ホウ・シャオシェン監督の新作『黒衣の刺客』が今月12日(土)にいよいよ公開されます。武侠映画という聞きなれないジャンルに挑戦した新作はどういった映画なのでしょうか。今回は、そもそも中国の中で武侠小説とはどういう位置づけなのか、またそれを映画化するとはどういうことなのか、Filmcomment誌に掲載されたホウ・シャオシェン監督のインタビューをもとに辿ってみたいと思います。

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たんに時代劇と括ってしまうのではなく、武侠小説というジャンルの歴史について、ホウ・シャオシェン監督は以下のように考えています。

 

「ひとつのジャンルとして、武侠小説は宋の時代[960-1279]に広まりました。しばしば政治的なリーダーの腐敗に対し、兵士が叛乱する物語として描かれます。崩壊を阻止して、無実な人々への圧政を退けるために、主人公の英雄は暗殺者にならなければなりません。ですから、武侠小説は殺戮に次ぐ殺戮という前提が重要になります。もちろん登場人物の行動は政治的な理由に動機づけられていますが、英雄の旅は叙事詩的で、物理的にも、感情的にも、そして精神的にも可変的なのです。唐の時代に有名だった李白は、幾つか暗殺者の詩を書いています。これが私の知る限り、もっとも古い武侠文学の例です。そして少しずつ、歴史的、神話的なバックグラウンドを吸収しながら、かたちが明確になっていったのです。たとえそれが過去の出来事を描いていたのだとしても、私にとってそれは現代的で、適切なものだと感じるのです。」

 

例えば、本作にも出演するチャン・チェンの出ていた『レッド・クリフ』(2008)などを思えば分かるように、中国では現在でも多くの英雄を戦争の中で描く作品が映画に限らず多くあります。その中でも武侠小説というものが、三国志よりもあとの時代に、暗殺者について特化したジャンルとして生まれたことは覚えておかねばなりません。

 

では映画化しようと思うきっかけは何だったのでしょうか。

 

「大学生のとき、唐の時代の文学に読み耽っていました。伝奇*(『黒衣の刺客』もそのジャンルとして書かれました)はその時代に有名な短編のジャンルで、多くの女性が登場します。この伝奇を一年生の時に読んで、王女が暗殺者になるというアイデアに強く惹かれました。私はいつもこの本のことを頭の片隅に置き、映画界に入ってからもずっとこれを映画化しようと思っていました。」(*伝奇とは、唐宋時代に発展した短編の逸話や奇怪な話のことを指す)

 

そのような文学を映像化することに関して、脚本の段階での仕事、そして監督の重視する点について見てみます。

 

「シエ・ハイ・ムオンは信頼の出来る作家で、唐朝の専門家です。彼女とともに阿城とチュー・ティエンウェンに会い、この映画の歴史的な背景について長い間、話しあいました。朝廷の細部について全て丁寧に記録し、護っていきました。私たちはそれを読んで、劇的な細部を探していったのです。ストーリーが発生する歴史的な瞬間を正確に捉えるために、この作業がもっとも重要になります。登場人物の内面を考える前に、こうした作業が必要なのです。」

 

「唐朝を“リアリズム”で描くためには、まず書かれたものから始めなければなりません。私は少年時代に読んだ本を全て読み返すことから初め、その世界を再び心の中で思い起こしました。唐朝時代に書かれたものやそれについて書かれたもの、特に伝奇については、日常の描写が細部まで描かれています。朝廷に努めているひと、詩人、医者など、人々はそれぞれカーストを持っています。私はとても直観的にこれらに反応します。どの中国人の登場人物にも世界を含意する何かがあるのです。」

 

日常に注目することで分かる「世界」が存在することを監督は語ります。

 

「私は、日常の細部に迫り、そこから大きな画へと広げることに挑戦しました。例えば、夜明けと夕暮れにはドラムの音が街中に響くことを学びました。唐朝では、3000個のドラムが朝廷から鳴ります。全ての人が起きる時間だと分かるまで、一里ごとに別のドラムが音を鳴らします。これが朝のしるしです。暗くなれば、500回ドラムが鳴らされます。これは門限を示していて、人々は一里ごとに決められた居住区に戻らねばなりません。こうしたことは、武侠小説を注意深く読むことで得られます。神話的、幻想的な要素の下でも、日常の細部を発見できるのです。このことが日常生活の裏側で、それがいかに定められていたかを理解する手助けになります。また、どれだけ日常が本の中に綴じられていたかを語るのです。」

 

伝奇と呼ばれる神話的、幻想的なモチーフの下でも、文章で描かれた日常の細部に注目しながら描こうとする姿勢は、いかにもホウ・シャオシェン監督の映画らしいと言えるのでは無いでしょうか。本作では、アクション的な要素や幻想的な要素、とリアリズム的な要素が相克することで、どのような現代性が見えてくることになるのでしょうか。公開が待ち遠しいですね。

 

引用元

http://www.filmcomment.com/article/hou-hsiao-hsien-interview/

三浦翔
アーティクル部門担当、横浜国立大学人間文化課程3年、映画雑誌NOBODY編集部員、舞踏公演『グランヴァカンス』大橋可也&ダンサーズ(2013)出演、映画やインスタレーションアートなど思考するための芸術としてジャンルを定めずに制作活動を行う。


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