いよいよ9月19日からシアター・イメージフォーラムで公開されます「ハンナだけど、生きていく!」その監督、ジョー・スワンバーグの最新作「ディギング・フォー・ファイアーが先月末にアメリカで公開を迎えました。今回はそれに伴い行われたインタビューをお届けします。スワンバーグ流・映画作りの裏側満載の内容です。これを読んでから是非、彼の原点ともいえる初期作品、「ハンナだけど、生きていく!」ご覧になってくださいね。  

まず初めにジョー・スワンバーグの映画にはほとんど脚本がない。そして自由気ままに人間関係を描きつつ、物語の中で大きな何かが起こるわけではない。「ドリンキング・バディーズ」「ハッピー・クリスマス」そして最新作となる「ディギング・フォー・ファイアー」どの作品でも中心は、欠点のある、愛すべきキャラクター達のおしゃべりである。  スワンバーグは映画製作において仲間たちとの強固な関係を築いてきた。彼らの知名度が急激に上がったことを受けて、彼の最新作「ディギング・フォー・ファイアー」もスワンバーグ作品史上最もメインストリームな作品、と評されている。

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1月にサンダンス映画祭でプレミアを迎えたこの作品は、ローズマリー・デウィット、ジェイク・ジョンソン演じる夫婦と、スワンバーグ本人の息子であるジュード演じる幼い息子の関係性が、ある日借地の裏庭で銃と骨を発見したことを境に変化していく様を描いている。脇を固めるのはオーランド・ブルーム、ブリー・ラーソン、ロン・リビングストン、アナ・ケンドリック、サム・エリオット、サム・ロックウェルなどのスター俳優たち。作品を通して彼らの人間関係を探求していく。 今回のインタビューでスワンバーグは35mmフィルムでの撮影を決めた理由、なぜ即興を中心とした作風を選ぶのか、そして自身の息子との仕事について語ってくれた。

WN【「メインストリーム」という評について】

ー最新作の完成、おめでとうございます。この作品はスワンバーグ監督作の中でも「最もメインストリームな作品だ」と言われていますがどう思いますか?

ー「最もメインストリーム」というのは「最も多くの有名人が出演している」という言葉の置き換えですね。私の作品群を見ていただければ分かると思いますが、メインストリームという言葉は似つかわしくないものばかりで、その様な作品をつくろうと思ったこともありません。ですからそのような評が広がっていることには興味を覚えました。映画は上映されると一人歩きを始めます。これが映画製作の面白い点の一つです。しかし考えられる理由としては第一に出演俳優たちの知名度、第二に私自身もこれまで作品を発表し続けてきましたので、観客が私の作風、スタイルに慣れ始め、真新しさや奇妙さを感じなくなってきたとも言えるでしょう。

この作品は35mmフィルムで撮りました。ベン・リチャードソンは素晴らしい撮影監督であり、ダン・ロンバーも素晴らしい曲を作ってくれました。今まで避けてきた映画的言語を意識し、ドリーを使用した撮影も多用しました。「メインストリーム」が何なのかは分かりませんが、「ディギング・フォー・ファイアー」は私にとっての最高傑作だと思っていますし、人々はそれを感じ、反応してくれたのかもしれません。

【フィルム撮影】

ーなぜ35mmフィルムでの撮影を決めたのですか?そしてそれはあなたの映画製作過程をどう変えましたか?または変えませんでしたか?

