[457]テレビが問い直す映画の存在意義


「なぜテレビでなくて映画なのか」――多くの映画ファンや映画関係者はこんな質問を投げかけられたときにどんな答えを返すのだろうか。テレビはあまり見ないのに映画は数多く見る、テレビ番組より映画が好きだ、テレビ業界でなく映画業界に所属するetc.……こうした人々は冒頭で挙げた疑問を抱いたことが必ずあるはずだ。筆者自身もテレビに比べ映画をよく見るので、友人からこうした質問を受けることが多いのだが、そのたびに両者の違いを説明するのに苦心してきた。両者を同じ映像ジャンルとしてみなす人にとってはこの二つのジャンルの違いはあまり明確ではないだろう。しかし、両者の違いを意識する者にとって、この質問ほど映画の存在意義を浮かび上がらせる問いかけもない。今回は、その関係性を問うニュースから、今後の映画のあり方について考えたい。

 今回飛び込んで来たのはカンヌで新しくテレビの国際見本市がはじまるというニュース。カンヌと言えば、国際映画祭が有名だが、実は世界で一、二を争うテレビの国際見本市MIPTVとMIPCOMを毎年開催してもいる。この二つのイベントの運営を行うリード・ミデム社とカンヌ市が提携を行い、新たなイベントを2018年から行うことが先日発表された。

 現在、フランスでは政府主導で国際的なテレビの見本市を開催する計画が持ち上がっている。カンヌやパリを含む5つの都市が開催地の候補となっていたが、その最中に市長の肝いりでリード・ミデム社との提携が発表された。(この発表の中で、カンヌは政府主導のイベントの候補地からすでに外れているというリード・ミデム社の見解も出されている。)

 また、ベルリン国際映画祭のヨーロピアン・フィルム・マーケットでも「連続ドラマ週間」が3日間に拡充されることが発表され、テレビの存在感が大きくなっていることを印象づけている。

 これらのニュースが印象的なのは、二つのニュースが同じ疑問を投げかけるからでもある。すなわち、それはテレビと映画の境界線はどこにあるのかということだ。

『ツイン・ピークス』をはじめ、多くの映画監督がテレビ映画を手がけていることを考えると、両者の境界線をはっきりとさせることは難しい。実際、「映画」祭であることに強い矜持を持つカンヌでも2013年にはスティーブン・ソダーバーグ監督のテレビ映画『恋するリベラーチェ』をプレミア上映するなどカンヌにおいてもその境目はそれほど厳格ではないように見える。カンヌ以外に目を向けても、O.J.シンプソンを対象にしたドキュメンタリー作品『O.J.: Made in America』が昨年サンダンスでプレミア上映された後、エミー賞とアカデミー賞両方の候補となったことからも、その境目が近年より曖昧となっていることが伺えるだろう。

 テレビ業界と映画業界の間の人材の移動も盛んな昨今、二つのジャンルの境目はますます曖昧になっていくように見える。ただ、制作側の視点から見れば両者には厳然とした違いがあることに気づく。映画はあくまで劇場を主体にした配給体制を主体とする一方、テレビはストリーミングでの配信を主体としている点だ。配給ビジネスの視点から見ると依然として両者の間には高い壁があるのだ。こうした視点に対しては、いまや動画配信サービスをはじめ家庭で映画を鑑賞する事例はたくさんあるという反論があるかもしれない。そうしたことを考えると、消費者の視点から見れば映画もテレビも同じ作品であるというフラットな見方も可能だろう。ただ、そうであるからこそ、映画という存在が他のジャンルの中にあって生き残っていくためには、劇場での映画体験――「映画館」で上映されるものは映画であることに他ならないのだから――が今後より重要になっていくという視点も浮かび上がってくるに違いない。

参照:
1)Berlin: European Film Market Expands TV Focus

2)Cannes Tackles Television: Why a Global TV Festival Could Be a Gamechanger

3)Reed Midem, City of Cannes Join Forces on International Drama Series Festival (EXCLUSIVE)

坂雄史
World News部門担当。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程。学部時代はロバート・ロッセン監督の作品を研究。留学経験はないけれど、ネイティブレベルを目指して日々英語と格闘中。カラオケの十八番はCHAGE and ASKA。


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