[526] 小津の世界と現代をつなぐKogonada監督初長編作『Columbus』


壮大な建築物の中で突然倒れる男性と図書館の建物の解説をひとりで延々と呟く少女の二場面からはじまる物語。舞台となるアメリカのインディアナ州にある地方都市・コロンバスはモダニズム建築の宝庫である。図書館でのアルバイトとツアーガイドをしながらリハビリ中の母親と二人で暮らすケイシー。キリッとした姿勢とあどけなさが入り混じる19歳の彼女は高校卒業後、薬物中毒から回復中の母親の面倒を見るために街に残る。建築には人を癒す力がある、と信じて建築を愛する彼女は昏睡状態に陥った有名建築家の父親の眠る街へやってきた息子のジンと出会う。

Kogonada監督のデビュー長編作品『Columbus』は昨年のサンダンス国際映画祭で公開され、大きく注目された。元々はアカデミアの世界で、小津安二郎についての論文を書いていたという彼がなぜ監督として映画を撮ることになったのか。

“いつも間違ってアカデミアの世界へ足を踏み入れてしまったと思っていました。常に存在や哲学的な問いを持ち続け、それが私を小津安二郎へと導いていったのです。”と語る監督。

“初めて観たときはあまり感心しなかったのに、呪われたようにずっと頭の中に残っているその「何か」が何であるのかを解き明かしたい、と思っていました。”

小津に惹かれる謎、彼の映画に根底に流れる普遍性についての研究を始めたKogonadaは徐々に小津の構図やアーティスティックな面に興味を持ち始める。そしてそのまま学問の世界を去ることにした。

“研究の世界をやめたのは自分の好きなものを殺してしまっている、と思ったから。小津と同じような感覚を現代で撮りたいということに気がついたのです。”

学術的な分析から映画を定義するのではなく、自分の大好きな映画監督たちの印象的なショットを集めて編集したビデオエッセイから、抽象的なアイディアをどう表現しているのか。何が彼の想像力や感情を掻き立てるのか、を探求していった。小津安二郎を始め、ロベール・ブレッソン、スタンリー・キューブリック、テレンス・マリック、ウェス・アンダーソン、是枝裕和そしてダーレン・アロノフスキーらが並ぶ彼のビデオには映画への愛が詰まっている。

“多くの人たちが小津の作品へと回帰していくのはきっと、彼の作品や世界を「これ」と定義することができないからかもしれません。彼は伝統主義ではないし、西洋のモダニストでもない。彼はまったく違う何かであり、そして彼が追求していた世界は現代にも通ずる何かなのだと思います。”

これらのビデオエッセイで大きく注目を浴び始めた彼に映画制作の話が舞い込んだ。初の長編作品になぜコロンバスという街を舞台にしようと思ったのか。

“この小さな街はモダニズム建築のキャンバスです。そしてこれは私にとっての壮大な実験場なのです。建築は、モダニズムは世界を変えることができるのか。これらの問いはどれもとても魅力的でした。モダンアートは意味があるのだろうか?自分たちを満たすためだけにあるものなのか?”

一番難しかったのは街のモダニズム建築たちを収めることのできる構図を追求するのと同時にこの街の建築に絡みとられる二人の登場人物たちの物語を浮かび上がらせていくことだった。

“私はモダニズムをとてもよそよそしく感じることがあります。冷たさと疎外感自体がアーティスト自身、追求していたことかもしれませんが。でも私は人間の苦しみをこれらに結びつけたかったのでもう少し温かみが欲しいと思いました。

今作は小津、時間、そして現代性についての監督自身の探求の新しいプラットフォームであった。

街を歩きながら淡々と進んでいくのはラブストーリーではなく、それぞれがお互いを通して自分の中にくすぶっていた想いと向き合っていくドラマである。街中に溢れる建築物の数々は、登場人物として私たち目に焼き付いていく。本当の気持ちを抑え続けてきた二人は誰かに何かを言いたくて。その想いが溢れる時に出会うべくして出会った二人は街を歩く。話す。木々の間を縫って。横一面に広がる窓ガラスの前に立つ。地味な街に繰り広げられるモダニズムのコンクリートと長方形たちはSFの世界を覗くような不思議な近未来感をもたらす。いまこの場所、この時代にいながらもどこか違う場所にいるような。

日本の町屋のような小さい家が連なる住宅街。緑が眩しい。深いマホガニー色の廊下。地面に近い、しゃがんだくらいの目線に映る建築家の父がかつて座っていた椅子。壮大な建築物に囲まれているにもかかわらず丁寧で小さな目線がとても印象的だ。車から見上げた先に。噴水の向こう側に。常にそこに建築たちが在る。まっすぐに直接的に見える世界と、少し覗いているような遠くからの控えめな世界。振り子のようにその間を揺れる、そしてケイシーとジンの夢や想いも一緒に揺れる。言えなかった言葉が言える。あと一歩を踏み出せる。一夏はこんなにも人を変えてしまうのか。街はそのままで、建物はいまもなおそこにあるのだけれど、変わっていないけれど、確かに変わった。

何も知らないで眺める風景に加えられる知識、哲学、人物によって、同じものを見ているのに一気に世界が変わっていく感覚を今作は「建築」という物理的要素を中心に映像化していく。感覚を映像にしていくとは、このことなのか。

インタビュー記事:How Video Essays Helped Kogonada Make One of the Most Exciting Debuts of 2017

ニュージーランド国際映画祭にて

mugiho
好きな場所で好きなことを書く。南の果てでシェフ見習いの21歳。日々好奇心を糧に生きています。映画・読むこと書くこと・音楽と共に在り続けること、それは自由のある世界。


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