the-birth-of-a-nationアメリカで10月に『国民の創生』(英題:“The Birth of a Nation”)という題の映画が公開される。監督はネイト・パーカーとナット・ターナーだ。このタイトルを見れば、映画の父グリフィスの『国民の創生』のことを思い出さずにはいられない。しかし、このような試みは初めてではない。IndieWireによると以下のようなスパイク・リーの例が報告されている。

 

「スパイク・リーは、80年代のはじめニューヨーク大学在学中に、自ら脚本を書き、監督した“The Answer”という作品で、黒人が『国民の創生』をいかに作り直すかということに取り組んでいた。」

 

『国民の創生』を含めて、初期のアメリカ映画がある種の人種差別を含んでいたことは、ここ数十年のフィルム・スタディーズで明らかにされている。そんなアメリカ映画批判にスパイク・リー監督は、いち早く制作者として取り組んでいたことが伺える。彼は『国民の創生』のことを「最も差別的な映画のひとつだ」と発言している。

birthofnation_しかし、80年代当時、大学の授業ではそうした問題意識はまだ抑圧的であった。「ニューヨーク大学で『国民の創生』を見せられたときは、教授たちがいかにグリフィスの発明が凄いかを語るだけでした。この映画が如何にクラン(白人至上主義団体)を集めることに利用されたのか、そして黒人がリンチされていたことにどう責任を持つのか、ということについて教授たちは何も語らなかったのです。」

 

「教職員達は(私の発言を)映画の父への冒涜だとし、私を辞めさせようとしました。」ある人の発言により辞めさせられることは無かったが、その理由は「TAの給付金をすでに翌年分まで貰っているから」というものであるだけで、決して彼の発言が正当なものと認められた訳では無かった。「私は機材室で働いていました、なかでも一番熱心に働いていたので、彼らは私のことをよく思っていたのです。こうした功績の前に、言いがかりが先に来ていれば、大学を辞めさせられていたでしょうね。」

 

如何に映画史に残る傑作だとしても、その技術面だけが評価され、差別的な表現が許されるのだろうか。私たちは、先人達が築いてきた遺産の上に生きているが、同時に過去の罪も背負わされている。映画史を問い直すことは、今を生きる映画人にとっての課題である。こうした80年代のニューヨーク大学で起きた事例は、今の日本の大学で行われている映画の授業と引き合わせて考えて見ても、私たちがどのようにアメリカ映画や日本映画を見ているかということと合わせて考えて見ても、まだまだ他人事のようには思えないのである。

 

http://www.indiewire.com/2016/08/spike-lee-birth-of-a-nation-the-answer-nyu-1201716719/

 

三浦翔、監督作『人間のために』がぴあフィルムフェスティヴァル2016にて上映、横浜国立大学人間文化課程卒、東京大学大学院学際情報学府所属、映画雑誌NOBODY編集部員、舞踏公演『グランヴァカンス』大橋可也&ダンサーズ(2013)出演、映画やインスタレーションアートなど思考するための芸術としてジャンルを定めずに制作活動を行う。


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