[133]『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』


 米国のドキュメンタリー映画作家フレデリック・ワイズマンの新作『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』が来年1月、Bunkamuraル・シネマで公開されます。筆者は未見ですが、東京でも試写はすでにおこなわれており、その評判もちらほらと耳に入ってきています。
 ワイズマンはこれまでに40本を超える数の作品を作ってきましたが、彼の仕事の多くは、ある種の公共性を問題にしていると、まずは言うことができると思います。競馬場、ボクシングジム、聴覚障害者の学校、軍事演習施設、病院…ワイズマンが被写体として選ぶ施設や空間に共通する特徴のひとつは、だれもが同じ名前で呼ぶ場所であるということです。公共性とはそのような意味です。こうした施設や空間に、少数のスタッフとともに長時間留まり、その場所が持つ名前の下でうごめいている微細な運動や所作を冷徹に記録することで、その場所の実態を明らかにしていくこと、これがワイズマンの作品に一貫するひとつの態度です。
 これらのことから、ワイズマンが「 美術館」を撮影することは、ある意味でとても頷けることであると思います。映画好きな人々にとっても馴染みのある場所であろう、美術館という空間において、ワイズマンがどのような運動を記録し編集したのか、いまからとても楽しみです。たくさんのレビューが海外メディアで報じられていますが、その一部をここに抜粋します。
ーーMinnesota Public Radio
News 11月26日(※1)ーー
…ワイズマン監督がこの美術館を被写体として選んだのは、次のような、とてもシンプルな動機だ。氏はこう語った。「ナショナル・ギャラリーが世界で最高の美術館のひとつであること。そして、許可を得ることができたということだ」
 ワイズマンは12週間、館内を動き回って過ごした。同時に事務室やワークショップ、そして施設の外においても、カメラを備えて動き続け、美術品とそれを見る人々を撮影することに、170時間を費やした。
「気が付くと、より注意深く見るようになっていました」
と氏は語る。80歳半ばのワイズマン氏は生涯を「注意深く見ること」に捧げてきたのだ。
 「今回の撮影を通して学ぼうとしたことのひとつは、絵画というものを見ること、そして、読むということでした。」とワイズマン。これは単に色彩や形態を理解するということではなく、歴史的な文脈も関係するだろう。映画のなかのある場面では、ガイドが観客を引き連れて、聖書のイメージで、鮮麗な装飾の施された中世の仕切りを前にし、次のように語ってもいる。「さて。私たちはナショナル・ギャラリーにいて、粛然と作品を見ている訳ですが−−ひとつ覚えておいてください。もっとも重要なのは“これらがどう見られることを意図して描かれたのか?”ということなのです。」
『ナショナル・ギャラリー』は徹底して、見ることを問題にしている。美術家が対象をどう見るか。観客が絵画をどう見るか。そして映画作家は観客をどう見るのか――。
ーーNY Times 11月17日(※2)ーー
『ナショナル・ギャラリー』はロンドンの美術館についてのドキュメンタリーだ。今月ニューヨークでプレミアを迎え、ロンドンでは1月7日より公開される。映画は早朝の(ロンドンの)トラファルガー広場のシーンで始まる。冒頭のショットは美術館のファサードをじっと眺めている獅子像――。3秒後に映し出されるのは、近世から20世紀にかけての2300点余りの絵画を収蔵する建築物の内部だ。磨きこまれた床には、長く鮮やかな色の回廊と、鑑賞されるのを待つ絵画たちが、写り込んでいる。別の部屋へ、そのまた別の部屋へ――どれも人気が無く、しんと静まり返っている。それから、一分間の間、絵画の映像の連なりが画面を埋め、その細部を映し出す。そこで、何か雑音が入り、思惑的で神秘的な時間をストップさせーー次のショットは、輝く床面にさらなる磨きをかける、掃除機である。
「ナショナル・ギャラリー」におけるこの最初の90秒のショットは、ワイズマンが明らかにしようとするものを――つまり、いかにして神聖さとありきたりのものが分ちがたく結びついているのかということをーー端的に現しているものだ。
 氏はこう語る。「私がショットを編集し、そしてそれらを結びつけるときに初めて意味が生まれるのです。私は、自分を納得させるためにも、その編集に説明を与えなければなりません。そして、合理的な意味合いでなくとも、言葉にしていかなければならないのです。」
 そしてこう続ける。「私のであれ、別の人のであれ、作品は二つのレベルで人に影響を与えます。人々の語りや行動、そして見ているものが示唆することが、実質的にーーつまり「誰が」「誰に」「何を」言っているのか、というーー伝わる事態と、抽象的に伝わるという事態、このふたつのレベルにおいて。そして私は思うのですが、真の映画とはこの二つのレベルの狭間において、立ち現れるのではないでしょうか。」
※1 
http://www.mprnews.org/…/2014/11/25/wiseman-national-gallery
※2 http://www.nytimes.com/…/frederick-wiseman-turns-to-nationa…
 
文責:井上遊介


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