[440]ラウル・クタール氏死去 ヌーヴェル・ヴァーグの撮影監督


 

 今月、撮影監督のラウル・クタール氏が92歳で亡くなった。ゴダールやトリュフォーの初期作品の撮影監督としてキャリアをスタートし、ヌーヴェル・ヴァーグの黎明期を支えた人物だ。ゴダール映画にはあわせて17作品に参加した。

今回は、生前にクタール氏が各国メディアに対して応じたインタビューの中から、とりわけゴダールとの仕事に関わる部分などを抽出して掲載する。

 

 

ゴダールとあなたはどんなふうに撮影を計画したのですか?事前にどのくらい議論を?

 

彼はこういった。「食事でもしに行こう。そこで我々がすることを話すから」いまではジャン・リュック・ゴダールは、食事にいっさい関心を持っていない。ただ生きるために食べているんだけど。我々はレストランで会って、それから彼は、これこれの日に撮影を始めるということ、そして簡単に何をするのかを話した。『勝手にしやがれ』の場合は、彼は日常的な状況の中でのフィルム・レポルタージュのようなことをするんだと説明した。ジャーナリストが、証明を使わずにロケーション撮影をするように。手持ちカメラで、シンクロサウンドは使わずーーというのは、当時は35ミリフィルムにはシンクロサウンドはなかったから。『気違いピエロ』の時には彼はこういった。「これは女の子と駆け落ちしたい男の話で、かれらはコート・ダズールに向かう。我々は彼らの逃避行を撮影するんだ」私はこう言ったものだ。「ジャン・リュック、私はいつでも君の映画を撮る準備ができている・・・」

 

ゴダールはあなたやスタッフたちとどんな風に仕事をしたのですか?

 

それは日によって異なる。彼はときどきひどく不機嫌だった。『勝手にしやがれ』のときにはいつもコンテの女の子ともめていたし。彼女がカメラの位置を指定しようとすると、ゴダールはそれと真逆の場所にカメラを持っていった。かわいそうなあの子は泣き出してしまい、彼は花を送ってあげなければいけなかった。しかし、彼の目的というのは、映画撮影には異なる方法が——グリフィスによって完成された映画文法とは異なる方法があるということを示すことだった。イマジナリーラインを飛び越えたり、ジャンプカットでコンティニュイティを破ったりすることだ。我々が映画を作るときにはいつも、彼は他の人がしないようなやり方で撮影をしようとした。ある種の挑発だったんだな。

 彼には質問をしない方が良い場合がたびたびあった。なぜって、彼自身頭の中で疑問を抱えていたんだからな。時を選ばねばならなかった。しかし、いくつかの映画を一緒に作ったあとで、質問をいつ投げかければよいのかわかってきたと思う。議論もしたが、いつでもそれを乗り越えてきた。

 

『勝手にしやがれ』で良い思い出というのはありますか?

 

とても良い思い出だ。どこへ向かっているのか、映画がどうなるのかわかっていなくても、何か革命的なことをやっているという気分だった。そして私自身無名だったから、リスクを追うということもなかった。・・・それは私の4つ目の映画だったから。それから評判が良くなってきたから、とりわけ多く働くようにもなった。ゴダールのおかげかもしれないな。

 

(以上、「テレグラフ」より)

 

 

クタール氏は、撮影監督として出発する以前、ベトナム戦争を撮影するフォト・ジャーナリストとして11年間働いていた。帰国後に、動画カメラを持つようになったのは、「偶然」だったという。1958年にピエール・シェンデルフェール監督の『La Passe du Diable』の現場に“スティルフォトを撮るため”に呼ばれ、参加したところ実際には撮影監督をさせられたというのだ。そこから、彼のキャリアが始まったのだ。この作品は固定カメラでの撮影だったようだが、その後ゴダールとともに彼が初めていった手持ちカメラでの撮影は、彼の戦争記者経験とも関わっている。

 

(「317th Platoon」(シェンデルフェール 1965年 ベトナム戦争を描いた)の撮影に関して)

あなたの戦争体験から、どのような事柄がこの映画の撮影で最も重要でしたか?

 

撮影していたとき、それはベトナム戦争がちょうど終わるころでした。兵士らが戦争で体験したことや、この戦争がどのようにして終わったのかということは、きわめて哀しい印象を与えるものでしたが、一方そこには連帯感もあった。この映画では、その空気を捉えたいと思った。

 

夜間のジャングルでの映像はとても鮮烈なものです。ほとんど光が無い・・・。

 

それは『勝手にしやがれ』と良く似ていたと思う。なぜなら、戦争中の体験そのものを描きたかったからだ。ジャングルでは光なんてなかった。撮影にはなにも、手持ちカメラ以外には何も使用されなかった。唯一見える光といえば、マグネシウムのライトだけ。とても経済的な撮影ではあったと思うな。

 

ジャングルの閉所恐怖感が良く表現されている。

 

ジャングルの問題というのは、最大の敵は人間なのだが、人間がどこに歩いているのかを知る瞬間というのは、つまり全く音が無くなる瞬間なんだ。動物たちが動くのをやめ、完全な沈黙が訪れる——。

 

(以上、『Film Comment』より)

 

 クタール氏はその後、自身の監督作品も三本発表した。キャリアの最晩年には、フィリップ・ガレルの撮影監督もつとめた。ゴダールとは1980年代までともに仕事をしたが、それ以降は連絡をとることも少なかったようだ。かつての盟友の訃報に、ゴダールは何を思っただろうか。

 

 

引用:

 

http://www.telegraph.co.uk/culture/film/filmmakersonfilm/7819078/50-years-of-Breathless-Raoul-Coutard-interview.html

http://www.filmcomment.com/blog/an-interview-with-new-wave-cinematographer-raoul-coutard/

 

井上二郎 「映画批評MIRAGE」という雑誌をやっていました(休止中)。文化と政治の関わりについて(おもに自宅で)考察しています。趣味は焚き火。

 


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