wanda
 「ワンダは頭に着けたカールクリップを小さなスカーフで隠したまま自分の家を出て行き、彼女はペンシルバニアの泥の中を歩いて、建設現場で立ち止まる。彼女は子どもたち、赤ん坊さえも自分の夫に託していく。もしかすると、それは決定的な旅立ちではなかったのかもしれない。しかし、彼女が彼らを見捨てたというのは大げさで、彼女は男のために彼らと別れたわけではない。そうこうしているあいだに彼女は男と出会うが、ある朝、ホテルで彼から別れを告げられ、彼が去っていくのを見届けると、彼女は自分の身に何が起こっているのか分からないまま、慌てて服を着替え始める……」(*1) こうしてワンダの優柔不断さと自由を称える旅が始まる。

 1970年に制作されたバーバラ・ローデン主演・監督による『ワンダ』は第31回ヴェネチア国際映画祭で上映され、パシネッティ賞(最優秀外国映画賞)などを受賞しているが、その名声とは裏腹に、知る人ぞ知る作品となっている。 バーバラ・ローデンは1950年から1975年まで活躍したアメリカ人女優で、エリア・カザンの妻でもあったが、癌により48歳でその短い生涯を終える。彼女が監督した唯一の映画は同世代の女優や映画監督たちに多大な影響を与え、長いあいだ見ることの出来ない伝説的な傑作として認知されていた。そして、その映画の素晴らしさはたびたび、人づてによって伝えられ、例えばマルグリット・デュラスは『カイエ・デュ・シネマ』のエリア・カザンとのインタビューで、彼女は『ワンダ』を配給することを夢見ていることを語っている。(*2)

 こうして映画は上映されていないにも関わらず、『ワンダ』という作品の噂はひとり歩きし始める一方で、アメリカのインディペンデント映画作家たちは『ワンダ』に影響を受け、「ワンダ」というキャラクターを自分たちの作品に取り入れていく。リベラシオン誌のアンヌ・ディアトキンによれば、ジョン・カサベテス『こわれゆく女』(1974)のメイベルや、アモス・コレック『Sue lost in Manhattan』(1998)のSueなどにワンダの面影を見ることができるという。(*1) いわばワンダは、どうしようもなくアンバランスでアンビバレントな感情を抱えた女性キャラクターの源流とも言える存在のようだ。
woman under the influence 2                                  『こわれゆく女』

sue lost in manhattan

                              『Sue lost in Manhattan』

 そして2004年に、『ワンダ』を愛してやまないイザベル・ユペールとロナルド・シャマーのふたりが映画をより良い状態で上映するために、フランスにおける映画の配給権を買い戻し、今年の1月にはDVDの制作なども手掛けている。イザベル・ユペールはインタビューで本作についてこう答えている:

 「『ワンダ』において、私は映画業界のメタファーさえも見逃さずにはいられませんでした。悪党とその共犯者、まるで映画監督とその女優のように。そこでは、従順で要求が多く、咎め立てられずに消費される一方で、男たちは、映画監督たちは小さなギャングスターとして振る舞うのです。すべてが非合法なコンテクストの中にあるものです。映画では、表向きに語られていることもあれば、その裏で語られていることもあります。バーバラ・ローデンは映画が持つ裏の顔を極めて上手く訴えています。」(*1)

wanda 2

 現在、フランスで再上映中の本作は2010年にヴェネチア国際映画祭で上映されたリマスター・バージョンのようだ。いつか日本でも見られる日は来るのだろうか。

参考資料、引用元:
http://next.liberation.fr/cinema/2015/07/10/cine-un-frisson-nomme-wanda_1346014 (*1)
http://www.nytimes.com/2010/08/29/movies/29wanda.html?_r=1 (*2)
http://www.pol-editeur.com/index.php?spec=livre&ISBN=978-2-8180-1480-6
https://www.youtube.com/watch?v=trPTxY2pTZQ 

楠大史
World News担当。慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科修士2年、アンスティチュ・フランセ日本のメディア・コンテンツ文化産業部門アシスタント、映画雑誌NOBODY編集部員。高校卒業までフランスで生まれ育ち、大学ではストローブ=ユイレ研究を行う。一見しっかりしていそうで、どこか抜けている。


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