ー何も変わることはありませんでした。自分たちが撮影したいものを撮るだけのフィルムを賄うことができたからです。私は基本的に撮影量が少なく、予算を脅かすことのない監督だと思います。  

16mmで撮影した前作「ハッピークリスマス」でフィルム撮影に魅了されました。フィルム撮影は俳優やスタッフを違った次元の集中力に導く力があると感じます。「アクション」と「カット」の間にある「シーン」では、実際にフィルムが回っていて、それは「そこで何かが起こっている」「何かをやっているんだ」という実感をもたらします。録画ボタンを押せばただ回り続けるビデオ撮影とは明らかに違うのです。フィルムで撮影するということは私にとって、「選択をする」ということです。「ここでは何を撮影するのか」「このシーンで何がしたいのか」を真剣に考えなければいけません。どんな画が欲しいのか、導線はどうなっているのか、きちんと決めて、しかし本番ではそれらを手放した上での真実を求めています。  

子供の頃からフィルムで撮影された映画を観て育ってきましたが、それがいつまでも存在するものでないということも分かっていました。ですからまだチャンスがある内にフィルム撮影を行いたかったのです。この後にも2本作品を作りましたが、どちらもフィルムの作品です。もはやフィルムは私の作品の一部になっていると言えるでしょう。

ーあなたはデジタル世代の寵児のような存在だと思っていたので、今のお話は興味深いです。インディーズ映画作家によるフィルム撮影の良いお手本になったのではないでしょうか。

ー全くその通りです。私はデジタル撮影の提唱者でしたし、今でもそうです。それはどちらが良い悪いではなく、一つの探求にすぎません。私の通った南イリノイ大学の映画学科ではとても古典的なプログラムが組まれており、授業はフィルム撮影で行われていました。しかし学校を卒業して自分で映画を撮り始めると、予算は個人のクレジットカードに入った数千ドルです。デジタルビデオがなければ作品を制作することも発表することもできませんでした。  

しかし自分で選択できる立場となった今は、個人的に好きなフィルム撮影を選んでいます。99年から03年にかけてという、デジタル革命の真っ只中に学生時代を過ごしたことにも影響を受けています。スパイク・リーやリチャード・リンクレイターが初めてデジタル撮影を始めた時にはそのニュースを読んで興奮しましたが、大多数の映画がデジタルビデオで撮影される2015年現在、そこに魅力を感じなくなってしまいました。今ではスタジオ映画もデジタル撮影です。フィルム粒子を見る機会も減ってしまった観客にとって、「ハッピークリスマス」がかつてのインディーズ映画を思い起こさせることになるだろうと思っていました。

【即興について】

ー即興を多用していますが、リハーサルは行ったのでしょうか?

ー私はリハーサルをやりません。その代わりに綿密な話し合いをします。俳優たちとは撮影が始まる数週間前から話し合い、現場、そして撮影が終わったその日の夜にも内容について常に評価をしあいます。ワークショップなどでもよく議論になるのですが、私は一番最初の輝きを逃すのが怖いのです。編集では結局ファーストテイク、セカンドテイクを使うことが多く、「初めてだから起こる奇跡の瞬間」を信じているのかもしれません。もしくはリハーサルで何か素晴らしいことをしても、それが本番の映像ではうまく機能しなかったり、真新しさを感じられなかったりすること怖いのです。結局大切なのは実際の映像に何が映っているかです。

ーそうですね

ー俳優たちには互いが次にどんなことをするのか、分かっていて欲しくないのです。その混乱の中で時に美しい瞬間が起こります。編集はそれらの美しい瞬間を集め、映画として一つの形にする作業です。ですから私の映画は「座ってストーリーを語る」というのとは全く違ったアプローチだと言えるでしょう。

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【脚本かあらすじか】

ー映画を作る時には脚本から作りますか?それともあらすじですか?

ーあらすじです。確かはじめに18ページほどのあらすじを書きました。その多くはジェイク・ジョンソンとの数ヶ月に渡る会話から生まれたものであり、のちにローズマリー・デウィットとオーランド・ブルームもそこに加わり、たくさんのアイディアを与えてくれました。そこにブリー・ラーソンが加わりました。俳優たちが加わって、役になり、役を引き継いでくれるのです。それはとても楽しいことです。

私は自分自身のアイディアにそれほど興味がありません。それよりも一人一人別々の価値観、主張、人生経験を持った人間が集まった時に起こる何かに惹かれるのです。それを整えて、映画という形にするのです。もちろんあらすじですからストーリーが語られ、構成もあります。しかし現場ではいつでもそれを捨てる覚悟でいます。あらすじに縛られることなく、その場で一番良いと思うもの、一番ワクワクすることをします。私は自分で編集作業を行うので、あらゆる意味で編集が執筆作業のようになります。すべての素材を集め、一番素晴らしい形にまとめあげるのです.

