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「すばらしい年だ。黒人がNASAを救い、白人がジャズを救う。」
アカデミー賞司会のジミー・キンメルは、『ラ・ラ・ランド』と『Hidden Figures』を例にあげ、今年の作品賞のノミネートをこう評した。

昨年の議論を巻き起こした#OscarsSoWhite(白すぎるオスカー)から一転、多様な人々を描いた作品が数々の部門でノミネートされた。昨年は、候補に対して”遺憾の意”を示したアカデミー初の黒人女性会長、シェリル・ブーン・アイザックも、今年は演技の4部門全てに黒人俳優がノミネートし(アカデミー史上初)、作品賞には多様な人種を描いた作品が候補の半数以上をしめたことに、胸をなでおろした。

こうした変化の背景には、アイザック氏のアカデミー改革がある。彼女は、アカデミー会員は94%が白人で、77%が男性だという事実、そしてアカデミー賞の候補に偏りがあるという理由から、アカデミー会員の見直しをおこなわれ、会員として非活動的なメンバー70名が引退し、多様な人種、文化を代表する新しいメンバー683名が参加した。その結果、会員の41%が女性に、46%が非白人になり、59の国を代表する人々が集まった。*1

また、今年の結果は、司会のキンメルが「トランプ大統領に感謝したい。去年は、オスカーは人種差別主義的だと言われただろう?でも彼のおかげで、今年はそうじゃない。」と皮肉ったように、ハリウッドの反トランプ的な姿勢が表れたともとれるだろう。

もちろん、こうした背景は、『ムーンライト』をはじめとするマイノリティを描いた作品の評価に疑問を呈すものではない。そして、マイノリティの作品がただ増えただけではないのではないだろうか。それよりも、現実のアメリカ社会のあり方への意識が高まっているといえはしないだろうか。

実際、今年のノミネート作品では、現代アメリカにおける白人のアイデンティティを描いた作品も印象的だ。例えば、作品賞候補の『Hell or High Water』は、金融危機によって全財産を失い、生きるために銀行強盗を行うテキサスの兄弟の物語である。「進歩は敵で、公正さは犠牲者」なのか。そんな疑問を投げかけるとともに、全編にわたるウェスタン的な表現が、古き良きアメリカの終焉へのエレジーとして作品に深みをもたせている。*2

また、『Manchester by the Sea』では、社会的な悲劇にあった白人の男性的メロドラマが描かれている。ケイシー・アフレック演じる主人公は、白人の社会的な特権からは程遠い環境におり、アフリカ系アメリカ人の部下となり、最低賃金で働く。監督は作品が政治的になるのをできるだけ避けたようだが、主人公の個人的な喪失感は、現代のアメリカ社会を考えさせるものでもある。*3

こうしたことからわかるのは、人々が現実のアメリカ社会そのもののあり方を問い直そうとしているということだ。今年のノミネートで白人以外の多様な人々のノミネートが増えたのも、マイノリティへの注目というだけではなく、現代のアメリカそのものに向き合った結果、現実の社会を反映したものだという考え方はできないだろうか。

冒頭のキンメルのセリフが象徴するように、アメリカ文化は多様な人々によって成り立っているのであり、お互いがお互いにとって欠かせない存在なのである。今年のアカデミー賞は、そんなアメリカをもう一度考えるきっかけになるものであったかもしれない。

*1
このアイザック氏の改革に対しては、追放運動だという批判もある。
https://qz.com/918576/how-the-academy-overcame-oscarssowhite-at-least-for-this-year/

*2
http://www.chicagotribune.com/entertainment/movies/sc-hell-or-high-water-review-20160808-story.html

*3
https://www.nytimes.com/2016/11/18/movies/manchester-by-the-sea-review-kenneth-lonergan-casey-affleck.html?_r=0


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