Zsigmond

 昨年の暮れから今年の初めにかけて、アメリカを代表する撮影監督ふたりが立て続けに亡くなった。ハスケル・ウェクスラーとヴィルモス・ジグモンドだ。撮影監督の功績が語られることはあまりないかもしれないが、彼らが映画作家たちと作品に果たした役割は計り知れない。そしてジグモンドはロバート・アルトマンの『ギャンブラー』と『ロング・グッドバイ』、ブライアン・デ・パルマの『愛のメモリー』と『ミッドナイトクロス』、スティーブン・スピルバーグの『未知との遭遇』、マイケル・チミノの『ディア・ハンター』と『天国の門』、ウディ・アレンの『ウディ・アレンの夢と犯罪』など、多岐に渡ってアメリカの様々な名映画作家たちを支えてきた。

 「映画の素晴らしいシーンを選ぶのはとても難しいものだ。何故ならそれは15秒か20秒にも満たないからだ」と述べるジグモンドだが、私たちはまさにその15秒か20秒を生きることによって、映画作家と撮影監督が見せるヴィジョンに心を奪われる。そうしたシーンを生み出すための映画作家との仕事はどのようなものだったのか。*(1) 
 
 ジグモンドは盟友のラズロ・コヴァックスと共に1956年のハンガリー動乱後、アメリカへと渡り、多くのB級ホラー映画の制作に携わる。そしてコヴァックスがデニス・ホッパーの『イージー・ライダー』の撮影を手掛けたことを機に、ピーター・フォンダの初監督作品『さすらいのカウボーイ』の撮影監督としてコヴァックスがジグモンドを推薦することで、70年代のアメリカン・ニューシネマの監督たちとの交流が始まる。また同じ年に、ジグモンドはロバート・アルトマンの『ギャンブラー』も手掛けることになる。

 当時のアメリカン・ニューシネマの新人監督たちは若く、低予算なインディペンデント映画を制作していたが、そうした環境はジグモンドにとって非常に興味深く、アルトマンとの協同作業で更に実感していったという。

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 「わたしはアルトマンのような監督の即興演出がとても好きだ。彼があえて次の日に何を撮るかプランも立てずにいたのには訳がある。監督が良いシーンを作るためにはまず役者と話し合い、リハーサルを行う必要がある。だが、様々な映画で厳しい制作状況を強いられる環境のなかでは役者とリハーサルに費やす時間もなく、舞台セットでリハーサルを行うことしか出来なかった。そのため、いったい何が起こるのかも分からないシーンに、どのようなライティングを施せば良いか不安に思うこともあった。しかし役者が各シーンで様々なものを演じることによって、監督も役者から多くのことを学ぶようになり、すると映画の形式のようなものが次第に現れてくる。それは様々なアーティスト(スタッフ)との連携によって成し得る。つまり最初にどういった形式の映画になるのかまだ分からないことも多いが、それはよくあることなのだ。それはプロダクションデザインにも言えることだ。」*(1) 

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 ジグモンドがその後、アルトマンやチミノと仕事をしていくなかで、ライティングや撮影スタイルに関して陰影を色濃く描くことに定評が生まれ、インタビューなどでも「映画のライティングを行うということは、光を扱うということではなく、陰影を扱うことなのだ。光はまず何よりも陰影を作りだす上で役立つ。わたしの幾つかの構図は80%の陰影と20%の光で出来ている。」と述べるほどだった。ジグモンドが陰影にこだわるのはモノクロ映像への愛によるところも大きく、彼からすればモノクロ映像は最も抽象的な芸術形式の一つであり、その理由として、普通はモノクロ映画のように世界を見ることが出来ないからだと示唆している。*(3)

blow out

 こうした陰影へのこだわりはアメリカのクライテリオン・コレクションがデ・パルマの『ミッドナイトクロス』とチミノの『天国の門』のリマスター作業を行う際に呼ばれたジグモンドが必要以上に、監督の思惑以上に映像を暗く調整することを望もうとしたとされている。そして、クライテリオン・コレクションのテクニカル・ディレクターであるリー・クラインが、敬愛するジグモンドの協力を得て、マーク・ライデルの『ローズ』のリマスター作業を行ったときのことである:

 「わたしたちはネガをスキャンにかけ、4Kシアターの大きなプロジェクターで作業を行った。わたしとカラリストがスキャンをプリグレーディングしていたので、わたしは「ヴィルモスはすべてが暗く調整されるのを好むと聞いているから、もっと映像を暗く調整しよう」と自分に言い聞かせた。そして彼が来た時に映画の色彩確認を行うための参照プリントとして見せたところ、映画を数分間見たのちに、こちらを振り向き、「なんでこんなに暗いんだ?」と聞いてきた。まったく、噂もあてにならないものだ!その後、映像を明るくし、色彩を再調整したところ、素晴らしいものとなった。」*(2)

 このような些細な違いも見逃さない鋭い指摘もジグモンドのように光と陰影に対して繊細な撮影監督だからからこそ出来るのだろう。そして、ついにその眼差しも失われてしまったが、現代映画において彼の意志を継ぐような撮影監督はいったい誰が挙げられるのだろうか。例えば、ベルトラン・ボネロの撮影監督を務めるジョゼ・デエーはハリス・サヴィデス(ガス・ヴァン・サントやデヴィッド・フィンチャーの撮影監督)をジグモンドの後継者として挙げているが、残念ながら彼も2012年に55歳の若さでこの世を去っている。そしてオリヴィエ・アサイヤス、ジム・ジャームッシュの撮影監督を務めたヨリック・ルソーはホイテ・ヴァン・ホイテマ(『007 スペクター』、『インターステラー』)の名を挙げている。*(4)

 あまり表舞台には出てこない撮影監督たちだが、彼らが描いてきた光、またはこれから描かれる光が、また新たな15秒か20秒の希望を照らしてくれるに違いない。カイエ・デュ・シネマ誌が撮影監督たちを特集した702号(2014年7/8月号)の最初の文章はジグモンドの言葉の引用から始まっている。「映画はまず初めに光があり、次に構図があり、役者が居て、そして物語があるのだ」*(3)

close encounter

参考資料: 
http://blogs.indiewire.com/theplaylist/watch-70-minute-masterclass-with-legendary-cinematographer-vilmos-zsigmond-20141126 *(1) 
https://www.criterion.com/current/posts/3865-remembering-vilmos-zsigmond-master-of-light-and-dark *(2)
CAHIERS DU CINEMA numéro 702,juillet/août 2014 “De la lumière!” *(3)
http://next.liberation.fr/cinema/2016/01/05/vilmos-zsigmond-baisse-la-lumiere_1424468 *(4)
http://next.liberation.fr/cinema/2016/01/08/chef-op-c-est-materialiser-une-vision_1425221

Disparition de Vilmos Zsigmond, un éclaireur du Nouvel Hollywood

楠大史 World News担当。慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科修士2年、映画雑誌NOBODY編集部員。高校卒業までフランスで生まれ育ち、大学ではストローブ=ユイレ研究を行う。一見しっかりしていそうで、どこか抜けている。


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