[341]ベルリン映画祭 金熊賞はイタリア人監督の「ドキュメンタリー」  


 

日本でもすでに報じられているが、先週、今月上旬からひらかれていたベルリン国際映画祭<ベルリナーレ>が閉会した。ベルリン映画祭の特色や今年のラインナップについては、坂さんが今月のワールドニュースで取り上げているのでそちらをご覧頂きたい。ベルリン映画祭の最優秀作品に与えられる「金熊賞」は、中東やアフリカからヨーロッパに流入する難民を題材にしたドキュメンタリー「Fuocoammare」(英訳:「Fire at Sea」)が受賞した。金熊賞がドキュメンタリー作品に与えられるのは稀。監督はイタリア人で、数多くのドキュメンタリーを手がけてきたジャンフランコ・ロッシ氏。日本ではほとんど知られていないこの監督、どういった人物なのだろうか。

 

 ロッシ氏は、内戦時代のアフリカ・エリトリアで生を受け、その後イタリアへと渡り教育はアメリカで受けた。国籍はイタリアだ。これまで一貫してドキュメンタリーを製作してきた。インドのガンジス川で流し舟稼業を営む男(Boatman、1993)、カリフォルニアで隠遁生活を送る人間の一団(below sea level、2008)、ホテルの一室で自分の犯した行為を独白するメキシコカルテルの殺人犯(El Sicario, Room 164、2010)… ロッシ監督の撮影の対象はこのような人物達だ。スタイルもほぼ一貫していて、カメラの視線や撮影者の姿を感じさせない、被写体がまるで演技をしているかのようなものだ。これはアメリカのドキュメンタリー監督、フレデリック・ワイズマンと共通していることでもあるのだが、よりカメラが静止していて、長いショットが多いのも特徴のようだ。

 

 彼が作家としてその名を世界に知らしめるのは、2013年のことだ。前作である『Sacro GRA』がベネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞したのだ。ヴェネツィアでドキュメンタリーが大賞を獲得するのは、これが史上初だったということだ。審査員のベルナルド・ベルトルッチに「この作品の詩的な魅力に」「圧倒された」と言わしめたこの映画は、カルヴィーノの『見えない都市』を下敷きとして、ローマをぐるりと囲む環状道路「GRA」を道筋に、その片隅で生活を送る低所得層の人々の暮らしを克明にとらえた記録だ。日本でも『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』の邦題でイタリア映画祭で紹介されたあと、各地で上映された。

 

 この『GRA』について、私は個人的な記憶を持っている。13年の初秋——ヴェネツィア映画祭の直後——たまたま旅行で訪れていたローマで、ふとできた空き時間にこの映画を見る機会を得たのだ。平日の昼間で、映画館は閑散としていた。もちろん字幕なしだったので、ほとんどの会話はフォローできていなかった。また、そのとき確か私は金獅子賞を受賞したという情報さえ得ておらず、ただふらっと入った映画館でやっていたものだったと記憶している。しかし、執拗に静止し続けながら老若男女を捉えるカメラが描写する都市の断片から、とても強い印象を受けた。会話にも登場する人物たちにも、おそらく特に脈絡のようなものはなく、自分たちの日々の暮らしを送っているだけだ。しかし、単なるドキュメンタリーとは明らかに一線を画したものだった。鑑賞後に都市の有機性がじわじわと感覚づけられ、映画館を出ると眼に入ってくる都市が映画を見る前とは全く異なるものに映ったのを強く記憶している。ただ、日本の映画界ではあまり話題になることはなく、むしろ文学者による講評などが目立っていた。

Film Comment誌に掲載されたインタビューからは、彼の映画撮影への姿勢が垣間見える。

 

(「Sacro GRA」のあるシーンについて訊かれて)

「私は彼(GRAに登場するある男性)と二年前に知り合った。毎日会い、会話をした。彼が住んでいるのは、僕が何かを忘れたいときに行く場所だったんだ。やがて僕は彼を撮影したいと思うようになり、どうやって撮影するかを考え始めたんだが、どうしてもカメラをどこに置けばいいかわからなかった。ある日、彼は私を呼んで、彼の植えた木が、「リスに攻撃されている」と言った。で、しばらく一緒にいたんだが、突然、日が沈むのを感じて、“今だ”と思ったんだ。僕は撮影をはじめ、そして木にマイクを仕掛けた。次の日、彼を呼び、その音を聞いてもらった。(中略)かれは非常に驚いていた。フランチェスコ、これを聞いてみろよ。彼は言った。とても力強い音だ。そして私はかれにその音について話してみてくれ、と言ったんだ。そしてあのシーンができあがった…. いままで、誰も演じたことのない会話だったはずだ。」

 

 どこか遊戯的に、被写体との「親密さ」を育てその上で撮影をこころみるのが、ロッシ監督が自身の中で確立したドキュメンタリーのスタイルだ。そして今回の「Fire at Sea」。本作が描き出すのは、前述の通りアフリカや中東からヨーロッパへの移住を試みる人々である。もちろんそれ以前から難民問題は存在していたものの、昨年シリアの内戦を契機として爆発的にヨーロッパを目指す難民が増加し、国際的な関心を集めたことは誰にも記憶に新しい、進行中の事態だ。ゴムボートなどで渡海を試みる難民の多くは、イタリアやギリシャの地中海の島を目標として出航するが、しかし、数多くの人がその旅の途中で命を落としていることも今では世界中が知る事実となった。2013年頃からイタリア政府は難民の救助のため、そして難民らを手助けしているとされる「密売業者」らを拿捕するためとして、軍隊を出動させたが、難民は増え続けた。その後地中海の「保安」はEUに一任されることとなるが、事態は全く収束していない。

 イタリア、そしてヨーロッパを巡るこうした状況がロッシ監督を撮影へと駆り立てたことはおそらく間違いない。今回の作品は、これまでロッシが信頼を得ることによって撮影してきた人物らと比べれば、より今日的な、あるいはジャーナリスティックな題材といえるかもしれない。監督は次のように語っている。

 

「ニュースの記事とは異なり、この映画は人間についての映画だ。数の問題ではない。それぞれの難民は、人間であり、個人なんだ。誰だって自分の家を追われるのはいやだろう。彼らはそうせざるを得なかったのだ。この作品が、世論に対してこの問題への意識をより高めること、とりわけ政治家が意識することを望んでいる」

「一方で、これは“政治的な”映画ではないんだ。これは、急速にふくれあがっている現在起きている悲劇を証言するためのひとつの機会だ。人々はこれからも海をわたり続けるだろう。どんな国境も、壁も、有刺鉄線も、彼らの行動を止めることはできないだろう。悲劇から、戦火<Fire>から逃れようとする人間は誰だって、自らを海に投げ込もうとするものなのだろう」

 

 ドキュメンタリーは政治的である以前に、その個人をあらゆる政治性から切り離し、ただ見つめる時間をいつも必要とする。そのことが、この作品の核となっていることが伝わってくる発言だ。ロッシ監督のこの作品が日本でも上映されるのがとても楽しみだ。

 

引用:

Film Comment 誌(昨年6月)http://www.filmcomment.com/blog/interview-gianfranco-rosi/

 

Guardian 紙

http://www.theguardian.com/film/2016/feb/22/fire-at-sea-berlin-film-festival-golden-bear-gianfranco-rosi-migrant-crisis

 

Variety誌

Gianfranco Rosi’s ‘Fire at Sea’ Doc Chronicles Refugee Crisis

 

井上二郎

「映画批評MIRAGE」という雑誌をやっていました(休止中)。文化と政治の関わりについて(おもに自宅で)考察しています。趣味は焚き火。


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