クリスマスや年の瀬になると観たくなる映画ってありますよね。私にとってダグラス・サークの『天が許し給うすべて』や『悲しみは空の彼方に』もそんな年の瀬映画(?)なんですが、折しも12月23日からニューヨークのリンカーンセンターでダグラス・サークのレトロスぺクティヴが開催中とのこと。[*1] 24日と25日に上映される『天が許し給うすべて』『心のともしび』『風と共に散る』をはじめ、サークのドイツ時代&アメリカ時代の作品が30本近く上映されるようで羨ましい限り……。
さて、今日はそのダグラス・サークの映画を参照して作られた作品について取り上げたいと思います。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーやフランソワ・オゾンなどサークからの影響を公言している映画作家はたくさんいますが、何といっても有名なのは、『天が許し給うすべて』のリメイクといってもいい作品『エデンより彼方に』を監督したトッド・ヘインズでしょう。今回は『エデンより彼方に』でダグラス・サークの作品世界を再現し、再び1950年代を舞台にした同監督の最新作『キャロル』でも撮影監督を務めたエドワード・ラックマンによって書かれた文章をご紹介します。
エドワード・ラックマンはアメリカ出身の撮影監督ですが、キャリアの初期にはヴェルナー・ヘルツォークの『La Soufrière』やヴィム・ヴェンダースの『東京画』など欧州の映画作家の作品に携わり、その後の参加作品もスティーヴン・ソダーバーグの『イギリスから来た男』『エリン・ブロコビッチ』、ソフィア・コッポラの『ヴァージン・スーサイズ』、ロバート・アルトマンの『今宵、フィッツジェラルド劇場』でなど非ハリウッド的作品が目立ちます。トッド・ヘインズの作品は、『エデンより彼方に』から『キャロル』までの全4作(テレビ映画含む)で撮影を担当。今月Indiwireに2回に分けて寄稿された彼の記事[ *2][*3]では、どちらも1950年代のアメリカを舞台にした『キャロル』と『エデンより彼方に』をそれぞれどのような意図や手法で撮影したのかが語られています。
・『キャロル』で目指したもの
「『キャロル』で私たちはできるだけあの時代(1950年代初期)を美化しないようにしました。ここで描かれているのは第二次世界大戦が終わったばかりの、かなり不安定な時代です。トッド・へインズはアイゼンハワー時代(1953~61年)前夜を自然主義的な方法で参照することを望んでいました。『キャロル』をメロドラマだという人が多いですが、トッドはこの作品を恋愛時代劇と考えて欲しがっているんです。私たちはその時代を当時の映画を通してではなく、ニューヨークを記録した写真を通して研究しました。ルース・オーキンやエスター・バブリー、ヘレン・レヴィット、ヴィヴィアン・マイヤーといった50年代の女性写真家の作品です。彼女たちはまるでフォトジャーナリズムと美術写真の間で揺れ動くかのような写真で都市景観を記録しています」
「それからソウル・ライターの作品も見ました。彼はストリートフォトグラファーですが、より画家に近い存在です。ライターの写真は抽象化することで不明瞭にされた層状の構図でできています。彼のイメージはファウンドオブジェクトや質感、反射(光)で満たされていて、対象物は部分的にしか見えません。このようなライターのアプローチを使うことで、私たちは表象的な世界観だけではなく心理的な世界観を見せようとしました。たとえば戸口に立つテレーズ(ルーニー・マーラ)を窓や反射を通して部分的にしか見せないように撮ったシーンがありますが、そうすることで彼女のアイデンティティがはっきり見えるようになっていると思います。これは彼女の恋心、内側の世界を見せるために用いた視覚的方法のひとつですね」
・『キャロル』を16mmフィルムで撮影した理由
「今やデジタル処理によって(フィルムの)粒子を作り出すこともできるわけですが、それは固定された画素(ピクセル)に過ぎません。フィルムの物質的な粒子はもっと表現豊かなレイヤーを加え、それは登場人物の感情表現にも影響します。(中略)私がデジタルではなくフィルムを選ぶもうひとつの理由は色の描き方にあります。たとえば冷たい窓と暖かい照明を室内で撮る場合、デジタル撮影ではその組み合わせをフィルムと同じように撮影することはできない。私はフィルムの粒子によって得られる暖かい色と冷たい色の交差や混成をデジタル映像には見出せないのです」
「『キャロル』ではセットや衣装でも当時使われていた色しか使用しないようにしました。私は時代によって人々の色の見方が変わるとは思いません。プロダクションデザイナーのジュディ・ベッカーもその考えに沿った塗料や装飾をほどこしてくれましたし、衣装デザイナーのサンディ・パウエルも50年代にあった色、そして生地や縫い目で作られた衣装を用意してくれました。野外撮影でケイト・ブランシェットが着る洋服の縫い目をはっきりと撮影できたときに、『キャロル』でこうした自然主義的な方法をとったことに自信が持てました。トッドと私は『エデンより彼方に』のやり方とは異なるアプローチで『キャロル』を作ったのです」
