ポーランド南部のアウシュヴィッツ強制収容所に収容されていたユダヤ人がソ連軍によって解放されてから、先月27日で70年が過ぎました。同日、ポーランド各地では記念式典がおこなわれ、各国の元首相や市民など、記憶を継承しようとする人ら2500名が集まりました。
 
 そして現在。渋谷・イメージフォーラムではクロード・ランズマン監督『ショア』が公開されています。ドキュメンタリー映画に関心を持つ人であれば、一度ならず幾度もこの名前を聞いたことがあるはずです。『ショア』はヘブライ語で「ホロコースト」を意味します。本作はホロコーストを実際に体験し、70年が経とうとする現在もその記憶とともに生きる人々の「証言」を克明に記録したもので、4部に分かれた作品すべてを見るのには9時間以上を要します。製作期間は12年。ランズマンは、合計350時間分の映像を記録し、編集には5年を費やしたといいます。しかし、その中に当時の映像は一切使われていない。すべては、体験者のインタビューと、映画撮影当時のフッテージによって構成されています。本作がドキュメンタリーであるか、そうでないのか?ーー『ショア』はそうした問題から遠く離れたところから出発した作品です。
 
 ランズマンは2011年、当時の大統領アハマディネジャドと接見するため、イランを訪れています。アハマディネジャドをはじめとするイランの要人のなかには「大量殺戮はなかった」とする人間もおり、ランズマンにたいして映像で「証拠を見せろ」と、つまり遺体の映像を見せるよう求めたといいます。ランズマンはガーディアン誌のなかで、当時のことについて次のように語っています。
“私は“ホロコーストにおいてはただ一人の遺体も存在しない”と彼らに語りました。トレブリンカ、ベウジェツ、ソビドル(※註 いずれもポーランドに存在した強制収容所)に到着した人間は、2、3時間もしないうちに殺害され、遺体は焼却された。この場合、証拠というのは「遺体がないこと」(the absence of corpse)なのだ。そう彼らに語ったのです”
 この記事を執筆したガーディアンの記者は、ランズマンの葛藤について、次のように書いています。
“映画の冒頭で、ランズマンは哲学者であるレイモンド・アロンの次のような言葉をひいている――「私は理解している、しかし信じることができない。なぜなら、私がそれを信じることができないからだ」。ランズマンもまた、この言葉と等しい問題を抱えていたのだ。ランズマンにとっては、言葉による証言こそが、『ショア』のなかで最も重要な構成要素となり、事実を理解する唯一の方法となった”(※1)
 2012年の「ニューヨーカー」の記事では、本作について次のように書かれています。
“ランズマンは『ショア』を「事実を虚構化したもの」(a fiction of real)と呼んだ。彼は自分が引き受けようとする倫理的な課題について自覚的であったが、同時に自分が「真実を伝えること」そして「美しい作品を作ること」という命題に従っていることを信じていた。「伝達しえないことを伝達するため」に。結果として本作は、アドルノが述べた「アウシュヴィッツ以降に詩をつくることができるだろうか」という問題への、明確な返答となっている”(※2)
 今回の上映では、『ショア』以後に製作された、同じくホロコーストを体験した人々のインタビューによって構成される『不正義の果て』と『ソビブル、1943年10月14日午後4時』も公開されます。映像に映された「証言」は、現在においてどのような意味を持ちうるのでしょうか。
※1 “Guardian” 9th June, 2011
Claude Lanzmann on why holocaust Documentary Shoah still matters 
http://www.theguardian.com/…/claude-lanzmann-shoah-holocaus…
※2”New Yorker” March 19, 2012
“Witness — Claude Lanzmann and the making of “Shoah””
http://www.newyorker.com/magazine/2012/03/19/witness-5
イメージフォーラムにて3月6日まで
http://mermaidfilms.co.jp/70/
 井上 遊介(映画批評MIRAGE)


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