24日、ニューヨークで12日間に渡って開催されたトライベッカ映画祭[*1]が閉幕しました。21日と24日はコンペ部門の受賞作と観客賞が発表され、U.S.ナラティブ部門で『Dean』(俳優ディミトリ・マーティンの初監督作)、国際ナラティブ部門で『Junction 48』(イスラエル人のウディ・アローニ監督がパレスチナのラッパーの姿を描いた作品)、ドキュメンタリー部門で『Do Not Resist』(アメリカ警察の軍事化に迫るクレイグ・アトキンソン監督作)が最優秀賞を受賞。観客賞にはロッド・ブラックハースト監督の『Hero Alone』(ナラティブ部門)とケリー・デュアン・デラヴェガ&ケイティ・キャロウェイ監督の『The Return』が選ばれました。
トライベッカ映画祭は今年で開催15回目という比較的新しい映画祭で、始まりは2001年の同時多発テロで大きな被害を受けたニューヨークの復興を願い、翌2002年に俳優のロバート・デ・ニーロ、プロデューサーのジェーン・ローゼンタール、投資家で作家のクレイグ・ハトコフが立ち上げたものです(詳細は昨年の開催時に松崎舞華さんが書いたWorld News#204[*2]に)。そして、今年のトライベッカが異例だったのは、この映画祭の顔であり、今なおその運営にも深く携わっているデ・ニーロが一番の注目を集めてしまったことかもしれません。ひとつは小児用ワクチンの危険性を主張するドキュメンタリー映画『Vaxxed:隠蔽から大惨事へ』(アンドリュー・ウェイクフィールド監督)の上映中止問題。この問題についてはすでにWorld News #354[*3]で大寺眞輔さんが取り上げてくれていますが、もともと同作品の選定にロバート・デ・ニーロが深く関わっていたようであること、そしてその選定理由、後日一転して上映中心を決めた理由がデ・ニーロ自身の声明として発表されたことが、より議論を拡大させる要因になったようにも思えます。
こうして映画祭開幕前から渦中の人となってしまったデ・ニーロが再び注目を浴びたのが、21日に今年の映画祭の特別イベントとして行われた『タクシードライバー』公開40周年記念上映です。デ・ニーロが社会に義憤を憶えた結果、殺人に走るニューヨークのタクシードライバーを演じた1976年のマーティン・スコセッシ監督作が復元&リマスターされたフィルムで上映され、さらに上映後にはデ・ニーロ、スコセッシに加え、脚本のポール・シュレイダー、プロデューサーのマイケル・フィリップス、主要キャストのジョディ・フォスター、シビル・シェパード、ハーヴェイ・カイテルが一堂に会したQ&Aが行われました。[*4][*5]

デ・ニーロは登場するやいなや「この40年間というもの毎日のように君たちファンの誰かしらが僕のところにやって来ては言うんだ、”You talk’n to me ?(俺に喋ってんのか?)”ってね」と発言し、喝采を浴びたそうです。(”You talkin’ to me ?”というのはもちろん『タクシードライバー』の劇中でデ・ニーロ演じる主人公トラヴィスが鏡に写る自分の銃を向けて放った有名な台詞で、これはデ・ニーロならではのファンサービスですが、前述の『Vaxxed』問題の渦中での発言と捉えてしまうとちょっと意味深にも思えますね…)
このQ&Aではいくつか興味深い話が披露されました。まず、同作の脚本を「自己治療の一種」として執筆し、「トラヴィス・ビックルは自分がそうなるのが恐かった人物で、この映画は芸術には治療的な力があることを示した」と語ったポール・シュレイダーは、このプロットを最初に映画化したいと申し出たのはスコセッシではなくブライアン・デ・パルマだったこと、しかしデ・パルマがその後急にその申し出を辞退した結果、スコセッシのオファーを受けることになったことを明かしています。結果としてデ・パルマはシュレイダーが脚本を書いた『愛のメモリー』を同時期に手掛けることになったわけですが、その『愛のメモリー』と『タクシードライバー』の両方のスコアを作ったバーナード・ハーマンに関する秘話もスコセッシによって披露されています。
『タクシードライバー』はハーマンにとって遺作となった映画ですが、最初プロデューサーのフィリップスがスコアを依頼した際、ハーマンは「私はタクシー運転手についての映画は作らないよ」と言って断ってきたのだそうです。そこでスコセッシがもう一度彼に会いに行き、撮影した素材を見せながらプロットを説明したところ気に入ってくれたとのこと。いわく「彼は特にトラヴィスがシリアルにピーチブランデーを注ぐシーンを気に入っていたよ」
また、スコセッシはメイクアップアーティストのディック・スミスが手がけたデ・ニーロ=トラヴィスのあの有名なモヒカン刈り(カツラ)を初めて見たときのことをこのように回想します。「君(デ・ニーロ)の頭をモヒカンにする作業をやっている間、私は別の部屋でうたた寝をしていたんだ。肩を叩かれたのを感じて目を開けると、君はあの姿になっていた。ゾッとしたよ」。当時12歳だったジョディ・フォスターは、ディック・スミスが何ガロンものコーンシロップ(=血糊を作る材料)を現場に持ち込んだ日のことを今も憶えているといいます。「私はスタッフたちに何をしているのか聞いたのよ。みんなが知りたいように、私もあの場面でいったい何が起こっていたのか、あの恐ろしいシーンがどのように撮られるのかを知りたかったの。とにかく楽しかったわ」
ジョディ・フォスター演じる娼婦のヒモ(ポン引き)役のハーヴェイ・カイテルにはある噂の真相が投げかけられました。その噂とは彼が役作りのために本物のポン引きと過ごしたのではないかというもの。カイテルは「まだ時効じゃないだろ?」と冗談でごまかそうとしたものの、スコセッシにけしかけられ、以前ポン引きをやっていた男に会い、1週間ほど一緒に過ごしたことを認めます。「彼はどうやってポン引きの役を演じたらいいかを即興で演技しながら教えてくれたよ。俺が女の役をやってね…。良いビジネスパートナーだったよ」

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*1
https://tribecafilm.com/festival/
*2
http://indietokyo.com/?p=1246
*3
http://indietokyo.com/?p=4100
*4
http://www.theguardian.com/film/2016/apr/22/robert-de-niro-taxi-driver-tribeca-you-talkin-to-me
*5
http://www.usatoday.com/story/life/movies/2016/04/22/taxi-driver-40th-anniversary-tribeca/83375682/

黒岩幹子
「boidマガジン」(http://boid-mag.publishers.fm/)や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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