・『エデンより彼方に』とダグラス・サーク
「トッドは記号学をやっていた人なので、彼の作品では映画言語が物語を語ることの隠喩として使われることが度々あります。2002年にトッドはダグラス・サークが60年前にやったように、メロドラマの技巧を通して人々を感動させることができるかどうかを確かめようとしていました。ただダグラス・サークが50年代に撮った作品に似た映画を作るのではなく、完全な映画世界の中で登場人物たちが目覚める物語を表現するために、メロドラマの誇張された身振りや型にはまった様式化を使った作品を作ろうとしたのです。トッドは『エデンより彼方に』で、セクシュアリティやジェンダー、人種差別などの問題を扱うために、表面的な美しさが一種の抑圧として機能するサークの世界を参照したのです。この作品が私にとって大きな挑戦となったのは、サークの『天が許し給うすべて』『悲しみは空の彼方に』『風と共に散る』といった作品が、ユニバーサルスタジオのバックロットやサウンドステージで撮影されていた一方で、私はその技巧やスタジオの様子をニュージャージーでのロケ撮影で再現しなければならなかったことでした」
・『エデンより彼方に』の照明と色彩
「『エデンより彼方に』の屋内撮影では、登場人物がひとつの光源から別の光源の場所に移動するような場面で、頭上から強く照らすスタジオ照明を効果的に使うようにしました。通常は窓を通して屋外からも光が差し込んでくるので、もっとソフトな照明を配置します。日の光は常に変化するので屋外から入ってくる光と屋内の照明のバランスをとることは手の込んだ仕事です。普段私が窓のあるシーンではかなり露出を上げますが、この作品ではなるべく露出を上げないようにして、まるでステージのセットであるかのような不自然な感じが出るようにしました」
「サークの世界の特徴のひとつに、登場人物の心の状態を表現するために絵画的なカラーパレットが使われているという点があります。そこで私は暖かい色味と冷たい色味のゲルフィルターを使っていろいろと試しました。色のコントラストを使うと、映像に立体感が生まれ深みが与えられます。たとえば寒い環境にいる人物に暖かい光を当てると、その人物が寒さの中で引きたって見えるようになりますよね。カラー照明を使うに当たっては衣装デザイナーのサンディ・パウエルやプロダクションデザイナーのマーク・フリードバーグと何度もカラーテストを行い、セットや衣装に合わせて異なるゲルフィルターを使うようにしました」
・広角レンズと窮屈なフレーム
「現在はクロースアップを撮るのに長いレンズが好まれていますが、サークは25mmか35mmの広角レンズを使って、登場人物を階段の手すりや戸口やセット建築を背に束縛するようにして撮影していたそうです。トッドはワイドアングルのほうが全てが目に入って、圧迫感がでると考えていました。俳優をカメラの視点から逃げ場がないような状態に置くわけです。そうすることで登場人物たちは、まるで今の生活環境に捕えられているかのように、フレーム内での身の置き所を制限されるのです。しかし一度だけカメラが移動し、キャシー(ジュリアン・ムーア演じる主人公)が解放され、ある人物とふたりきりでいることが許される場面があります。それは彼女がレイモンド(黒人の庭師)と屋外で会うシーンです。カメラはそのエモーショナルなやり取りを移動撮影で捉えます。そして彼は彼女にふたりは交流することができないと告げます。そのときのふたりは屋内に閉じ込められていないにも関わらず、互いに隔たれた場所にいるのです」
「時代ものの映画を撮るために魔法のような常套手段はありません。トッド・へインズのような素晴らしい監督と仕事をするとき、ひとつひとつの作品が独自の言語を持ち、異なる方法で過去に言及することができるのです。私たちが『エデンの彼方に』でダグラス・サークの技巧を再現して行ったことは、『キャロル』で自然主義的にその時代を記録するために用いたテクニックとは実質的に正反対のものでした」
*1
https://www.filmlinc.org/daily/spend-the-holidays-with-the-films-of-douglas-sirk/
黒岩幹子
「boidマガジン」(http://boid-mag.publishers.fm/)や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。
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