「忘れないために映画を作る者たちも居るけど、わたしたちは忘れるために映画を作っているんだと思う。」(*1)とロカルノ国際映画祭にて監督賞を受賞したペドロ・コスタ監督の作品、”Cavalo Dinheiro” (英題:Horse Money)について語ったフィリピン出身のラヴ・ディアス監督は”Mula sa Kung Ano ang Noon” (英題:From what is before)で見事、今年のロカルノ国際映画祭の金豹賞に輝いた。
“Mula sa Kung Ano ang Noon / From what is before” 予告編

 上映時間5時間38分、しかもモノクロという本作は、フィリピンの海と森に囲まれた人里離れた村で過ごす人たちの小さな営みを描きながら、1970年から72年にかけてフェルディナンド・マルコス政権によって戒厳令布告が行われる頃を描く歴史映画の様相を持ち合わせている作品のようだ。フィリピンにとって血塗られた時代の幕開けを、監督の幼少期の思い出が脚色されて描かれているらしい。(*2)
 ラヴ・ディアス監督の作品は主に長回しやロングショットによって構成されており、中には9時間を超える尺の作品もあるとのこと。また作品のソフト化がされていないことも相まっているせいか、残念ながら彼の作品を見られる機会は日本だけでなく、海外でもかなり少ないようだ。しかし日本では山形国際ドキュメンタリー映画祭2013、第26回東京国際映画祭、第6回恵比寿映像祭にて『北(ノルテ)― 歴史の終わり』(第66回カンヌ映画祭ある視点部門上映作品)が近年上映されている。(*3) ちなみに作品の尺の長さはテオ・アンゲロプロスの『旅芸人の記録』と同じ4時間10分となっている。
『北(ノルテ)― 歴史の終わり』予告編

「私の映画はすべてのシーンがひとつのフレーム内で発生し、編集で早めることができないため、長時間になります。全てのシーンがそのように繋がっているので、作品時間は長くなってしまいますが、実際、それは比較的短い時間だと思うのです。そう、私の映画は実はすごく短い。人生のごく一部を見ているにすぎません。登場人物を追うだけでなく、宇宙全体を取り込みたい。宇宙全体を見て、もうひとつの世界へとフレームを押し込みたいのです。私は3人をひとつのシーンにフレーミングしましたが、そのとき、ほかに80億人もの人々が動いている。映画は私がつくりあげようとしている世界に面した小さな窓なんです。とはいえ、私の文化において、マレーの人々は本当にゆっくり暮らしているんですね。遡ってみると、そこには時間という概念がありませんでした。ただ人生があって、待っている。太陽が上るのを。作物が育つのを。そして、収穫を待つのです。暮らしている場所で起きることに準拠しているのです。」(*4)
以下、ロカルノ映画祭のニュースサイト「Pardo Live」のサイトに掲載されているインタビューの抜粋(*5):
Pardo Live
― かつてジャン・ルノワールはすべての世界へ届かせるためには、まず自分の村のことについて話さなければならないと言っていました。
ラヴ・ディアス:この映画はフィリピンで戒厳令が発令される二年ほど前の、私の幼少期の記憶に基いたものです。それはわたしたちの歴史において最も暗黒な時代の到来であり、激変の時期でもありました。映画のすべてのものは私の記憶から来ています。すべての登場人物たちは実在する人物たちで、彼らの名前をただ変えてあるだけです。
 ロカルノ映画祭にてラヴ・ディアスのような、あまり知られていなかった才能溢れるアジアの映画監督が新たにフィーチャーされたのは実に喜ばしく、祝福すべきことだ。この受賞をきっかけに、今まで見られなかった彼の作品が見られるようになることを切に願うばかりである。
楠 大史
http://www.lesinrocks.com/…/cinema/locarno-sombre-espoir-1…/ (*1)
http://www.allocine.fr/…/fichearticle_gen_carticle=18636102… (*2)
http://tiff.yahoo.co.jp/2013/jp/lineup/works.php?id=W0008 (*3)
http://www.art-it.asia/u/admin_ed_fea…/GIFLdNfH4ejPuz9Ai2tl/ (*4)
http://www.pardolive.ch/…/CI-Pardo-d-oro-Mula-sa-kung-ano-a… (*5)
参考資料
http://desistfilm.com/q-a-lav-diaz/


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