[398]「映画の作り方を学んだことなどないし、未だに知らない」ーマイケル・チミノと映画


Heavens-Gate先日、カンヌ国際映画祭ディレクター、ティエリー・フレモー氏により、映画監督マイケル・チミノの訃報が伝えられた。77歳だった。
大学で美術について学んだのち、広告業界でCMディレクターとして成功したチミノは、ハリウッドへと進み、『ダーティハリー2』などの脚本を手がける。1978年の『ディアハンター』で一躍時代の寵児となったにも関わらず、その後の移民虐殺事件に着想を得た超大作『天国の門』の興行的大失敗により不遇が続き、その生涯において監督した長編映画は7本のみとなった。
訃報を受けウィリアム・フリードキンは自身のTwitterで『マイケル・チミノがまだ生きているうちに、彼にしかるべき賛辞が贈られればよかったのに。彼は非常に重要で偉大な映画作家だった』と追悼している。*1

2005年にポルトガルでチミノ作品の特集上映が行われた際にFilmmaker誌が行ったインタビューの採録によると、自身の過去の作品が上映されることについてどう感じているか、という問に対しチミノは「私は過去を振り返ることはしません。人々は私の映画は大昔に作られたものだと思っているでしょう。しかし驚くべきことに、映画の冒頭を観ただけで、私にはまるで昨日のことのように感じられるのです。それでも過去を顧みることはありません。自分はそういった質ではないから」と述べている。
映画を作れないことが寂しくはないかと尋ねられると、「あなたも知っているように、私は映画学校で学んだ経験がない。今まで映画の作り方を学んだことなどないし、未だに知らないのです」と答えている。これに対し、あなたは7本もの映画を撮ったのだから、あらゆることを知っているだろうと聞き返されると「私の作家としての原点は建築や美術にあります。私は良い映画よりも、良い建築物に興味をそそられるのです。(中略)あなたが覚えておかなければならないのは、私が映画の世界から学んできた人間ではないということです。」また、同じインタビューでこのようにも語っている。「映画を作るということは、私の才能のひとつであったと捉えています。(中略)私は映画の現場から来た人間ではなく、むしろ絵画について語ることや、カンディンスキーやドガについての本を読むことを好んでいました。映画作りとは彼らの芸術を最大限に受け入れ、昇華させることで得られる才能でもあります。」*2
チミノが絵画ーひいては映画における絵作りに非常に執着していたことは、彼の映画監督としての生涯の分岐点となった『天国の門』からも伺うことができるだろう。撮影に際し彼はひたすらに美しい構図を探求し、現場の混沌としたなかにも美を求めていたという。舞い上がる男達のシルクハットや、画面いっぱいに漂う蒸気機関車の黒煙に、ダンスホールで渦巻く移民たちや混乱のなか崩れ落ちる馬車馬の姿は、映画における非常に力強いイメージとなっている。と同時に、これらは話の展開において徹底的に無意味で退屈なものであると評する向きもある。『天国の門』における驚嘆すべきイメージは物語を語るということから切り離されてしまった、チミノはもっと巧みに話の語り方をコントロールすべきだったと思わざるをえない、とその評は続いている。*3

最後の公の場となった昨年のロカルノ国際映画祭で、チミノは名誉豹賞を受賞した。
その際彼は次のように語っている。「私は自分のことを、落ちぶれた建築家のように思っています。その人物は映画作りの世界へ転がりこんでしまったのです。彼は自惚れたデザイナーのように現場をコントロールすることを望みましたー映画作りとは混沌に支配されたものですが。何故私が自分の専門分野を離れ、映画制作の世界に飛び込むという正気でない判断をしたのか、未だに自分でも不思議に思っています。もちろん私はそれが好きでしたが。私はどのようにして今ここに立っているのかわかりません。未知の惑星から、いきなりロカルノに着陸したような気分です」*4
映画祭のディレクター、カルロ・キャトリアンは、チミノの訃報を受け「昨年の別れ際、チミノは『私はまた映画祭に戻ってきたい。次にくる時は新作を持って』と言っていたのに。彼のあらゆる出来事を受け止めた穏やかな笑みが脳裏に思い出されます。再びロカルノに戻ってくることを信じていたかった」と偲んだ。「チミノの考えた映画の多くは実現しませんでしたが、映画からは、彼の遺産ー描いた歴史とその壮大さ、叙情性や生々しさ、情熱やその明快さをいまだに見いだすことができます。(中略)彼の映画作りは古典的で、まるでイーストウッドのように、アメリカという国への批評と愛情が根ざしていました。彼とは異なり、チミノはその発想の源を絵画から得ていましたが。そこから得たイメージを非凡な形で、映画として構築していくのです。そして彼の作品とは、建築に例えるならば明確な構造や、目で見ることのできる足場、周りの景観を必要としながら作られるものであったのです。映画がファーストフードと同じスピードで消費され、またその主義ー常に満腹にさせ、完全に経済的で当たり障りのないものであるということーにまで従っていくという現代にあっても、チミノが抱えていたであろう、混沌とした世界に対して勇ましく野心的な作品の建築者であったという夢が未だに生きていることを願います」*5

晩年のチミノはいくつかの小説を書いて余生を過ごした。上記のインタビューでチミノは「こんなことを言うのは恥ずかしいが、今は自分の好きなあらゆることに没頭して小説を書けるということに幸せを感じています」と述べている。
訃報を伝えるティエリー・フレモー氏のツイートによると、チミノの最期は家族と彼を愛する女性二人に囲まれた穏やかなものであったという。

人々がチミノについて回想するとき、彼の作品の堂々とした画面と同時に、そこで描かれた青春における敗北感を湛えた物語と、その生涯とが重なって思い出されることもあるのではないだろうか。

参照
http://www.rogerebert.com/balder-and-dash/what-one-loves-about-life-are-the-things-that-fade-michael-cimino-1939-2016
*1http://www.newstalk.com/An-important-and-masterful-filmmaker–Tributes-paid-to-director-Michael-Cimino-
*2http://filmmakermagazine.com/99041-i-never-knew-how-make-a-film-michael-cimino-in-2005/#.V4Bet5FWBit
*3http://www.indiewire.com/2012/11/now-and-then-heavens-gate-catastrophe-or-classic-200766/
*4http://www.indiewire.com/2016/07/michael-cimino-dead-deer-hunter-director-obit-locarno-1201702242/
*5https://mubi.com/notebook/posts/locarno-blog-last-year/?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=notebook

吉田晴妃
現在大学生。英語と映画は勉強中。映画を観ているときの、未知の場所に行ったような感じが好きです。映画の保存に興味があります。


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