解釈だ。この詩は第二次世界大戦時にナチスのパリ占領下で書かれたもので、そもそもは一人の女性への愛の詩だった。創造の自由、経済的自由、感情の自由、これらは映画に登場する殆どの人物が手にしているが、ただあの呪われた子供たちだけは別なんだ。彼らの人生はメチャクチャにされ壊されてしまっている。アガサがある意味でベンジーに教えるように、彼らの唯一の自由は死だけなんだ。

 こうした解釈を巡ってエリュアールの遺族とは興味深い遣り取りもあったのだが、映画が示しているように、詩というのは有機的で生きているものなんだ。それは何度でも解釈され直される。事実、ブルースの脚本を超えて私は多くの場面にこの詩を挿入したんだよ。例えば、アガサがハリウッド大通りでスターの手形の前に跪く時、脚本では何も台詞がなかったんだが、私はそこに祈りか呪文のようなものが必要だと感じだ。それで、あの詩を挿入したんだ。

 映画の結末でのアガサーとベンジーは、「奇妙」に希望に満ちて見える。彼らはとってもスイートで穏やかなんだ。この官能的で気持ちが通じ合っているかのような結婚式は、個人的にとても感動的だった。アガサは彼女の人生の全ての狂気、そして彼女とベンジーに降りかかってきた両親の罪の全てを受け入れようとしているかのようだ。これはブルースの脚本に最初からあったもので、それが私をずっと引きつけてきた。この映画の観客は作品を見始めてすぐに、これからハリウッドに対する野蛮で気取った批判が始まるのだと思うに違いない。しかし、それはすぐに別のものへと変容する。私が思うに、それはもっとリアルな感情、人間の奥底にあるようなものなんだ。

#1
http://www.imdb.com/title/tt2172584/
#2
http://filmcomment.com/entry/interview-david-cronenberg-maps-to-the-stars

大寺眞輔
映画批評家、早稲田大学講師、アンスティチュ・フランセ横浜シネクラブ講師、新文芸坐シネマテーク講師、IndieTokyo主催。主著は「現代映画講義」(青土社)「黒沢清の映画術」(新潮社)。

大寺眞輔(映画批評家、早稲田大学講師、その他)
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第3回新文芸坐シネマテーク
植民地行政官の娘 クレール・ドゥニ
■3/6(金)『パリ、18区、夜。』 J’ai pas sommeil
開場19:30 開映19:45 講義終了22:40(予定)
■3/13(金)『35杯のラムショット』 35 rhums
 開場19:15 開映19:30 講義終了22:15(予定)
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