1967年に中東で勃発した紛争を扱ったあるドキュメンタリー映画に注目が集まっている。しかし、紛争そのものが描かれるわけではない。作品が題材とするのは、この当時記録され、これまで大部分が当局の検閲によって公開されることがなかった、イスラエル兵の「声」だという。

これらの「声」は 、1967年に勃発しイスラエルがエルサレムやガザ、シナイ半島やヨルダン川西岸などを支配することになった「6日間戦争」(=第三次中東戦争)中に、ジャーナリストのアモス・オズ氏ら、当時のキブツの若者グループによって録音されたものだ。オズ氏は自身も第四次中東戦争で兵役に従事していたが、エジプトなど出兵先からイスラエルへと帰国する際に、同性代の兵士らに対して聞き取りを行ったり、あるいはただ単に日常の雑感を録音したりしていた。音声テープは増えた。これらの聞き取りの一部は、後年オズが自著のなかで触れているが、多くの録音は当局により検閲を受けた後、公開禁止あるいは没収にされた(※1)

 本作「Censored Voices(検閲された声)」は、今年始めにサンダンス映画祭で上映され、高い評価を受けた。今月ロンドンやアイルランドの映画祭でも公開された。

 監督はモール・ルーシィ氏。32歳、イスラエル人だ。始め、歴史研究の一環としてこれらの検閲された音声テープにふれた彼女は、テープに記録された声が「いかに自分が学校で習った歴史と異なっているか」ということにまずは驚嘆したという。(※2)。監督自身の言葉を引くと、その音声は「家族を、自分自身を守るために戦っていると思っていた人々が、“侵略者”として凱旋した、その瞬間の、率直で漏れるような声」を含んでいて、歴史に対して特異な切断面を提示してくれるものだという(※3)。

 本作では「歴史から消された声」を再現するドキュメンタリーとしての側面だけにとどまらず、その声に当事者である人物らが立ち会う、その姿を記録することが重要な核となっている。監督は、音声テープに吹き込まれた声の当人を可能な限り探し、現在の、つまり47年後の彼/彼女に自分自身の声を「聞かせる」という作業を行った。自分自身の声を聞く人々の反応は様々で、ある人は「自身の信仰というものに対して、より懐疑的になっていった」と話し、また別の人は「自身の声を聞くことで、以前より保守的になった」という。

 これらの「声」は検閲という手続きを経て、当事者の記憶の中からも消えていったということなのだろうか。自身の中にひそむ暗部と向き合う人々の「まさに向き合っている」その姿を記録するという構造は、記憶と歴史をめぐる問題提起の手法として、独特で興味深い。心理学的な方法論ともいえそうだが、カンボジアの監督リティ・パニュの一連の作品を想起もさせる。

 監督のルーシャ氏は次のようにも語る。「“Censored Voice”は、6日間戦争についてのドキュメンタリーだが、観客はそれを自分の国の過去に移して考えることもできると思う。つまり、自分の国が関わった戦争について考える、ひとつの方法となるのではないでしょうか」(※2)。

 監督は次作で、1994年の「オスロ合意」の時期に書かれた日記や手記を題材として、同様に歴史の中で埋もれた声を拾い集める作業を行うつもりだ、と述べている。

 

 

井上二郎

「映画批評MIRAGE」という雑誌をやっています(休止中)。文化と政治の関わりについて(おもに自宅で)考察しています。趣味は焚き火。


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