イランは、1979年の革命によりパフラヴィー政権が崩壊しイランイスラム共和国が誕生しました。パフラヴィー政権は西洋化を国民に強制し伝統や宗教を排除する政策をとっていたのに対して1979年以降のイスラム共和国はイスラム教を絶対の価値観と定め革命前とは全く異なる政策をとりました。ですから、1979年のイラン革命は政権交代を伴う革命以上にイデオロギーの革命であったのです。この価値観の変化は革命前後のイラン映画を並べる事で鮮明に見えてきます。
という事で今回はその第一弾としまして、1950年代後半から1960年代前半のイラン映画における”女性”を見ていきます。
冒頭で1979年の革命で政権のイデオロギーそして政策が変化したと述べましたが、国民はどうだったのでしょうか?イランもしくはペルシャの歴史を辿るとイスラム化は1979年の革命に始まった事ではなく、7世紀ごろから周辺国の影響でイスラム教の特色を強めイスラム以前のペルシャ文明とイスラム教を合わせた新たなイランの文化や伝統を構築していきました。この経緯の詳細はここでは省きますが、パフラヴィー政権下のイラン国民は長い年月をかけて築き上げたイラン独自のイスラム文化・伝統のもと暮らしていました。一方でパフラヴィー政権は西洋化こそ近代化であると主張し強引にまた時には力づくで伝統を捨て西洋の模倣を国民に強制しました。この政権の圧力そこが国民を革命へと団結させた要因の一つと言えるでしょう。
さてイランの革命に関する簡単な歴史はこれまでとして、革命前のイラン映画に移りたいと思います。パフラヴィー政権は新たな価値観を国民に教え込むために映画をしばしば利用しましたが、その転換期と言えるのが1953年でしょう。パフラヴィー政権はイランの石油をAnglo-Persian Oil Companyというイギリスの会社に委ねていましたが、この状態に異議を申し立て国民の強い支持のもと石油を国有化した当時の首相モハンマド・モサッデグがイギリス・アメリカ政府そして国王により逮捕、失脚されたのが1953年でした。このころからパフラヴィー政権による西洋化政策は勢いをまし、またそれに対抗するように国民は1979年の革命に向け政権に対する怒りを募らせて行きます。この時期パフラヴィー政権は国民を西洋化へと誘うためにイランではこれまでタブーとされていたポルノや女性の露出が高い映画を制作しました。
パフラヴィー政権はまず国民を慣れさせるためにブリジッド・バルドー、ラクエル・ウェルチ、ソフィア・ローレン、アニー・ジラルド、ロミー・シュナイダーなどが出演する外国映画を上映、そして後にイラン人女性の露出や性的描写が取り入れられたイラン映画制作に取り組みました。しかし当然の事ながら、西洋と比較して性に対して保守的な伝統のなかでこういった映画に出演する女優はなかなか見つからずキャバレーの歌手などを女優として採用しました。中でも最も人気がでたのがJamshidというキャバレーで歌っていたMahvashという歌手が出演する映画でした。Jamshidは1953年の首相失脚前は本格的な演劇が公演される劇場でしたが、1953年以降キャバレーに一転しMahvashを始めとする女性歌手が舞台に上がるようになりました。彼女らが歌う歌詞には性的描写が目立ちました。
Mahvashは歌手役そして時には娼婦役で映画に出演し労働者階級の男性に支持されませた。その人気は彼女がキャバレーの舞台に立つと彼女を取り合う男性の間で喧嘩が勃発するほどでした。一方で過激な性的描写はある一定の階級以上の人からは非難されパフラヴィー政権が思う様にはこの西洋化は浸透しませんでした。
次回は1960年代後期から1970年代初頭にかけてより一般的に国民に受け入れられたイラン人女性アイドルと映画をご紹介します。
※動画は1960年代初頭の映画からMahvashが歌うシーンの抜粋

by Sevin
アートな中東
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