いよいよ再来週の日本時間27日(月)に開催を控えた第89回アカデミー賞授賞式、その外国語映画賞にノミネートされている『セールスマン』のアスガル・ファルハディ監督がアメリカのトランプ新大統領の打ち出したムスリム入国禁止令に反対し、授賞式に出席しない意向を発表したのは記憶に新しい。アメリカとの対立や厳格な言論統制の国というイメージが強いイランの監督ということから何かと政治的な文脈で語られることが多いファルハディだが、本人は自身の置かれている状況をどのように感じているのだろうか。

 新作映画のインタビューで、ファルハディはイランの検閲について「検閲と芸術は、石と水の関係に似ている」と語った。「たとえば水の通路に石を置くとしよう。そうすると水はそれを避けようとして自分で違う通り道を勝手に見つけるだろう。これはもちろん検閲に賛成しているわけではない。けど(検閲はそれが望まずとも)代償としてひとをクリエイティヴにするんだ。長期的な検閲は人々のクリエイティビティを殺してしまう、しかし検閲が短期間の場合は人々をクリエイティヴにするんだ。」
 多義的に解釈できる曖昧な表現で「石を避ける」のはファルハディの十八番だ。「どのみち私は映画で(主義主張を)直接喋らせるのを好まない。それをしてしまうと観客が自分で(独自の結論を)発見したり到達するのを不可能にしてしまうから。」とも彼は述べている。

 イランという国で映画を撮影することは悪いことばかりではないようで「イランではアメリカで映画を撮るよりお金はかからないし、もっとシンプルだ。イランの方が簡単なこともあり、難しいことある。ただ、私にとって最高のクルーがイランにいるので、困難を差し引いてでもイランを選ぶ。」と、イラン人のスタッフに絶大な信頼を置いているようだ。

 最新作『セールスマン』はアーサー・ミラーの『セールスマンの死』を演じる舞台俳優夫婦の物語で、劇場で始まり劇場に終わるという非常に舞台が重要な役割を果たしている作品だ。ファルハディ自身も舞台出身の映画監督として知られていて、舞台への想いが感じられる。
 「もう何年にも前になるが、私はかつて劇場で働いていた。今でも戻りたいと思うが、映画の仕事がとても充実していて忙しいのでその希望が叶うことはない。そこで私は演劇への情熱を、演劇を映画の中へ取り入れることでそれを晴らそうとこころみた。演劇と映画を融合させたいとは思わなかったが、私がしたかったことは演劇と映画の境界を曖昧にするということなんだ。」

 

トランプ問題などから作品と乖離して語られることが多いファルハディだが、『セールスマン』はイランで史上最高の売上を記録し、カンヌ国際映画祭で監督賞・男優賞を受賞している実力作だ。6月の日本での劇場公開が待ち遠しい。

参考URL:

http://www.slantmagazine.com/features/article/interview-asghar-farhadi-on-the-salesman-censorship-and-more

http://thefilmexperience.net/blog/2016/12/9/interview-oscar-winner-asghar-farhadi-returns-with-the-sales.html

 

奥村耕平 WorldNews部門大阪の大学生。服と映画が好きです。大学ではアッバス・キアロスタミを中心にイランの映画について研究中。東京の映画視聴環境に日々嫉妬中…。


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