【脚本のインスピレーション】

ーあらすじを書く最初の段階では何からインスピレーションを得るのですか?自分の実体験が反映されているのでしょうか?

ーもちろんそうでしょう。最初のシーンでジェイク・ジョンソンが、妻と自分が借りている家の裏庭で銃を発見したという話をします。彼は友達を招待し、酔っ払うとシャベルを取り出し、一緒に裏庭を掘り出すのです。「友人達が集まり謎を探求、解明しようと決める」というアイディアに惹かれました。そこに自分の経験したことや、友達の話で聞いた内容を織り交ぜていきます。

私は常に、自分と同年代の人たちが育っていく様を捉え続けたいと思っています。それと同時に外の世界で起きていること、文化的な事実や、恐ろしいスピードで進化していくテクノロジーのことを映画に反映させなければいけません。映画が自分と共に年を重ね、成長していくことを望むのです。ですから私の映画のキャラクターは段々と年齢層があがり、最近では家族を持つようになりました。日記を書く代わりに映画を作り、映画が私と私の周りの人々に起こっていることを記録、探求する役割を果たしているのかもしれません。

【息子と仕事をすることとは】

ー今回ご子息のジュードが出演されていますが、映画製作の過程をどのように説明されたのですか?また彼はいつ完成作品を観ることが許されるのでしょう?もしくはもう許されていますか?

ーすでに部分部分をみています。映画の中に彼に見せてはいけないものが含まれているとは思いません。暴言と言われるような汚い言葉や、R指定を受けている事柄に対しても、見せることを恐れてはいません。

しかし映画製作における彼との関わり方は変わりました。「ハッピークリスマス」を製作した時は彼はまだ2歳になったばかりで、ただそこに居るだけで良かったのです。しかし「ディギング・フォー・ファイアー」の時には3歳半になっていて、自分の意志や個性を持ち初めていました。それらをどの様にして映画に取り入れるのか、親としてどの程度繊細でいるべきかも挑戦でした。

私にとっての悪夢は彼がやりたくないことを無理矢理やらせる状況です。あの手この手を使い、その状況を避けました。クマ型のグミは彼の注意を惹きつけるのにとても役立ちました。

またはアクティングゲームを使うこともありました。車の中のローズマリーとのシーンでは会話のシーンがあるのですが、それをゲームにしてしまうことで、彼は完璧に台詞を言ってみせました。彼は演じていたのではなく、ローズマリーとゲームをしていただけです。

ジュードはとても理性のある子供ですから「今からやる事はこういうことで、お父さんは君にこれをしてもらう必要がある。アクションが掛かったらあそこまで行って、あれを拾い、向こうまで歩いていってくれ」というようにストレートに指示を出すこともしばしばでした。と同時に彼にはいつでも「やりたくない。僕はこれよりも向こうにいって車のおもちゃで遊びたいんだ!」と言う権利を与えていたつもりです。

ークマ型グミがいい演技の秘密ですね!

ーそうですね。クマ型グミこそ最も有効な演出法と言えるでしょう。

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こんな映画作り、とても楽しそうですね。いつかやってみたいです。 「即興だからこそ」の輝きをハンナでも是非体験してください!

http://www.indiewire.com/article/joe-swanberg-on-why-he-chooses-to-shoot-on-film-and-why-he-doesnt-rehearse-20150825

梶原香乃
World News担当。東京下町生まれ。高校からイギリスに留学、ロンドンのドラマスクールにて芝居を学ぶ。はらわたのある映画女優を目指して日々奮闘中。憧れはマリオン・コティヤールとキャサリン・ハンター、そして高峰秀子さん。国を超えて仕事ができるようになりたいな!なるぞ。

 

 


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