イタリア映画史を代表する詩人/映画監督であるピエロ・パオロ・パゾリーニが、『ソドムの市』完成直後の1975年、何者かによって撲殺されてから今年は40年の節目となる。その人生最後の日に焦点をあてた物語が、『キング・オブ・ニューヨーク』などで知られる奇才、アベル・フェラーラ監督によって映画化され、初公開を迎えた。主演(パゾリーニ役)はウィレム・デフォー。二人のタッグは『4.44 地球最後の日』(2011)以来。

  実はこれまでにも『パゾリーニ・スキャンダル』(アウレリオ・グリマルディ、1996)などを筆頭に、この事件を扱ったいくつかの作品は存在した。それでも本作が高く注目されるのは、アベル・フェラーラという監督の存在が大きい。イタリアとアイルランド移民の家系で、アメリカで育ったフェラーラは、ポルノ映画に出自を持つが、『バッド・ルーテナント』(1992)(のオリジナル版)を監督し、カンヌ映画祭に出品されるなどして、国際的な評価を得た。最近ではジェラール・デパルデュを主演に迎えた『ハニートラップ 大統領になりそこねた男』など、「カルト監督」として名高い。作風の違いはあれど、パゾリーニの死を描く監督に、彼ほどふさわしい監督はいないのではないだろうか。
 パゾリーニが撲殺された当の事件については、現在でもなお闇の部分が多い。1979年、当時パゾリーニと同乗していた少年(17)による犯行としていったんは決着を見たものの、実は共産主義を嫌悪するマフィアや、ネオファシストによる殺害であるなど様々噂が絶えなかった。最初の判決で、9年7月の懲役刑に服し、既に出所している当時の少年、ピノ・ペロージ氏は、30年が過ぎた時点で事件について再び言及し、一転、犯人は別にいたとしている。(※1)
 当初の判決は、当時17歳だったペロージ氏が、ローマ近郊の海岸で同性愛者の監督に不快な行為を要求されて逆上、木材で殴った上、監督の車でひいて殺したと認定したものだが、ペロージ氏は、その後「犯人は別の3人組。家族に危害を加えると脅されたので罪をかぶった。もう両親も死んだので話せる」と語ったという。報道では、90年代、そして昨年にも捜査が再始動したとあるが、真相はまさに「闇の中」というわけだ。
 映画史上類稀な醜聞を帯びたこの事件を、フェラーラ監督はどう描いたのだろうか? 本作は、パゾリーニが、死の直前に取り組んでいた『Porno – Teo – Kolossal』と『Petrolio』に焦点をあて、それぞれのストーリーと創作過程を丹念に描いた上で、パゾリーニが「死へのドライブ」へ向かうまでを描いたものだという。Guardian紙は本作を「したたかで、驚くほど抑制された、それでいて敬意に満たされた作品だ」とした上で、ベルトルッチの「革命前夜」(1964)のようなある種のニュー・ウェーブ的な作品だと評している(※2)が、一方フェラーラは本作で、ドキュメンタリー的な方法をふんだんに駆使し、また関係者や友人・遺族などへのインタビューも入念に行ったとも語る。Guardian紙のインタビューに答えて、監督は本作について次のように語った。

「これはいかなる意味でも「フィクション」ではない。レストランが、彼が殺害されたビーチが、すべてはそこにある。家族はたくさんのことを我々と共有してくれた。あなたはそこまでしか到達できない。しかし、少なくともそこまでは到達できるんだ」(※3)
 
 最後に、フェラーラが記者会見で配布したというプレス・リリースに記された言葉を紹介したい。次のようなものだ。

「“I sit at my teacher’s feet / yearning then hearing the music of the waves / that wash the feet of the / Messiah on the beach at Idroscalo”.」

師の膝に腰掛け/待ちわびた波の音をついに聞く/波はイドロスカロの浜のメシアの/膝を洗い流す」
(※イドロスカロはパゾリーニが遺体で発見された浜

※ 1 http://www.afpbb.com/articles/-/3033351
※ 2 http://www.theguardian.com/…/pasolini-review-monument…
※ 3 http://www.theguardian.com/…/abel-ferrara-pier-paolo…

 

 

井上二郎

「映画批評MIRAGE」という雑誌をやっています(休止中)。文化と政治の関わりについて(おもに自宅で)考察しています。趣味は焚き火。

 


コメントを残す