[551]リュミエール賞受賞ウォン・カーウァイ「映画もTVもリュミエールの子どもたち」


 10月14日から10月22日にかけて行われたリュミエール映画祭(仏)で、ウォン・カーウァイ監督がリュミエール賞を受賞した。2009年に始まったリュミエール映画祭は、シネマトグラフ誕生の地、つまりリュミエール兄弟が過ごした街リヨンを開催地とし、修復作品やレトロスペクティヴ、招待作品、トリビュート作品の上映を通して映画界を祝福するというコンセプトを掲げている。そこで贈られるリュミエール賞は、映画史に大きく貢献したとしてその功績を称えるものである(*1)。

 ウォン・カーウァイのレトロスペクティヴでは、『恋する惑星』や『ブエノスアイレス』を始めとする長編10作品や短編2作品などが上映され、マスタークラスも用意された。まずは、彼がマスタークラスで語った、「初期に受けた影響」について紹介したい(*2)

 「私は1962年に上海から香港に移った。文化大革命を目前にした時だった」友達もいなければ親戚もいない、広東語も話せないという状況の中、母親とよく映画を観に行ったのだという。「すべては母親の影響だった。私の母は大の映画ファンでね、楽しんで観ていたよ。[……]私たちはほとんど毎日映画を観て過ごしていた。フランス映画、ハリウッド映画、イタリア映画、台湾やローカルプロダクションの映画も。映画館が私の映画学校だったんだ」

 「当時、子どもたちに用意された選択肢は多くなかった」と監督はいう。「ラジオや映画が一般的な趣味だった」そして毎日映画を観て過ごすうちに、自分は映画を撮りたいんだ、ということに気づいた。

 多くの映画が輸入されていたことに加え、1960年代の香港というのはエンターテイメントの中心地であった。「香港はジャンルを生み出すのが得意だった。というのも、市場を必要としていたからね。[……]香港内の市場はプロダクションの助けにならない。ほとんどの財源が海外市場からだった。若手監督はジャンル映画から撮り始めるのが普通だったんだよ。でもそのような状況を不満に思ったことはない。ジャンルは一般的な手法だからね」

 しかし、ブルース・リーの登場とともにすべてが変わった。アメリカのTVシリーズ『グリーン・ホーネット』(The Green Hornet, 1966-1967)で主人公の助手、武道の達人役を演じたブルース・リーは香港映画界に新しいコンセプトを吹き込んだ。「彼[リー]は若くて、エネルギッシュで、魅力的で、大胆だった」リーが出でくる前、香港のカンフー映画はベテラン俳優や昔ながらのキャラクターに焦点を当てていたのだ。

 そして1970年代後半、欧米諸国で学んだ若手監督の波が訪れる。それが香港映画の形を変えたという。かつて「ショウ・ブラザーズ」のような大きなスタジオは、スタジオ撮影を主流としていた。しかし若手監督たちはドキュメンタリーの手法を習得し、「街の現実を捕らえ新しい話法を得るために」カメラを外に持ち出した。

 80年代には「香港ノワール」の先駆けとなったジョン・ウーの『男たちの挽歌』(1986)が大ヒットを収める。それに影響を受け、ウォンは『いますぐ抱きしめたい』(1988)を撮ることになる。「ヒーローではなく、ヒーローになろうとしている敗者の話を語ろうと思った」
 監督はいう、「私は本当に、本当に幸せ者だよ。その頃はいわゆる香港映画の黄金期だったからね。資金も十分にあって、映画を撮る機会も存分にあって、人々は何か違うこと、興味あることをしようとしていた」

 そうして映画監督としてのキャリアをスタートさせたウォン・カーウァイだが、それからというもの、『恋する惑星』(1994)で香港電影金像奨最優秀作品賞を受賞、『花様年華』(2001)ではセザール賞外国語映画賞を受賞、2013年にはレジオンドヌール勲章コマンドゥールを受賞するなど、その経歴についてはここで詳述する必要もないだろう。

 

 

 さて、リュミエール映画祭において彼は、初挑戦となるアマゾン制作のドラマシリーズ『Tang Wors』や、予定している長編作品についても言及している(*3)。「このプロジェクトに惹きつけられたのは、これが、最初の中国系アメリカ人について事実に基づき適切に語る初めての機会だからだ。あまりこの手の話はないと思う。1905年から1971年までを語ったものはないね」

 「だからこの物語はとても長いんだ[……]ただTVシリーズという形態は監督たちに彼らの物語を語るための大きなキャンバスを与えてくれる」リュミエール賞を受賞した監督がTVシリーズを手掛けるという決断をしたことに周囲では驚きの声もあったという。しかし、監督は次のように語っている。「今日人々がTVシリーズが映画の競争相手になることを懸念していることを思えば、[自分の決断について]疑問視されることももちろん分かる[……]しかし、私は同じ考えではない。映画もTVも形は違えどリュミエールの子孫なんだ。映画監督にとって、それらは作品を描いたり、アイディアを見せたり、物語を語るたりするための、形違いのキャンバスだよ」

 そう語る監督は、新たな長編映画のプロジェクトも抱えている。キン・ウチョウの小説『咲き乱れる花』の映画化で、文化大革命の終わりから20世紀の終わりにかけて、上海に存在したレジスタンスについての物語だという。「上海は私の故郷だけれど、この本が描く時代に私はそこにいなかった。90年代に入るまで私は上海に戻らなかった。私にとってこの映画は、失ったものを満たす機会なんだ」

(*1)http://www.festival-lumiere.org
(*2)http://variety.com/2017/film/festivals/wong-kar-wai-lumiere-award-early-influences-bruce-lee-hong-kong-handover-grandmaster-1202595681/
(*3)http://www.indiewire.com/2017/10/wong-kar-wai-amazon-tong-wars-blossom-television-1201889648/

その他参考URL
http://www.lefigaro.fr/flash-actu/2017/10/20/97001-20171020FILWWW00401-le-cineaste-chinois-wong-kar-wai-recoit-le-prix-lumiere-a-lyon.php

http://www.lefigaro.fr/cinema/2017/10/19/03002-20171019ARTFIG00320-wong-kar-wai-le-cinema-est-ma-maitresse.php

 

原田麻衣
WorldNews部門
京都大学大学院 人間・環境学研究科修士課程在籍。フランソワ・トリュフォーについて研究中。
フットワークの軽さがウリ。時間を見つけては映画館へ、美術館へ、と外に出るタイプのインドア派。


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